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第16話 子どものほころび

 話し合いが一区切りついたあと、ルシアは先に外へ出た。

 扉の外の空気は、まだ冬の名残を抱えたままだ。


 少し遅れて司祭が外套を羽織り、戸口に立つ。

 数歩先で、ロルフが襟を正し、村の方角へ歩き出した。見回りの足取りだ。


 地面の冷えが、まだ居座っている。

 吐く息は白く、すぐにちぎれて消えた。


 村は起きているのに、どこか静かだ。

 昨夜の出来事が、音にならずに残っている。


 ルシアは畦道を外れ、家々の前をゆっくり目でなぞった。

 薪積みの影。裏口の細い通り。


 子どもが抜けていきそうな隙間ばかり探していた。


 足を速めた拍子に、草の露が裾を濡らす。

 そのとき背後で、雪の残りを踏む音が重なった。


 追いついてきた影が、横に並ぶ。

 ロルフだった。


 片腕にルシアの外套を掛けたまま、息ひとつ乱していない。

 差し出す動きだけが、ぶっきらぼうに丁寧だった。


「忘れ物だ」


 ルシアは受け取りながら、口元だけで笑った。


「ありがと」


 外套を肩に回すと、冷えが一枚分遠のく。

 同時に、背中の力も少しだけ抜けた。


 ルシアは歩きながら、探すべき顔より先に、先程の司祭を思い出していた。

 言葉の丁寧さはいつも通りだったのに、息の端にほんの少し疲れが滲んでいた。


「司祭様の声、ちょい枯れてたな」


 ルシアの言葉に、ロルフは視線を落とした。

 落とした先にあるのは、霜の残る土。踏めば、わずかに鳴く。


「昨日の件は、火種になりかねない」


 声は淡々としている。

 だが淡々としているぶん、“慣れ”が滲む。


「村人数人と、話し合いの場を設けた。

夜のうちに、形だけでも整えておく必要があった」


 昨夜、司祭と村の大人たちは集まっていた。

 声が尖りきる前に、互いの言い分だけを一度収め、口論の火だけは消した。


 だが、子どもが明日、同じ場に立ったとき。

 何と言えばいいか。


 そこだけは誰も言葉にできず、曖昧なまま散っていった。

 だから司祭は、今日あの問いを置いたのだ。


 ルシアは、その問いにすぐ言葉が返せなかった。

 たったひと言で村が凍る。そんな世界。昨日、身をもって知った。


「……難儀やなぁ」


 呟いた声は、いつもの軽さより少しだけ低い。


 ルシアは横目でロルフを見る。

 外套の襟は整っている。歩幅も崩れていない。


 けれど、目の奥だけが寝不足の色をしていた。


「あんたも、疲れた顔してる」


「身なりを整える程度の余裕は、あるつもりだ」


 突き放す言い方なのに、刃は立っていない。

 今朝の自分に向けた言葉みたいで、ルシアは小さく口角を上げた。


「ふうん。じゃ、元気ってことにしとくわ」


「勝手に決めるな」


 やり取りは短い。

 それでも、その短さに余裕が残っていた。


 二人は村の広場へ向かう。

 ルシアの視線は人の流れをなぞる。


 探したいのは、レナ。


 昨日、森に消えた背中。

 あの小さな背中が、今どこにいるのか。


「……あそこだ」


 ロルフが先に見つけた。

 声は低いが、指先は迷いなく井戸の方を示す。


 井戸の影。

 薄い日差しの届かない場所に、レナが小さく身を縮めて立っていた。


 子どもたちが広場で遊ぶのを、遠くから眺めているだけだ。


 ルシアは足音をわざと鳴らして近づき、明るい声を投げる。


「お、昨日の探検隊長やん」


 レナの肩がびくりと跳ねた。

 逃げはしない。だが、視線は一瞬だけ地面へ落ちる。


「お姉さん……」


 近づいて初めて分かる。

 目の周りが赤く、腫れている。泣いた跡だ。


 袖口を握りしめる指が、まだ力んでいた。


 ルシアはしゃがみ、顔の高さを合わせる。

 横でロルフが黙ったまま立つ。声を挟まない。


 だが、空気は張っている。


 レナは唇を動かしかけて、いったん飲み込む。

 言っていいのか迷って、言葉だけが喉の奥で転ぶ。


「……ねえ」


 ルシアは急かさず、頷くだけ。


 レナの目には、昨日の秘密基地で見たあの明るさが戻っていない。

 今のレナは、それをどこかに置き忘れてきたみたいだった。


「昨日の私……、だめだった?」


 “だめ”が何を指すのかは、迷わなかった。


 森のことは、もう腫れた目が答えている。

 この子が確かめたいのは——


 あの場で、十字を意味がないと言ったことを否定されたと感じた、その一点だ。


 ルシアはすぐに断じない。

 ほんの少しだけ間を取る。


 その間に、ロルフの視線がルシアへ向く。

 見張るというより、見定める目をしていた。


「そうなぁ……」


 ルシアはレナの腫れた目元を一度だけ見て、すぐ視線を外す。

 そこを責める気はない、と身体で示す。


「人が大事にしてるもんは、それぞれやん?

やから、わざわざ踏みに行かんでもいいんやないかな、とは思った」


「……そっか」


 レナの目が伏せられる。

 肩がさらに小さくなる。


 その横で、ロルフが息をひとつ抜いた。

 硬さが少しだけ緩む。


 ルシアは、もう一歩だけ近づく。


「でもね、レナが悪い子って話やない」


 レナが顔を上げる。

 疑うように、確かめるように。


「お母さんにそう教わったんやろ。

……お母さんも、必死なんやと思う」


「……うん」


 返事は小さい。

 けれど、さっきよりは喉から出てきた。


 ルシアは口の端を上げる。


「人には人のやり方があるだけ。

“へぇ、そんなやり方もあるんやねぇ”って思っとけば、それでいいんよ」


 レナの指先の力が、ほんの少し抜ける。


 ルシアは立ち上がり、レナの脇に手を差し入れた。

 抱き上げるというより、“さっと連れ出す”動きだ。


 レナの身体が一瞬固まった。

 次の瞬間、ふっと軽くなる。


 抵抗ではなく、預ける重さ。


「ほら! 子どもは子どもらしく!」


 ルシアは走り出す。

 風が頬を切り、レナの髪が跳ねた。


「いーっぱい遊びな!!」


 二人が輪に飛び込むと、子どもたちの笑いが弾けた。

 クララも、その輪の端にいた。


 レナとクララが、ほんの一拍だけ目を合わせる。

 レナの喉が、小さく鳴った。


「……十字のこと、ごめん」


 クララはきょとんとして、レナの顔を見た。


 すると、昨日司祭の手が頭に触れたときの温かさが、ふっと戻ってきた。

 胸の奥に残っていた固さが、少しずつ溶けていく。


 握っていた指をほどくみたいに、肩の力が抜けた。


「……うん」


 返事はそれだけだった。

 でも、その一音で、輪の空気が少しだけやわらぐ。


 ロルフは少し離れた場所で、その様子を見ていた。

 表情は変わらない。

 ただ、拳のこわばりが、さっきよりわずかに解けている。


 ルシアは抱き上げたままのレナの重みを確かめて、歯を見せて笑った。


「ほら、隊長!今日はどこ探検する?」


「えっとね、秘密基地」


 レナの声はまだ小さい。

 けれど、逃げるみたいな小ささじゃない。ちゃんと前を向いていた。


 冬の薄い空へ、子どもたちの笑い声がほどけていった。

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