第27話 子どもの家名は、誰のものですか
十一月中旬。
ダリウス邸の家具の配置が決まった数日後、私たちは王都の星付きの料理店で、父と三人で会食の席を設けていた。
この日は単なる顔合わせではなく、正式な婚姻条件を詰めるための話し合いだった。
料理の皿が下げられ、食後の茶が運ばれてくると、父は静かに口を開いた。
「さて、ベルグ卿。今日は少し、現実的な話をさせてもらいたい」
父の表情は、いつになく硬かった。
「我がハーウェル家は地方子爵だが、卿は一代子爵だ。このまま結婚すれば、クラリスは卿の籍に入る。それは問題ない。だが……将来、二人の間に生まれた子どもはどうなる」
ダリウス様は、手元のティーカップから視線を上げ、真っ直ぐに父を見た。
「私が一代子爵である以上、家督の世襲は約束されていません。王家から特例の沙汰がない限り、私の子は貴族の身分を引き継げない可能性があります」
それが、一代貴族という身分の限界だった。
武勲によって得た爵位は、原則として一代限り。ダリウス様は平民の出身であり、彼に連なる由緒ある「家名」や「領地」というものは存在しない。
「その通りだ」
父は小さく息を吐いた。
「実は、親族の古老たちから、この結婚に対して懸念の声が上がっている。ベルグ家が一代で終わり、将来生まれる子が貴族の身分を継げぬままでは、ハーウェル家の名にも関わると」
私は、膝の上で手をきつく握りしめた。
公式会合で見た、あの古参貴族と同じ偏見が、今度は私の身内から突きつけられているのだ。
「お父様。私は……」
私が言い返そうとした時、ダリウス様の大きな手が、テーブルの下で私の手をそっと押さえた。
出過ぎるな、と。ここは自分が話す、という無言の合図だった。
ダリウス様は、少しも怯むことなく父に向き直った。
「ハーウェル卿。親族の方々のご懸念はもっともです。私が平民の出である事実は変えられませんし、子どもに確固たる身分を約束することも、今の私にはできません」
彼の低い声が、静かな個室に響く。
「ですが、私は『自分にないもの』を、クラリス嬢の家名で補おうとは思いません。必要なら、これまでの功績とこれからの職務をもって、王家へ世襲許可を願い出ます。ただし、そのために命を粗末にして戦功を稼ぐつもりはありません」
彼は、テーブルの下で私の手を握った。
「爵位は子どもの人生を守るための選択肢であって、子どもの人生そのものではない。将来は、その子も交えて決めます」
その言葉には、一切の迷いも嘘もなかった。
自分が力で切り開いてきた道を、家族へ押しつけるのではなく、選べる道として残す。彼はそう宣言したのだ。
父は、じっとダリウス様の顔を見つめていた。
やがて、父の口元がわずかに緩んだ。
「……親族の古老たちは、血統や家格ばかりを気にします。ですが、親である私が気にするのはただ一つ。娘の選択を尊重し、いざという時に二人で答えを出せる男かどうか、それだけです」
父は、テーブルの上に置かれた契約書を指でトントンと叩いた。
「今ここで、まだ見ぬ子どもの未来を完全に決定する必要はありません。将来、子がどう生きるにせよ、その選択肢を狭めないように二人で努力する。……それで十分でしょう」
私は、安堵で深く息を吐き出した。
ダリウス様は、自分の出自を恥じることも、誤魔化すこともなかった。そして父も、古い価値観よりも、私たちがこれからどう生きていくかという「姿勢」の方を評価してくれた。
会食を終え、店を出ると、外は冷たい風が吹いていた。
ダリウス様は無言で、私に歩幅を合わせて歩いてくれる。
私は、彼の大きな手の横に自分の手を添え、あの二本指の手繋ぎでそっと彼の指を握った。
「ダリウス様」
「ん?」
「お父様に、あのように言っていただいて、嬉しかったです」
彼が私の家名に寄りかからず、自分の力で私たちの未来を守ると言ってくれたことが、何よりも誇らしかった。
ダリウス様は少しだけ視線を逸らし、大きな指でカップの取っ手を撫でた。
「……事実を言ったまでだ。俺には、それしかできんからな」
不器用な彼の言葉に、私は小さく笑った。
その時。
前方から、馬を駆けさせてきた騎士がダリウス様の前で急停車した。
「団長! 至急のご報告です!」
ダリウス様の顔が、一瞬にして引き締まる。
「どうした」
「北道の『白狼の宿』が、魔獣の群れに襲撃されました。宿場は完全に閉鎖。街道の物流は、現在完全にストップしております」
冷たい風が、私たちの間をすり抜けていった。
北の宿場町の閉鎖。
それは、薬材の輸送が途絶えるだけでなく、秋の大移動の波が、すぐそこまで迫ってきていることを意味していた。




