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第19話 帰った時、あなたにいてほしい

楽団の音が止まっていた。


 慰労会の広間は、水を打ったように静まり返っている。


 誰も動かない。誰も声を発しない。


 私が世間や危険を理由にした答えを退け、「ダリウス様ご自身は、私と結婚したいですか」と問うた後。


 ダリウス様は、私の両手に掴まれた自分の手首を見下ろしていた。


 いつもの位置だ。見上げなければ、目が合わない。


 その視線が、一度だけ床へ落ちた。


「……笑われる」


 ひどく低く、かすれた声だった。


「誰がですか」


「あなたが」


 彼は、世間の目を理由にして私を遠ざけようとした。


 彼自身の傷ではなく、私が嘲笑されることを何よりも恐れていたのだと、その不器用な一言が証明していた。


「では、笑った方の前で、私は笑い返します」


 肩に掛けた外套が重い。裾が床に広がって、自分の足がどこにあるのかすら分からない。


 それでも、私は掴んだ手を緩めなかった。


「世間の話はもう結構です。ダリウス様は、どうしたいのですか」


 ダリウス様の大きな手が、拳になった。


 開いた。また、きつく握られた。


 自分の望みを問われて言葉を探すこの方を、私は初めて見た。


 魔獣の前でも、血の海の中でも、この人は必ず即答していたのに。


「俺は」


 声が、途中で切れた。


 彼は一度深く息を吸い、そして、絞り出すように言った。


「……討伐から帰った時、あなたにいてほしい」


 広間の照明が、少し滲んで見えた。


「施療室の灯りが点いていると、足が速くなる。消えていると、遅くなる」


 地面の底から響くような、けれどどこか震える声だった。


「それが、答えだ」


 私は息を吸った。吸わないと、声が出そうになかった。


「では、確認いたします。ダリウス様は、私と結婚したい。よろしいですね」


「……そうだ」


 彼が一歩、近づいた。


 大きな影に包まれるこの感覚を、私は最初の日から知っている。


 大きな手が、迷うように上がった。


「抱きしめても――」


 最後まで言わせなかった。


 私は外套の裾を踏みそうになりながら、その分厚い胸へ飛び込んだ。


「今さら訊くのですか」


 硬い軍服越しでも、彼の心臓の音が聞こえる。思っていたよりずっと速かった。


 背中に、両腕が回った。


 ゆっくりと、力を測るように。壊れ物を扱うような慎重な手つきで、それでも決して離さないというように、強い力がこもっていく。


 ふと、彼の腕の力が少しだけ緩んだ。


「すまん」


 頭の上から、低い声が降ってくる。


「信じた後も、失うのが怖かった。だから、お前のためだと言って、逃げようとした」


 彼の不器用な謝罪に、私は彼の胸に顔を埋めたまま答えた。


「……傷つきました」


 私は、彼の腕の中で顔を上げた。


「すぐに全部無罪になどしません。ですから、次からは勝手に私の幸せを決めないと約束してください」


 ダリウス様は、少しだけ驚いたように私を見つめ、それから、今まで見たこともないような、ひどく柔らかい顔で頷いた。


「……ああ。約束する」


 どこかで、誰かが手を叩いた。


 二人、三人。


 すぐに、それは波のような拍手となって広間中に広がった。


 ダリウス様が、私をそっと離した。


 そして、軍礼装の膝を石床についた。


 重い音がして、視界の高さが揃った。


 この方の顔が、見上げずに、正面にある。頬の傷も、黒い瞳も、全部が同じ高さにあった。

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