第24話 俺も、嫌だった
十一月上旬。
王都は例年より早く本格的な冬の気配に包まれていた。
本院での勤務の日、救護連携の会議に来ていたグレン医師から、ある打診を受けた。
「ハーウェル嬢。三日後から始まる、西の街道沿いへの短期巡回施療隊に参加してくれないか」
グレン医師は少し申し訳なさそうに言った。
「本来なら別の助手を出す予定だったのだが、風邪で倒れてしまってね。君なら現場の判断も的確だし、何より魔獣の襲撃に対する心構えもできている。期間は五日間だ」
「……はい。私でよろしければ、お引き受けいたします」
私は頷いた。
結婚を控えた身とはいえ、私はまだ施療院の正式な助手だ。現場が人手を必要としているなら、行くのが筋だった。
その日の夕方。
私は騎士団へ立ち寄り、団長室で書類仕事をしていたダリウス様にその話をした。
「西の街道への巡回だと?」
ダリウス様は、ペンを置いて顔を上げた。その太い眉が、見る間に険しく寄っていく。
「西の街道は、秋の大移動の斥候と思われる小型魔獣の目撃情報が昨日入ったばかりだ。平時ならともかく、今は危険すぎる。護衛は何人つく」
「各馬車に二名ずつだと伺っております」
「それでは足りん。野営の際の警戒網はどうなっている。宿泊地は」
ダリウス様は、まるで私が今から前線の戦場へ向かうかのように、次々と危険な条件を並べ立て始めた。
「……やはり、行かせるわけにはいかん。本院の院長には俺から話を通そう」
彼はそう言って、机の上の白紙を引き寄せようとした。
私は、彼の分厚い胸の前に手を差し出した。
「ダリウス様。お待ちください」
「なんだ」
「あなたは今、私抜きで私の仕事の限界を決めようとしています」
私の静かな言葉に、ダリウス様はハッとして動きを止めた。
彼が私の幸せを勝手に決めないと約束したのは、つい先日のことだ。
彼は白紙から手を離し、ゆっくりと深く息を吐いた。
それから、私の目を真っ直ぐに見た。
「……すまん。俺が悪かった」
彼は不器用に謝罪した。
「……クラリス。お前は、どうしたい」
彼が、私の意志を聞いてくれた。
私は嬉しくなり、少しだけ表情を和らげた。
「私は行きたいと考えております。現場で私が役に立てるなら、行くのが私の仕事ですから。もちろん、安全のための規定は守ります」
ダリウス様は、しばらく黙って私の顔を見つめていた。
やがて、彼はぽつりと言った。
「お前が行きたいと言うなら、俺は止めない」
低く、胸の奥へ重く沈む声だった。
「だが、それとは別に、俺の感情だけは伝えておく」
彼は私の手を取り、その太い指で、私の親指と人差し指をそっと包み込んだ。
「……他の男と長く一緒なのは、嫌だ」
私は、目を見開いた。
巡回施療隊には、若い男性医師や護衛の騎士も多数同行する。
彼は、危険だからという理屈の裏で、ただ純粋に、私が他の男性と五日間も寝食を共にすることが「嫌だ」と言っているのだ。
「俺は、心が狭い男らしい。お前が俺の目の届かない場所で、他の男たちと親しく口をきくと思うだけで……腹の底が煮えるように苛立つ」
ダリウス様は、耳の裏まで真っ赤にしながら、ひどく不器用に、しかし正直に告白した。
私は、少しだけ泣きそうになりながら笑った。
「……存じています。ですが、それは仕事の判断とは別の話ですわね」
「ああ。分かっている」
彼は私の指を握ったまま、小さく頷いた。
結局、私は予定通り巡回施療隊に参加することになった。
ただし、ダリウス様は私個人に護衛をつけるのではなく、斥候報告を根拠に巡回隊全体の警備計画を改めた。各馬車の護衛を二名から四名へ増やし、街道に詳しいエリク様を連絡役につける。心配を職権乱用にせず、隊全体の安全へ変えたのは、彼なりの成長だった。
◇ ダリウス ◇
彼女の指は、少しだけ冷たかった。
他の男と五日間も一緒に過ごす。そう考えただけで、あの時と同じ、黒い泥のような感情が腹の底で渦を巻いた。
大通りで、彼女がランデル家の男と笑い合っていたのを見た時と同じ感情だ。
あの時、俺はこの感情の名前を知らなかった。
だが、今は違う。
クラリスが俺に言った言葉を思い出す。
『あなたが他の女性から好意的な目を向けられることに、私は嫉妬しています』
そうか。
これが、嫉妬か。
彼女が俺に向けてくれたのと同じ感情を、俺も彼女に対して抱いている。
その事実が、ひどく恐ろしく、そしてひどく甘美だった。
……斥候からの報告が上がってきている。
今年の秋の大移動は、間違いなく早い。
彼女を守るためには、俺自身が前線に立ち、魔獣の群れを王都へ近づけないことが何よりも重要だった。




