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第18話 遊びの形をした仕事

 翌朝。

 ルシアは教会の前に立っていた。数歩脇で、ロルフが外套の襟を正している。


 ルシアが着ているのは、この村に来たときに着ていた服だ。

 洗われた布は、ところどころまだ硬い。

 けれど、袖口にあった土の色が消えているだけで、胸の奥が少し軽くなった。


 昨夜司祭が準備してくれた湯で泥も汗も一旦は落ち、髪もざっくり結んだ。

 それだけで、今日の自分は少しだけ扱いやすい。


「人間は成長するものね」


「当然のことをしただけだ」


 ロルフは相変わらずだった。

 それでも、昨日より眉間の皺が浅い気がした。


 ロルフは村の端へ歩いていった。

 十字の件があってまだ間もない。

 戸口の気配、畑道の足跡、家々の顔色。見るものは多くある。


 ルシアはロルフとは逆へ向けて足を動かす。


 空気は冷たい。

 冬の名残が、地面の奥にまだ居座っている。

 それでも陽だまりの輪郭が、昨日より少しだけ広い。


 広場に近づくと、子どもたちが気づいて駆け寄ってきた。先頭に、レナがいる。

 ルシアは手を振って迎えた。


「お姉さん!」


 声が重なり、足が止まる。

 次の瞬間、笑いが弾けて、ルシアのまわりに輪ができた。


 その笑い声の輪の外を、クララが控えめに通り過ぎようとする。


「クララも遊ぶ?」


「……私、お母さんに薪を集めるように言われてるの」


 ルシアの問いに、クララは申し訳なさそうに答えた。

 その手は空いているのに足だけが、もう行かなきゃ、を先に覚えている。


「私のお母さんも言ってた!太い薪がないから枝でも拾ってこいって」


「でも、お姉さんと遊ぶ方が楽しいもんね」


 横からレナと子どもたちが口を挟む。


 ルシアの胸が少しだけ痛んだ。

 遊びたい気持ちも分かる。

 でも春前の忙しい時期、猫の手も借りたい母親の焦りも分かる。


 だから、間を取る。


「よし。じゃあ薪集め大会しよ!」


 子どもたちが一斉に顔を上げた。


「なにそれ!」

「やるやる!」


 輪が、前のめりになる。

 ルシアはその勢いを受け止めてから、わざと少し間を置いた。


「勝った子は、私のお昼のパン、ひとつあげちゃう」


 子どもにとってパンは、おやつじゃない。

 食事そのものだ。

 ひとつ増えるだけで、目の色が変わる。


「それなら、クララも参加できるやろ?」


 クララの顔がぱっと明るくなる。

 叱られずに遊べる道が、今ついた。


「ありがとう……!」


 クララは控えめに、口の端をそっと上げた。

 その笑顔に、ルシアは自分のパンが惜しくなくなる。


 ただし問題がひとつ。

 ルシアは、どの枝が薪に向くのか詳しく知らない。


 ルシアと子どもたちは教会へ走り、司祭を捕まえた。

 使い易い枝の太さ、乾きやすさ、危ない木の見分け方を教わる。

 教わった言葉は一度ルシア自身の口で言い直し、子どもに渡せる形に削った。


 それがひと段落したところで、司祭が笑う。


「ほっほっほ。教会の薪を集めてくれるのかい?」


「ちがうよー! おうちのだよー!」


 子どもたちは声を揃えて笑った。

 この村での司祭と子どもたちの距離は、こういう一言で見える。


 ルシアが子どもの輪の前に戻ると、手を二度叩いた。

 それだけで、ざわめきが一瞬だけ引く。


 短い静けさのあと、ルシアに視線が集まる。

 こういう瞬間の作り方は、身体が覚えている


「じゃあ聞いて。遊びにするけど、お手伝いやからね」


 言い方だけ軽くする。中身はきっちり固める。

 遊びの顔をした段取りは、だいたいそのほうが通る。


「森の縁は歩いていいけど、入るのは禁止ね」


 子どもたちが頷く。


 ルシアは地面の枝を一本拾い、先端を指でつまんで見せた。


「枝持って走ったら、これが目に入る。痛いじゃ済まん」


 子どもたちの顔が、少しだけ真面目になる。


 次に、足元を指で叩いた。

 雪解けの水を吸った土は、ところどころ柔らかい。


「ぬかるみは滑るから走らん。枝を持って転ぶのは危ない」


 頷きが重なる。さっきより静かだ。


「見張りは私がする。危ないと思ったら止めるからね」


 子どもたちの顔が、ルシアにそろう。

 大人が一人立つだけで、遊びの輪は少しだけ締まる。


 最後にルシアは井戸の影へ指を向け、その先を近くの石に重ねて見せた。


「時間は、この井戸の影があの石に当たるまで」


 時計のない村で、影は一番わかりやすい約束だ。


「それでは……」


 ルシアは息を吸って、指を立てる。


「よーい、どんっ」


 ルシアの声で、全員が一斉に駆け出した。


 ぬかるみを避ける。

 さっきの約束が、子どもたちの足取りにちゃんと残っている。

 ルシアは最後尾を見張るように立ち、目を細めた。


 やがて、井戸の影が石に触れるころ。

 子どもたちは腕いっぱいに細い枝を抱えて戻ってきた。


「さて、勝ったのだれー!」


 ルシアの声に歓声が上がる。

 子どもたちは自分の枝を抱えたまま、互いの腕を見比べて、わあっと声を漏らす。


「クララ!」

「クララがいちばん!」


 名前が重なって、視線が一斉に寄る。

 クララは枝の束を胸に抱えたまま、きょとんとしてから、少し遅れて息を飲んだ。


「おめでとう、クララ」


 ルシアは指を一本立てる。


「約束どおり。今日のお昼のパン、ひとつ。クララのぶんね」


 クララの頬が、ふっと上がる。声は出ない。

 それでも嬉しさは隠しきれず、抱えた枝の束をぎゅっと締め直した。


「やった……」


 小さく漏れた音に、周りがまた笑う。

 輪の中の熱が、少しだけ軽くなる。


 そのまま皆の輪へ戻ろうとして、クララはふと足を止めた。

 広場の脇、井戸の縁。踏み固められた土の端に、紫の蕾がひとつだけ頭を出している。


 クララはそれを一瞬見つめ、枝を抱えた腕に力が入った。

 何も言わない。けれど目だけが、少し明るくなる。


 それから皆のほうへ駆けていく。


 ルシアはまだ気づかない。

 春の知らせが、すぐそばまで来ていることに。

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