第87話 ACLE制覇
延長後半、残り五分。
オフサイドの判定に、木村はしばらく膝をついたままだった。
拓人はベンチから声を飛ばした。
「切り替えろ。まだ終わってない」
木村がゆっくりと立ち上がった。
その目に悔しさと、まだ消えない闘志が同居していた。
残り時間、両チームとも決定機を作れないまま時計の針が進んだ。
延長終了。
2-2。
決着はPK戦に持ち越された。
拓人は選手たちを集めた。
円陣が組まれた。
誰も言葉を発さなかった。
代わりに手が一つずつ重なっていく。
その輪の中心で拓人は、選手たちの顔を見渡した。
数ヶ月前には想像もできなかった顔ぶれだった。
「五人、選ぶ」
光が真っ先に手を挙げた。
「俺、蹴ります」
「わかってる」
木村も続いた。
「俺も」
翔太は少し迷ってから頷いた。
「やらせてください」
拓人はその顔ぶれを見渡し、五人目を若手のフォワードに託した。
光がその若手に声をかけた。
「大丈夫だ。俺たちが繋いだ流れを、切らすな」
「はい」
若手はその言葉に少しだけ、表情を和らげた。
「頼む」
若手選手が緊張の面持ちで頷いた。
PK戦、開始。
観客席の一角で、少数の日本人サポーターが肩を組んでいた。
その光景を拓人はベンチから、一瞬だけ見た。
遠く離れた場所にも支えてくれる人たちがいる。
その事実が拓人の背中を静かに押していた。
先攻は相手だった。
一人目、決める。
浦和、一人目は木村。
助走、シュート。
ゴール右へ。
決める。
一対一。
相手、二人目も決める。
浦和、二人目は翔太。
キーパーの動きを最後まで見極める。
決める。
二対二。
相手、三人目。
キーパーが渾身のセーブを見せた。
スタジアムが一瞬で沸いた。
浦和、三人目、若手フォワード。
緊張で足が震えていた。
それでも蹴り出した。
決める。
二対二のまま、優位に立った。
若手はガッツポーズもせず静かに、列へ戻った。
その落ち着きに拓人は驚かされた。
相手、四人目。
決める。
三対二。
浦和、四人目は光だった。
助走に入る前、光は一度だけ拓人の方を見た。
拓人はただ頷いた。
光が蹴った。
ゴールネットが揺れる。
三対三。
相手、五人目。
キーパーが再び体を投げ出した。
シュートはわずかに枠を外れた。
三対三のまま、サドンデスに突入した。
拓人の胸にこれまでにない緊張が走った。
浦和の六人目は木村だった。
「もう一度、頼む」
「任せてください」
木村が助走に入る。
蹴った。
ゴール左上。
決める。
四対三。
相手、六人目。
キーパーがコースを完璧に読んでいた。
シュートはキーパーの手にはじかれた。
スタジアムが静まり返る。
ホイッスルが鳴った。
浦和レッズ、優勝。
アジアの頂点に立った瞬間だった。
選手たちが次々とグラウンドに倒れ込んでいく。
光が両手で顔を覆い、泣いていた。
これまで人前で涙を見せたことのなかった男が、今は隠すことなく泣いていた。
その姿に拓人の目にも熱いものがこみ上げた。
木村がキーパーのもとへ駆け寄る。
拓人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
坂上が駆け寄ってきた。
「監督、優勝です。本当に、優勝です」
拓人はようやく実感が追いついてきた。
選手たちが拓人のもとへ集まってくる。
光が真っ先に抱きついてきた。
「監督、やりました」
「ああ、やった」
木村も翔太も次々と輪に加わる。
表彰式、トロフィーが運ばれてきた。
主将の木村がそれを高く掲げる。
歓声がスタジアムを包んだ。
光が拓人の隣に来て、小さく呟いた。
「監督、俺、施設のことも家族のことも忘れたことは、一度もないです」
「でも今日だけは、何もかも忘れて喜べました」
拓人はその言葉に深く頷く。
「それでいい」
拓人はその光景を少し離れた場所から見つめていた。
川口の公園、フェニックスのグラウンド、埼玉スタジアム。
これまで歩いてきた道がすべてこの瞬間に繋がっていた。
その夜、拓人のスマートフォンに家族からの動画が届いた。
再生する。
リビングで家族全員が抱き合って喜んでいた。
誠が珍しく大きな声を出していた。
「優勝だ、優勝したぞ!」
その声に拓人は思わず笑った。
節子が涙を拭きながら画面に近づいてきた。
「おめでとう」
短いその一言が、これまでのすべてを労っていた。
葵と結衣が二人で飛び跳ねていた。
拓人はその光景を何度も繰り返し見た。
坂上から別のメッセージが届いていた。
「クラブワールドカップ、出場権も、確定しました」
「対戦候補に、世界の強豪が、名を連ねています」
拓人はその一文を何度も読み返した。
かつて自分が戦っていた場所に今度は、監督として戻ることになるかもしれない。
そんな予感が胸をよぎった。
拓人はその文面を静かに読んだ。
アジアの頂点は、ゴールではなかった。
トロフィーを掲げる木村の姿を、拓人はもう一度目に焼き付けた。
選手たちの笑顔、涙、抱擁。
そのすべてが、これまでの積み重ねの結晶だった。
川口の仲間たちからも次々と、メッセージが届いていた。
佐藤からは短く一言。
「よくやった、監督」
その素っ気なさが逆に佐藤らしかった。
拓人はその一言を見て静かに笑った。
その先にまた新しい舞台が待っていた。
窓の外、ジッダの夜空に星が瞬いていた。
◆次回予告◆
クラブワールドカップ、組み合わせ抽選が行われる。
そこに刻まれていたのは、思いもよらないあるクラブの名前だった。
拓人の運命が再び、大きく動き始める。
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