第32話 黒熊騎士団長の結婚式・朝
十二月十二日。
王都を寒波が包み込む中、雲一つない晴天の朝を迎えた。
結婚式の当日である。秋の大移動という未曾有の危機は乗り越えられ、私たちは予定通りにこの日を迎えることができた。
王都の大聖堂に併設された控室で、私は花嫁支度の真っ最中だった。
純白のドレスは、私の小柄な体格に合わせて職人が丁寧に仕立ててくれたものだ。過剰な装飾はないが、上質な絹が体の線に沿って美しく流れている。
「お嬢様、とてもよくお似合いです」
実家から同行してくれている侍女が、目元を拭いながらベールを整えてくれた。
私は鏡の中の自分を見た。
化粧で少しだけ大人びて見える自分の姿。その手には、昨日まで施療室で薬草を刻んでいたためについた、小さな切り傷や荒れが残っている。
手袋で隠れてしまう部分だが、私はこの手を恥ずかしいとは思わなかった。この手で彼を支え、彼の背中を守ってきたのだという誇りがあった。
「クラリス。入ってもいいか」
控えめなノックと共に、父が入ってきた。
私の姿を見ると、父は言葉を失い、ゆっくりと頷いた。
「……綺麗だ。お前が自分の意思で選び取った道だ。胸を張って行きなさい」
「はい、お父様。ありがとうございます」
支度が整い、私は控室の扉の前まで歩を進めた。
少しだけ緊張で指先が冷たくなっている。
その時、廊下から、聞き慣れた二人の声が漏れ聞こえてきた。
「ロシュ。席次表の最終確認だが」
「……」
「新郎側の親族席と、騎士団幹部の配席について、今一度お前に目を通しておいてほしい。それから、式の進行のタイミングだが」
「団長」
ジュリアン様の、心の底から呆れ果てたような声が響いた。
「副団長の職務外です」
私は、扉の向こうで思わず吹き出してしまった。
私の求婚を彼に丸投げしようとした時の、あの台詞だ。
「今回は縁談の仲介ではありません。あなたの、あなた自身の結婚式です。最後までご自身で確認なさいませ」
「……分かっている。だが、万が一の不備があっては」
「不備などありません。さあ、奥様がお待ちかねですよ」
ジュリアン様に背中を押されたのか、重い足音が扉に近づいてきた。
私は居住まいを正し、扉が開くのを待った。
ゆっくりと、重厚な木の扉が開かれる。
そこに立っていたのは、見上げるほどに巨大な、黒い軍礼装姿のダリウス様だった。
軍礼装は、彼のために特別に仕立て直されたものだ。
黒い生地に金糸の刺繍が施され、彼の広い肩幅と分厚い胸板を強調している。顔の古傷も、少しだけ無精に生えた髭も、そのままだった。
遠目から見ても、やはり「黒熊」と呼ばれるだけの威圧感がある。
だが、私を見下ろすその黒い瞳だけは、ひどく穏やかで、熱を帯びていた。
「……クラリス」
彼が、私の名前を呼んだ。
「お待たせいたしました、ダリウス様」
私は微笑み、彼に向けて一歩を踏み出した。
彼は片膝をつくことなく、立ったまま私を待っていた。
差し出された彼の大きな手は、いつも魔獣を前にしても揺るがないのに、今日はほんのわずかに、微かに固くなっていた。
私はその大きな手に、自分の小さな手を重ねる。
やはり、彼の手全体を握ることはできない。
だから私は、彼の親指と人差し指の間に自分の指を滑り込ませ、あの二本指の形で、しっかりと握りしめた。
ダリウス様の強張っていた肩の力が、フッと抜けたのが分かった。
「行くぞ」
「はい」
私たちは歩幅を合わせ、大聖堂の長い身廊へと足を踏み入れた。
これから始まる誓いの場へ向かって。




