第26話 二人で暮らす家は、二つの高さ
十一月中旬。
結婚式まで一ヶ月を切り、私は休日のたびにダリウス様の私邸へ通っていた。
王都の西区にある彼のお屋敷は、一代子爵の邸宅としては随分と質素で、華美な装飾は一切ない。広くて天井が高いのは、主人の体格に合わせたからだろう。
今日は、私たちが一緒に暮らすための家具の配置を決める日だった。
「大掛かりな改築は不要ですわ。今ある家具を少し動かして、足りないものを買い足すだけで十分です」
私は事前に書いてきた間取り図を、食堂の大きなテーブルに広げた。
ダリウス様は私の隣に立ち、図面を覗き込む。
「……それで、本当に良いのか」
「ええ。ですが、いくつか変更したい箇所はあります」
私はペンを取り、図面の一部を丸で囲んだ。
「まず、洗面所と厨房の棚です。ダリウス様が使われている高い棚はそのままに、私の背丈に合わせた低い棚をもう一段、下に追加していただきたいのです。今のままだと、私は毎日踏み台を持ち歩かなければなりません」
ダリウス様は、私の頭の先から足元までを見て、真面目に頷いた。
「そうだな。お前には高すぎる。すぐに手配させよう」
「それから、書斎の机ですが」
私は彼が普段使っている巨大な執務机を指した。
「あの机の隣に、私のための小さな机を並べて置いてもよろしいでしょうか。夜間、ダリウス様が急な書類仕事をされる時、私も施療院の記録や勉強をしたいのです」
「構わん。だが、俺の机は傷だらけで無骨だぞ。もっと女性らしい、華奢な机のほうがいいのではないか」
「私が薬材の計算をするのに、華奢な机では困ります。頑丈なものが一番です」
私がきっぱりと言うと、彼は少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「……分かった。お前の使いやすいものを探そう」
私たちは屋敷の中を歩き回り、実際の生活の動線を確認していった。
夜間に急な呼び出しがあった際、ダリウス様が慌てて飛び出しても、私とぶつからないような通路の確保。
彼が巨大な体を屈めなくても座れる椅子と、私が足をぶらつかせずに座れる椅子の配置。
そして、私の薬箱を置くための専用の低い棚の場所。
「ダリウス様。この廊下の角の飾り棚は、撤去していただいてもよろしいですか」
私が指差したのは、ちょうど彼が急いで歩く時、肩がぶつかりそうな位置にある背の高い棚だった。
「夜中に出動される際、ここに肩をぶつけているのではありませんか?」
ダリウス様は、わずかに気まずそうに目を逸らした。
「……二度ほど、棚ごと倒したことがある」
「やはり。撤去しましょう」
彼は、自分の生活空間に私が介入してくることを、決して嫌がらなかった。
むしろ、私が一つ提案するたびに、真剣に検討し、すぐに実行に移そうとする。
「自分の家へクラリスを合わせる」という発想は、彼にはない。彼の中ではすでに、最初から「二人の生活を作る」という段階に意識が進んでいるのだ。
ふと、寝室の前に来た時だった。
ダリウス様は立ち止まり、大きな手で自分の首の後ろを撫でた。
「……寝台だが」
「はい」
「新しく、特注のものを頼んである。俺の重さで沈まないように、木枠を特別に太くしてあるそうだ」
私は、彼の身長と肩幅を改めて見た。
彼の大きな体を支え、なおかつ私が隣で寝返りを打てる広さを確保するとなると、それは相当な巨大さになるはずだ。
「それは助かります。ダリウス様が寝返りを打つたびに、私が床に転がり落ちては困りますからね」
私が冗談めかして言うと、彼は耳の裏まで真っ赤にした。
「そんなことはさせん。絶対に、落とさない」
必死に弁明する彼の姿がおかしくて、私は声を立てて笑った。
二つの高さが同居する家。
高い棚と低い棚。巨大な机と小さな机。
不釣り合いに見えるかもしれないが、これが私たちに一番合った、私たちの家の形になる。
夕方。
王都のタウンハウスへ帰る私を見送るため、ダリウス様は玄関まで出てきてくれた。
「今日はありがとうございました。家具の配置が決まって、少し安心しました」
「……ああ。俺もだ」
彼は私の手を取り、あの二本指の手繋ぎの形で、そっと握った。
そこへ、息を切らした伝令の騎士が駆け込んできた。
「団長! ご報告です!」
ダリウス様の顔が、一瞬にして冷徹な指揮官のものに変わる。
「何事だ」
「北からの木材と薬材の便ですが、輸送が完全にストップしました。北道にある宿場町が一つ、魔獣の襲撃を恐れて閉鎖されたとのことです」
私は、彼に握られたままの指先に、ぎゅっと力が入るのを感じた。
木材が届かなければ、救護所の増設や新しい家具の製作に遅れが出る。
薬材が届かなければ、施療院の灰狼の毒消しの在庫は底をつく。
「……分かった。すぐに代替の輸送網を確保する」
ダリウス様は伝令に短く命じ、それから私を見た。
秋の大移動は、もうすぐそこまで迫っていた。




