終 勝利の味はイチゴ味
「いいか? 絶対忘れろ! 絶対だからな!!」
俺の数歩後ろをついて歩く眞子の声が、背中にびしばしとぶつかる。果し合いからの帰り道、泣き止んでからのこいつは、ずっとこの調子だった。
空はとうに青さに深みを増し、星がちらちらと瞬いている。
「いい加減にしつこいな」
俺は振り返り、喚き続ける彼女をじっとりと睨む。大泣きしたことが余程恥ずかしかったのだろうが、あそこでしたこと、起きたことを忘れろなど、土台無理な話だ。
むしろ、魔王を攻略した記念日として、俺の記憶には永遠に刻みたいくらいの出来事なんだからな!
「だいたい、忘れたら告白したことまで忘れちまうじゃねえか。なかったことにしていいのかよ?」
「うぐ……、いや……それは、よくない。絶対ダメだ!」
訊ねると、眞子は言葉を詰まらせて首を激しく横に振った。いったいどっちなんだよ。
(しかし……こいつって、こんなに可愛い奴だったっけ?)
拗ねたように唇を尖らせて黙り込む眞子の姿が可愛くて、ついつい頬が緩む。我ながら、まったくもって現金というか、どうかしていると思うのだが。
「なに人の顔見てニヤニヤしてんだよ、気持ちわりーな」
……前言撤回しようかな。
「はん。さっきまで、ピーピー泣いてたやつに言われても何ともないね」
「んだと~!」
拳を振り上げギロリと睨まれるが、普段と比べて迫力不足だった。笑いながら少し歩く速度を落として、肩を並べる。
「ま、安心しろよ。これからは、ちゃんと守ってやるからよ」
「……てめー、オレに一回勝ったからって、いい気になってんじゃねーぞ」
不満げな口調で呟き、そこで眞子は不意に黙った。
「……そういや、蒸し返すわけじゃねーけど……何でお前あのとき、山田の奴を返り討ちにしてやらなかったんだよ」
「は? 急にどうしたよ。そりゃま、タイマンだったら負ける気はしねえけどな」
軽く拳を前に突き出し、苦笑する。
「あの兄貴はやばそうだったし、中途半端に抵抗して恨み買うよりかはマシかな~と。変に逆恨みされて、お前にもしもがあったらマズいだろ」
だいたい、人を殴るために鍛えてるわけじゃないからな。
「ただし、次にお前に何かあるようなら、そんときは遠慮なくぶん殴る」
「はぁ……嬉しい、けど。やっぱ無茶はやめろよ。頼むぜ、空手部」
俺の背中をバシッと景気よく叩き、眞子は朗らかに笑った。そして、何やらジーンズのポケットを探り出す。
「お前を負かして、泣いたら慰めてやろーかなって思ってたんだけどな。無駄になっちまったぜ」
それには見覚えがある。眞子が取り出したのは、透明の袋に包装された薄いピンク色のアメだった。
「お前、まだそんなの持ち歩いてたのかよ」
子供の頃に事あるごとに負かされ、泣かされたときに与えられた敗者の印。
それを持っているということは、こいつも果し合いには本気で臨んでいたということか。
「ったりめーだろ。ま、もう必要なくなっちまったかもしんねーけどな」
包装を破り、眞子はアメを口に放り込む。頬をころころと動かし、夜空を見上げるその目は、何となく寂しそうだった。
「……お前がもし男だったら、もっと昔みたいな関係が続いてたのかもな」
そんな横顔を見てしまったせいか、ふと思ったことがそのまま口から零れていた。眞子が眉を寄せ、俺を見る。
「なんだそれ。オレに告ったこと、後悔してるとか言わねーよな?」
「そうじゃねえよ。けどお前、そんな性格だからな。男に生まれたら良かったとか、思ったことないのか?」
「いや、それはねえな」
てっきり悩むのかと思ったが、意外にも即答だった。
不意に、眞子の足が止まる。遅れて振り返る俺を、彼女が正面から見上げていた。
頬がほのかに紅い。唇から漏れる微かな吐息は、夜の冷たさに白くなっている。
「眞子……?」
その潤んだ瞳に吸い込まれそうで、胸がざわつく。得も言われず、何かに期待をしている自分がいた。
「だってよ――」
たっ――と、短く地面を蹴る気配がしたかと思うと、もう眞子の顔は目の前に迫っていた。
ほんの一瞬……一秒にすら満たない、空白のような時間。
俺が支えるよりも早く身を離した眞子は、後ろ手の体勢で、さっきよりも頬を真っ赤に染めていた。
「だって、男だったら、きっとこんなにドキドキできねーだろ?」
はにかむ彼女の濡れた唇に、いやがおうにも目を奪われる。触れ合うような今の一瞬は、果たして夢か幻か。
しかし、それが現実であることを主張するかのように、口の中には安っぽいイチゴの味が広がっている。
舌の上で、コロリと溶けかけのアメが転がった。
「寒いのかよ? 顔が真っ赤だぜ?」
絶句する俺に、そんな軽口を叩いて眞子は横を通り過ぎていく。俺は慌てて振り返り、その背中を追った。
「お、おい! 眞子! ちょっと待て!」
「なんだよ!」
「一瞬で分からなかった! もう一回! もう一回だけやり直させろ!」
「な……!? はあ!? ふざけんな!!」
目を見開いた眞子は、その瞬間に俺の必死の訴えに耳も貸さずに逃げ出した。
しかし、俺の欲求は満たされず、続行を望んでいる。自分で火をつけといて、男の欲望をなめんじゃねえぞ。
「いいだろ!? なあ、おいって!」
「うるせー! 調子にのってんじゃねえよ! バカヤローッ!!」
悲鳴にも似た叫びをあげながら、星空の下、眞子が逃げる。
急きょ始まった追いかけっこは、お互いの家がゴールだ。その距離は、もういくらもない。
(ったく……何が勝っただ。これじゃ、最後の最後で逆転負けだろうがよ)
けれど、悪い気はしなかった。安心したとも言えるかもしれない。
少々背が伸び、力がついたところで、俺が眞子に敵わないところなど、山のようにあるのだ。
それこそ、今、空で輝く星の数ほどに。見つけようと思えば切りがない。
「見てろよ、ぜったい負けねえ」
このさき、俺は眞子とずっと一緒にいたい。そのためには、まずは諦めず、この追いかけっこに勝つことから始めるとしよう。
時間はたっぷりとある。一つ一つ、俺はこいつからの負けを取り戻していこう。
今、言えることがあるとすればそれしかない。
結局――俺はこの幼馴染の攻略を、一生をかけて続けて行くということだ。