表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/38

第25話 結婚しても施療院へ行きます

五日間の巡回施療を終え、私は西の街道から王都へ戻った。


 増員された護衛が剣を抜く事態はなかったが、沿道の村では灰狼に噛まれた家畜が例年の三倍に増えていた。診療記録と目撃地点は、帰還したその日のうちに本院と騎士団へ提出した。大移動の早まりは、もはや予感ではなく数字になりつつある。


 十一月も中旬に入り、吐く息が白く色づく季節になった。


 ダリウス様との結婚式を翌月に控え、私は彼と正式に話し合わなければならないことがあった。


 この日、騎士団の施療室での業務を終えた私は、団長室を訪ねた。


「ダリウス様。結婚後の私の仕事について、ご相談があります」


 私は彼が執務机に向かっている前に立ち、用意してきた一枚の紙を差し出した。


 彼が紙を受け取り、その黒い瞳が文字を追う。


「……結婚後も、施療活動を続けたいということか」


「はい。ですが、これまで通りというわけにはいきません。騎士団長の妻としての責務もありますから」


 私は紙に書いた項目を、一つずつ説明し始めた。


「勤務頻度は現在の週四日から、週二日に減らします。本院と騎士団へ一日ずつです」


 感情的な「どうしても続けたい」という訴えはしなかった。


 彼は騎士団長だ。妻が危険な現場に出ることを感覚的に嫌がるのは分かっている。だからこそ、私は具体的な条件を提示し、専門家同士の共同設計としてこの問題を解くつもりだった。


「夜間の急患呼び出しには、原則として応じません」


 私は二つ目の項目を指差した。


「ただし、秋の大移動のような非常事態宣言が出た場合のみ、例外とします。その際も、単独での外出はせず、必ず護衛を同行させることを条件とします」


 ダリウス様は紙を見つめたまま、静かに口を開いた。


「……護衛は、俺が手配する。騎士団から、腕の立つ者を二人、お前の専属につけよう」


「はい。ありがとうございます」


 私は頷いた。彼が最初から反対せず、条件のすり合わせに入ってくれたことが嬉しかった。


「それから、権限についてです」


 私は続けた。


「私はあくまで『貴族奉仕助手』であり、医師ではありません。診断や魔法による治癒はできません。その一線を越えるような責任は負わないこと、そして、手に余る事態が起きた場合は、直ちに専門家へ引き継ぐことをお約束します」


 ダリウス様はペンを取り、私の書いた紙の余白にいくつかの項目を書き足した。


「夜間の外出だけでなく、日中の移動時も、本院と騎士団の往復には必ず護衛をつけること。……それと」


 彼の手が少しだけ止まり、それから力強く書き込まれた。


「週に最低一日は、必ず俺と一緒に夕食をとること。互いの仕事がどれだけ忙しくても、これだけは守れ」


 私は、彼の書き足したその文字を見て、少しだけ笑ってしまった。


「はい。もちろんです」


 それは、「夫が許す」でも「妻が押し切る」でもない、私たち二人が共に生活していくためのルールだった。


 彼が、私の仕事を奪うことなく、私が安全に働き続けられる環境を一緒に作ろうとしてくれている。それが、何よりも誇らしかった。


「……ところで、ダリウス様」


 私はふと、思い出したことを口にした。


「先ほど、本院の院長から伺ったのですが」


「なんだ」


「王都の薬院に備蓄されている灰狼の毒消しが、平時の三十日分から、現在十二日分まで減っているそうです」


 ダリウス様が、ペンを置いた。その太い眉が、険しく寄る。


「十二日分、だと?」


「はい。……ですが、これはあくまで『平時』の消費量で計算した場合です。もし秋の大移動が本格化し、負傷者が急増すれば」


 私は手元の資料に目を落とした。


「消費量は通常の約四倍に跳ね上がります。つまり、実質的には三日分しか在庫がないということです」


 団長室の空気が、一気に張り詰めた。


 ダリウス様は立ち上がり、壁に掛けられた王都周辺の巨大な地図の前に立った。


「……北からの薬材便の遅れが響いているな」


「はい。昨日も到着しなかったと報告がありました」


 ダリウス様は地図の上の、北の街道を指でなぞった。


「魔獣の動きが、予想よりはるかに早い。……これは、本格的に備えを固める必要がある」


 彼は振り返り、私を見た。


「クラリス。本院と騎士団の『救護連携』だが、今の中庭の施療室だけでは、大規模な負傷者の受け入れに対応しきれん」


「はい。私もそう思います」


「門の近くにある空き倉庫を、臨時の救護所として整備する案がある。お前も、その設計に加わってくれ」


 私は深く頷いた。


 結婚後の生活の約束を交わしたばかりだが、その前に、私たちはこの王都を守るための戦いを乗り越えなければならない。


 二人の共同設計は、ただの家庭内のルールにとどまらず、現場の最前線へと広がろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ