第28話 延期するとしたら、ここからです
十一月二十二日。
結婚式を約三週間後に控えたその日、私はダリウス様と共に、騎士団本部の応接室で式の最終確認を行っていた。
テーブルの上には、招待状の最終宛先リストや、当日の式次第、そして両家の親族が座る席次表が広げられている。
ダリウス様は、老眼鏡こそかけていないものの、眉間に深い皺を刻んでリストの文字を一つずつ追っていた。
「……よし。これで第二便の招待状も、漏れなく発送できるな」
彼が自らペンを取り、リストの最後の項目に署名をする。
「ダリウス様。宛先は本当にこれでよろしいですか。ロシュ公爵家への招待状は、当主様とジュリアン様、それぞれ個別にお出ししてありますね」
私が尋ねると、彼は一瞬だけペンを止め、あの日の『打診状誤爆事件』を思い出したのか、気まずそうに咳払いをした。
「ああ。今回は間違えん。自分で宛名を確認した」
その不器用な真面目さが可笑しくて、私は小さく笑った。以前ならジュリアン様に丸投げしていたような事務作業も、彼は今、自分の責任で確実にこなそうとしている。
すべての書類の確認が終わると、私は手元の手帳を開いた。
「ダリウス様。式についての確認は以上ですが、もう一つ、決めておかなければならないことがあります」
私の真剣な声色に、彼も表情を引き締めた。
「なんだ」
「結婚式の『延期』の基準についてです」
ダリウス様は、言葉を失ったように目を丸くした。
「延期、だと? なぜだ。お前は、結婚したくなくなったのか」
「そうではありません」
私は首を横に振った。
「北の宿場が閉鎖され、薬材の輸送が遅延しています。王都薬院の毒消しの在庫も、すでに平時の十二日分しかありません。秋の大移動が、例年より一ヶ月早く、しかも大規模なものになる可能性が高いからです」
私は彼を真っ直ぐに見据えた。
「ダリウス様。もし式の当日、あるいはその直前に、魔獣の群れが王都に迫っていた場合、私たちはどうするべきですか」
感情論で「何があっても式を挙げる」と言うのは簡単だ。
だが、彼は王都を守る騎士団長であり、私は施療院で負傷者を救う助手だ。私たちが私情を優先して持ち場を離れれば、どれだけの命が失われるか分からない。
ダリウス様は、深く息を吐き出した。
「……お前の言う通りだ。非常事態の基準を決めておく必要がある」
彼は地図を広げ、指で王都の外縁をなぞった。
「第三防壁を突破された時点。あるいは王都外縁に避難命令が出た時点。それに加えて、救護所と本院の双方が収容限界を超え、非常招集が継続している場合。このいずれかを満たした場合、式は延期とする」
「承知いたしました」
私はその基準を手帳に書き込んだ。
「それから、もう一つ」
ダリウス様は、私ではなく、地図の上の王都の門をじっと見つめながら言った。
「もし俺が前線に出て、王都へ戻れなくなった場合。あるいは、指揮系統が分断された場合の、指揮代行順位を正式に指定しておく」
彼はペンを取り、地図の端に名前を書き込んでいく。
「第一代行はジュリアン。第二代行は第一大隊長のランツ。それから、前線と王都の救護所を繋ぐ伝令網の責任者を、エリクに任せる」
「エリク様にですか」
「ああ。あいつは馬の扱いが上手く、何より状況を正確に見極める目がある。お前が救護所にいるなら、あいつに情報を走らせるのが一番確実だ」
彼の言葉には、私への確かな信頼があった。
もし王都に危機が迫れば、彼は前線で剣を振るい、私は後方で負傷者を助ける。離れた場所で、別々の戦いをすることになる。
そのための準備を、私たちは今、二人で行っているのだ。
「ダリウス様」
「ん?」
「救護所の医療責任者はグレン医師にお願いし、私は入り口での状態確認と、物資・搬送の調整を担います。本院の院長にも、その体制で許可をいただいておきます」
ダリウス様は少しだけ眉を寄せたが、すぐに頷いた。
「……分かった。医療判断は医師へ渡せ。人手も物資も、一人で抱えるな」
「はい」
その時だった。
応接室の扉が叩かれ、青ざめた顔の騎士が飛び込んできた。
「団長! 斥候からの緊急報告です!」
ダリウス様が立ち上がる。
「報告しろ」
「北の山群を越え、灰狼を主力とする大規模な魔獣の群れが、予測線を突破しました! 王都へ向けて、猛烈な速度で南下中です!」
私は、手元の手帳を強く握りしめた。
恐れていた事態が、予測よりもずっと早く、現実のものになろうとしていた。
秋の大移動が、始まったのだ。




