第33話 黒熊騎士団長の結婚式・誓い
十二月十二日。
大聖堂の静寂の中、ステンドグラスを通して差し込む冬の澄んだ光が、祭壇の前に並んで立つ私たちを照らしていた。
私の隣には、黒い軍礼装に身を包んだダリウス様がいる。
無精ひげの残る顎も、頬に刻まれた白い古傷も、今日のために隠すようなことは一切していない。ただ、彼の大きな背中はどこまでも真っ直ぐに伸びており、静かな威厳を放っていた。
「ダリウス・ベルグ。そなたは、ここにいるクラリス・ハーウェルを妻とし、健やかなる時も病める時も、これを愛し、敬い、共に生きることを誓うか」
司祭の厳かな問いかけが、石造りの堂内に響き渡る。
以前のダリウス様なら、「自分のような男が」と無自覚な自己卑下の言葉を飲み込んでから答えたかもしれない。あるいは、ただ義務として短い承諾の言葉を口にしたかもしれない。
だが、彼は違った。
彼は真っ直ぐに祭壇を見据え、やがてゆっくりと私の方へ顔を向けた。
「誓う」
地を這うような、低く、力強い声だった。
「俺の意思で、彼女を妻に迎える。生涯、共に生きることを誓う」
誰に言わされたものでもない。彼自身が公の場で、明確に私を選び取った宣言だった。背後で見守る参列者たちの間から、ほう、という小さな感嘆の息遣いが漏れたのがわかった。
私も、ダリウス様の黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「誓います。いかなる困難があろうとも、私は彼を夫として敬い、共に歩んでいきます」
誓いの言葉の次は、指輪の交換だ。
神官がベルベットのクッションに乗せた二つの指輪を差し出す。
ダリウス様は、私のための細い金枠の指輪を、親指と人差し指の先でひどく慎重につまみ上げた。そして、私の左手を取る。
私の指に指輪を滑り込ませようとする彼の巨大な手が、空中でわずかに止まった。
(……震えている)
私は、彼の手にそっと触れた自分の肌越しに、その微かな振動を感じ取った。
目の前にどんなに巨大な魔獣が迫ろうとも、彼の手が剣を握って震えたことなど一度もないはずだ。その強靭な手が、私の細い指を傷つけることを恐れ、ただの小さな金属の輪を落とすまいと緊張している。
私は愛おしさで胸が一杯になり、自分から少しだけ指を押し出すようにして、彼の動きを助けた。
指輪が、無事に薬指の根元に収まる。彼は小さく、安堵の息を吐いた。
今度は、私が彼の指輪を取る番だ。
職人に特注した、彼の太い指に合わせた幅広の重い指輪。
私は両手で彼のごつごつとした左手を支え、その薬指にゆっくりと指輪を通した。彼の手には、数え切れないほどの剣ダコと古傷がある。
そのすべてが、彼が生きてきた証であり、私が愛した事実だった。
※
大聖堂の外へ出ると、冬の冷たい空気と、参列者たちの温かい歓声が私たちを包み込んだ。
祝福の鐘が鳴り響く中、人だかりの前方に、見知った家族の姿があった。
エリク様と、その奥様、そして小さな娘さんだった。
「団長、奥様。本当におめでとうございます」
エリク様の言葉に背中を押されるようにして、娘さんが私たちの前へちょこちょこと歩み出てきた。
彼女の小さな手には、秋の慰労会の時と同じように、茎の短い小さな花が握られている。
ダリウス様は、今回は迷うことなく片膝をついた。
礼装の布が擦れる重い音がして、巨大な黒熊の目線が、幼い子どもの高さまで下がる。
彼は、あの巨大な二本の指で、花を潰さないように極めて優しく受け取った。
「ありがとう」
彼の低い声には、もう以前のような戸惑いはなかった。娘さんは嬉しそうに笑って、母親の元へ駆けていく。
ダリウス様はゆっくりと立ち上がると、その小さな花を私に見せた。
「綺麗だな」
「ええ。とても」
私たちは顔を見合わせ、自然と笑みをこぼした。
※
披露宴の会場は、王都の迎賓館に用意されていた。
私たちは上座に座り、次々と訪れる客人からの祝福を受けた。
乾杯の挨拶に立ったのは、ジュリアン様だった。
「本日は、王都騎士団の誰もが予期せぬ奇跡の瞬間に立ち会えたことを、心より嬉しく思います」
彼はいつも通りの整った笑みを浮かべ、少しだけ疲れたような、けれど温かい視線をダリウス様に向けた。
「我が団長の、最初で最後の個人的な決断に。そして、私を終わりのない縁談の仲介役から解放してくださった、勇敢なる花嫁に乾杯」
会場が、どっと沸いた。ダリウス様は少しだけ渋い顔をして、手元のグラスを煽っていた。
歓談の時間になると、マリアンヌ夫人が私の元へ歩み寄ってきた。
「ハーウェル嬢……いえ、ベルグ夫人。おめでとうございます」
彼女は扇を閉じ、心からの笑みを見せた。
「本当にお似合いのご夫婦ですわ。お二人を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになります」
過去の羞恥を乗り越え、彼女はただ純粋な祝福だけを私たちに置いていった。
続いて、オスカー・ランデル卿がやって来た。
「素晴らしいお式でした。ダリウス団長、ベルグ夫人、心よりお祝い申し上げます」
彼は完全に仕事の顔になっており、過去の未練など微塵も感じさせない、洗練された礼を尽くした。
「今後とも、街道の物流についてはランデル商会にお任せを。末長いお付き合いをお願いいたします」
ダリウス様も「ああ、頼りにしている」と実務的に返した。
そして、私の父が近づいてきた。
父は少しだけ目元を赤くしながら、ダリウス様の前に立った。
「……ベルグ団長殿。どうか、あの子を……いや」
父は言葉を切り、力強く言い直した。
「二人で、支え合って生きていってくれ」
「はい。必ず」
ダリウス様は深く、静かに頷いた。
披露宴の終盤。
楽団がゆったりとしたワルツの旋律を奏で始めた。
「踊れるか」
「ええ。ですが、踏まないでくださいね」
私が冗談めかして言うと、ダリウス様は「善処する」と真面目に答え、私を広間の中央へと導いた。
並んで立つと、二人の体格差は歴然だった。
ダリウス様の大きな手は私の背中をすっぽりと覆ってしまったが、私の手は彼の肩には到底届かない。
自然と、私の右手は彼の左手の親指と人差し指を、下から握る形になった。
ダリウス様は私を無理に持ち上げるような派手なことは一切せず、ただ私の歩幅に合わせて、自分のステップを極端に小さくした。
巨大な黒熊が、足元の小さな花を散らさないように慎重に歩いているような、客観的に見ればひどく可笑しな光景だったに違いない。
だが、私にとっては、彼が完全に私に合わせてくれているという事実が、何よりも甘く、心地よかった。
「疲れていないか」
頭の上から、低い声が降ってくる。
「いいえ。とても楽しいです」
私は彼を見上げ、心からの笑みを返した。
※
夜。
すべての儀式を終えた私たちは、馬車に揺られてダリウス様の邸宅へと向かっていた。
窓の外には、冬の冴え冴えとした夜空が広がっている。
二人きりの車内には、言葉はない。ただ、隣に座る彼の体温が、厚い生地越しに伝わってくる。
改修を終えたばかりの屋敷の前に馬車が止まった。
短い出迎えを済ませた使用人たちが下がり、玄関には私たち二人だけが残された。
広くて静かな玄関ホール。
初めて、私たちだけが共有する沈黙が落ちる。不意に、少しだけ息が詰まるような緊張を覚えた。
ダリウス様は無言のまま、自分の肩に掛かっていた分厚い黒の外套を脱いだ。
そして、私が自分の外套の留め具に手をかけるより早く、彼の手が私に伸びて、私の小さな外套をそっと脱がせてくれた。
彼は玄関の壁に備え付けられたフックに向かった。
一番高い位置にある頑丈なフックに、彼の巨大な外套が掛けられる。
そして、そのすぐ隣。
私の背丈に合わせて新設された低いフックに、私の小さな外套が掛けられた。
二つの外套が、隣り合って並んでいる。
ただそれだけの光景が、今日あったどんな祝福の言葉よりも、私に「結婚した」という事実を実感させた。
もう、別々の家へ帰ることはない。
私たちはこれから先、何度でも、こうして同じ場所に外套を掛けるのだ。
「冷えるな」
ダリウス様が、私を振り返って言った。
「部屋は、暖めてある。……行こう」
「はい」
私は、彼の差し出した二本の指をそっと握った。
私たちは同じ歩幅で、私たちの家の中へと歩き出した。




