↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第3章:指導者への道

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
93/104

第93話 タイムアップ

アディショナルタイム、四分。


浦和は必死に、ボールを回していた。


時間を使うためのパス。


それでも一つ一つのプレーに集中力が宿っていた。


ルカが最後の力を振り絞り、中盤に上がってくる。


「まだだ、切らすな」


拓人の声が、ベンチから飛ぶ。


翔太が後方から、声を張り上げた。


「ライン、まだ保つ。慌てるな」


数ヶ月前には見せなかったリーダーの声だった。


若手選手たちがその号令に、素早く反応する。


チーム全体が一つの生き物のように、時間を守り抜こうとしていた。


木村が体を寄せ、ルカからボールを奪い取った。


その瞬間審判が、腕時計を確認する仕草を見せた。


拓人は思わず、息を止めた。


長い笛の音が、スタジアムに響いた。


試合終了。


1-0。


浦和レッズ、クラブワールドカップ、優勝。


その瞬間、拓人の中で何かが、堰を切ったように崩れ落ちた。


選手たちが一斉に、ピッチに倒れ込んだ。


光が両手で顔を覆い、動かなくなった。


木村が翔太に飛びついた。


若手選手たちも次々と、輪の中心に駆け寄っていく。


拓人はベンチの前で、しばらく立ち尽くしていた。


実感がまだ追いついていなかった。


坂上が駆け寄ってきて、拓人の両肩を強く掴んだ。


「監督、優勝です。世界一です」


「はい」


それだけ答えるのが精一杯だった。


拓人はゆっくりと、スタンドを見渡した。


無意識のうちに誰かの姿を探していた。


そこにいないとわかっているはずの家族の顔を。


節子の笑顔、誠の頷き、子供たちのはしゃぐ姿。


もちろんそこには誰もいなかった。


その代わり目に入ったのは、観客席の一角で日の丸を掲げる小さな一団だった。


現地在住の日本人サポーターたちが涙を流しながら手を振っていた。


拓人はその方角に向かって深く頭を下げた。


一人ではない。


その実感があらためて胸に広がっていった。


ピッチでは選手たちが次々と拓人のもとへ駆け寄ってきていた。


光が真っ先に抱きついてきた。


「監督、世界一ですよ、世界一!」


「ああ」


拓人の声はほとんど掠れていた。


木村も翔太も涙を拭きながら輪に加わった。


若手フォワードが初めて人前で大声を上げて泣いた。


拓人はその一人一人の顔をしっかりと、目に焼き付けた。


一人一人の顔に、それぞれの物語が刻まれていた。


孤独を抱えていた光。


秋田から出てきたばかりの木村。


公式戦の経験すらなかったあの頃の翔太。


誰もがそれぞれの壁を越えて、今ここに立っている。


拓人自身も、その一人だった。


施設で育ち、誰にも期待されずに生きてきた少年が、今、世界一のチームを率いている。


そのことを、拓人はまだ、完全には信じきれずにいた。


それでも、この手にしたトロフィーの重みだけは、確かな現実だった。


数ヶ月前、諦めムードに包まれていたあのグラウンド。


そこからここまでたどり着いた。


光がしばらく、拓人のそばを離れなかった。


「監督」


「なんだ」


「ありがとうございます」


それだけ言うと、光はまた涙をこぼした。


拓人はその肩を、黙って抱いた。


言葉よりその方が、伝わる気がした。


木村と翔太も二人で何かを、話し込んでいた。


きっとこれまでの日々のことを、振り返っているのだろう。


試合後拓人はルカとピッチの中央で向き合った。


「おめでとう、拓人」


ルカが右手を差し出した。


「ありがとう」


拓人はその手をしっかりと握り返した。


「悔しいけど」


ルカが少し笑った。


「お前のチーム、本当に、強かった」


「個の力じゃ、勝てないくらいに、な」


拓人は首を横に振った。


「個の力も、すごかった。お前はまったく衰えてない」


「それでも今日は、俺たちが一枚上手だった」


ルカはその言葉に深く頷いた。


「今度は、飯でも、食おう。ゆっくりとな」


「ああ、必ず」


二人はもう一度固く握手を交わした。


十年以上の月日を経て、まったく違う立場で再び交わった二人の道だった。


周囲の記者たちが、その握手の瞬間を、次々とカメラに収めていた。


翌日の紙面を飾る一枚だと、拓人は後になって知った。


ルカが去り際に、もう一度振り返る。


「拓人、良い監督になったな」


「お前も、良い選手のままだ」


その一言を最後に、ルカは自分のチームのもとへ戻っていった。


表彰式が、始まった。


トロフィーが運ばれてくる。


主将の木村が、まずそれを高々と掲げた。


続いて選手たちが次々と、トロフィーに触れていく。


拓人も坂上に促され、その輪の中に加わった。


トロフィーに触れた瞬間、これまでのすべての記憶が脳裏を駆け巡った。


施設で過ごした幼い日々。


遥との出会い、そして別れ。


三人の子供たちとの泥だらけの日常。


川口の仲間たち、フェニックスの子供たち。


浦和でのコーチ就任からの、すべての戦い。


そのすべてが、この小さなトロフィーに集約されていた。


坂上が隣でそっと、目頭を押さえていた。


「監督、ここまで、よく来ましたね」


「坂上さんこそ、ずっと信じてくれました」


坂上はそれ以上何も言わず、ただ頷く。


その夜ホテルの部屋で拓人のスマートフォンが震え続けた。


節子からの動画が届いていた。


再生する。


リビングで家族全員が抱き合って跳ねていた。


誠が珍しく大声で叫ぶ。


「世界一だ、世界一だぞ!」


葵と結衣がその周りをぐるぐる走り回る。


航太がカメラに向かって親指を立てていた。


拓人はその光景を何度も繰り返し見た。


胸の奥から温かいものがこみ上げてくる。


佐藤からも短いメッセージが届いていた。


「拓人。お前、本当に、大したもんだよ」


その一言だけで十分だった。


フェニックスのグループチャットにも大量のスタンプと、メッセージが溢れていた。


蓮からは、一言だけ。


「拓人さん、次は、俺の番です」


その短い宣言に、拓人はしばらく画面を見つめた。


いつかこの舞台で、蓮のプレーを見る日が来るかもしれない。


そんな未来を想像するだけで、胸が熱くなった。


拓人は窓の外を見た。


決勝の熱狂がまだ街に残っているようだった。


だが拓人の心はすでに少し先を見ていた。


明日には日本へ帰る。


家族の顔を直接見られる日が近づいていた。


拓人はスマートフォンの画面をもう一度見つめた。


家族からの動画の最後のシーンで、葵が何かを手に持ちカメラに見せていた。


小さくてよく見えなかったがそれは、確かに拓人の胸に引っかかった。


「これ、何だろう」


節子が動画の途中で、カメラに向かって何か言いかけていた。


だが航太が後ろから、その画面を遮ってしまいよく聞き取れなかった。


拓人はその部分だけ、もう一度再生してみた。


「拓人さん、実は葵がね」


そこでまた、映像が途切れていた。


拓人はその画面を少し拡大してみた。


だが画質が粗くはっきりとはわからなかった。


「まあ、帰ったら、わかることか」


拓人はそう呟いて、スマートフォンを鞄にしまった。


世界一という称号を手にした夜。


それでも拓人の心は、すでに川口の家へと向かい始めていた。


◆次回予告◆


帰国した拓人を、待っていたもの。


葵が、大切そうに、抱えていた、あの体操着袋。


そこに施された、不格好なアップリケが、意味するものとは。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現代ドラマ ヒューマンドラマ スポーツ サッカー 家族 感動 シングルファーザー 育児 涙腺崩壊注意 実話風 成長物語 Jリーグ 海外サッカー 父と子 泣ける ノンファンタジー 元プロサッカー選手 レアル・マドリード 浦和レッズ 埼玉 川口
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。