表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/18

第8話 求婚しているのは、あなたです

そして話は、九月二十八日の団長室へ戻る。


 求婚相手はダリウス様だと、これ以上なく明確に伝えた。


 それでも彼は、書きかけた打診状を破り捨てず、ただ裏返しただけだった。


 言葉の意味が分からないのではない。理解した瞬間に生まれる「自分が選ばれたかもしれない」という可能性を、認めるのが怖いのだ。今の私には、そう見えた。


 そこへ、扉が乱暴に開かれた。


「団長、お呼びで――」


 入ってきたのは、金髪の美しい副団長、ジュリアン様だった。


 彼は机の上の裏返された書類と、私とダリウス様の対峙を見て、みるみるうちに疲労の色を濃くした。


「これは何ですか」


「お前の縁談だ」


 ダリウス様が真面目な顔で答える。


「聞いていません」


「今、通した」


「通さないでください」


 ジュリアン様は両手で顔を覆った。指の隙間から、私を見る。


「ハーウェル嬢。念のため伺いますが、あなたは俺と結婚したいのですか」


「いいえ」


 即答した。


 ジュリアン様が深く息を吐き、ダリウス様が眉を寄せた。


「では、なぜ今日、派遣の最終日に団長室に来た」


「ですから、ダリウス様に求婚しに来たのです」


 もう三度目だ。


 ダリウス様は答えなかった。


「今日で派遣が終わるからです。明日から、ここへ通う理由がなくなる。だから、はっきりと言葉にしました」


 私はダリウス様から目を逸らさなかった。


「私が施療室で薬草を刻んでいるとき、あなたは何も言わずに低い作業台を用意してくださいましたね」


 彼の肩が、わずかに動いた。


「怪我人の前では、あなた自身の怪我を後回しにされて。私が無理に座らせたときだけ、大人しく包帯を巻かせてくださいました」


 事実だけを、一つずつ並べていく。


「お祭りの日、私がぶつからないように、人混みとの間に立ってくださった。私があなた自身についてお聞きしたときも、逃げずに答えてくださった」


 私は彼の手を見た。


「私は、ジュリアン様のことは存じ上げません。私がこの六週間で見てきたのは、ダリウス様、あなただけです」


 部屋が静まり返った。


 ダリウス様は、机の上をゆっくりと見つめた。打診状。空き時間。贈答品の一覧。


 それから、私を見た。


 信じきれない、という顔だ。彼の中に染みついた何かが、「本気にしてはいけない」と警鐘を鳴らしているのだろう。


 私は、彼の答えを急かさなかった。


 五年かけて彼の中に積み上がった経験則が、今日一日の言葉だけで覆るとは思っていない。


 言葉で伝わらないのなら。


「信じていただけないのなら、無理に今すぐお返事はいただきません」


 私は一歩下がり、彼に向かって礼をした。


「あなたが信じられるようになるまで、何度でもお伝えします。そして、見せます」


 ダリウス様は何も言わず、ただ呆然と私を見送った。


 ジュリアン様が、すれ違いざまに私にだけ聞こえる声で呟く。


「……長期戦になりますよ」


「望むところです」


 団長室を出て、私は廊下を歩きながら小さく息を吐いた。


 最大の大技は放った。「ジュリアン目当て」という誤解は、これで塞いだはずだ。


 ここから先は、彼が「私からの好意」を信じられるかどうかの戦いになる。


 私は手帳を取り出し、明日の本院での勤務予定を確認した。


 騎士団への派遣は終わった。だが、私には私がやるべき仕事がある。



 その日の夕方。


 九月二十八日。


 派遣最終日の業務を終えて本院へ戻った私が、薬局で在庫の整理をしていると、施療院長から呼び出しを受けた。


「ハーウェル嬢。急な話で申し訳ないが」


 院長室に入ると、騎士団施療室の責任者であるグレン医師も同席していた。


「街道での灰狼の目撃例が、例年のこの時期に比べて異常に多い。秋の大移動の前兆かもしれん。騎士団側でも毒の急患が増加している」


 医師が重々しい口調で引き取った。


「北へ向かった治癒術師は、まだ戻らん。王都の騎士団施療室には、毒の進行を遅らせ、確実な応急処置ができる人間が常に必要だ。……君のことだ」


「そこで、十一月末まで、本院と騎士団の『救護連携勤務』という形をとることにした」


 院長が書類を差し出す。


「週四日の勤務のうち、二日を騎士団、二日を本院とする。これは君の働きを評価しての正式な要請だ。引き受けてもらえるか」


 私は書類を受け取った。


「……引き受けます」


 恋愛による便宜ではない。


 完全に、業務上の理由による連携勤務の延長だった。


 私は書類を抱きしめ、少しだけ天を仰ぎたくなった。


 これではまるで、私があれほど覚悟を決めて求婚したのが、ひどく滑稽な空回りだったみたいではないか。


 だが、彼に会いに行く正当な理由ができたのも事実だ。


 私は気を引き締め直し、明日の騎士団での勤務に向けて、灰狼の毒消しの在庫確認を始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ