第76話 和のポジショナルプレー
翌朝、拓人はコーチ陣を集めた。
ホワイトボードに、図を描く。
「ボールを持たない時の、立ち位置を、変える」
木村が首をかしげた。
「立ち位置、ですか」
「欧州のポジショナルプレーは、個の判断力が前提だ」
「でも、うちの選手には、別の強みがある」
拓人はペンを、ボードに走らせた。
「周りを見て、譲り合う力」
「誰かが動けば、誰かが埋める。それが自然にできる」
コーチの一人が頷いた。
「日本人らしい、間合いってことですか」
「そうだ。名付けるなら」
拓人は少し考えた。
「和のポジショナルプレー」
その場の空気が少し、緩んだ。
「監督、ネーミングセンス、ありますね」
木村が、笑いながら言った。
「茶化すな。中身が大事だ」
練習が始まった。
ピッチに五角形のマーカーが、並べられる。
「ここに立て。次はここ」
拓人が選手を、動かしていく。
光が指定の位置に、走り込んだ。
木村が、そのすぐ後ろを埋める。
「近すぎる。もっと開け」
拓人の声が、飛ぶ。
選手たちが位置を、調整する。
三本目のパスコースが、通った。
「これだ」
拓人は思わず、声を上げた。
翔太が別の角度から、聞いた。
「監督、これ、誰かが決めるんですか。それとも」
「決めない。感じて、埋めろ」
翔太は少し、考えるような顔をした。
「難しいですね」
「難しい。でも、お前らには、できる」
練習が、繰り返された。
光が、木村に、聞いた。
「お前、今、なんでそこにいた」
「なんとなく」
「なんとなくって」
「お前が動くの、見えたから」
木村は、それだけ答えた。
光は少し黙った。
それが、答えのすべてだった。
一週間、二週間。
選手たちの動きが、少しずつ揃い始めた。
言葉で説明しきれない、間合いのようなもの。
それが、ピッチの上に、形として現れ始めていた。
対戦相手の分析担当が、試合後、こぼしたという。
「浦和の動き、予測できない。誰が、どこに来るか、読めないんだ」
その言葉が、拓人の耳にも届いていた。
狙い通りだった。
リーグ戦は、順調だった。
勝ち星が、積み重なっていく。
順位表で、浦和レッズの名前が上位に定着し始めた。
スポーツ紙が新しい見出しを打った。
「和のポジショナルプレー、浦和の新戦術」
拓人の名付けた言葉が、そのまま、記事の見出しになっていた。
光が、その記事を練習場に持ってきた。
「監督、これ、正式名称になっちゃいましたよ」
「勝手に名付けるからだ」
木村が、笑いながら言った。
拓人は、苦笑いした。
半分は、恥ずかしさ。
半分は、誇らしさだった。
翔太が、その様子を、少し離れた場所から、見ていた。
「監督、嬉しそうですね」
「そうか」
「はい。珍しく」
拓人は、何も、言い返さなかった。
坂上が練習場を、訪れた。
以前とは明らかに、表情が違っていた。
「監督、いい流れですね」
「まだ、道半ばです」
「謙遜はいい。数字が、証明してます」
坂上は、手にした資料を拓人に渡した。
「今シーズンの、リーグ順位」
拓人はその紙に、目を落とした。
三位。
自己最高位だった。
「この順位なら」
坂上が続けた。
「来シーズンの、ACL出場権が、視野に入ります」
その一言に、拓人は、顔を上げた。
「ACL、ですか」
「アジアの頂点を、争う舞台です」
坂上は、そこで一度、言葉を切った。
「もちろん、最終節まで、油断はできません」
「はい」
「ですが、選手たちには、伝える価値があると思います」
坂上の声には、これまでにない熱がこもっていた。
拓人の脳裏に、ある光景が浮かんだ。
レアル・マドリード時代、欧州の舞台で戦った日々。
あの熱気を、今度は、この選手たちと、味わえるかもしれない。
「選手たちに、伝えてもいいですか」
「もちろんです」
その日の練習後、拓人は選手たちを集めた。
「今シーズン、このまま行けば」
拓人は一度、言葉を止めた。
「ACL出場権が、視野に入ってきた」
グラウンドが、一瞬、静まり返った。
それから大きな歓声に、包まれた。
光が両手を、突き上げた。
木村が、隣の選手と肩を組んだ。
翔太も、涙ぐみながら拍手をしていた。
拓人は、その光景をしばらく見つめる。
数ヶ月前、この同じグラウンドには、諦めムードが漂っていた。
今、そこにあるのは、まったく違う景色だった。
「アジアの頂点、狙いにいくぞ」
拓人の言葉に、選手たちが、雄叫びを上げた。
その夜、拓人は家に帰り、家族に報告した。
誠が静かに頷いた。
「ACL、か」
「はい」
「見に、行けるのか、そういう試合」
「もちろんです」
誠は、それだけ聞くとまた頷いた。
多くを、語らなかった。
それでも、その目には、確かな期待が、宿っていた。
節子が、キッチンから、顔を出した。
「私も、応援しに行くわね」
「結衣も、連れて行きます?」
「まだ、早いかしら」
そんな会話が、リビングに、流れていた。
その週末、シーズン最終節を浦和は快勝で終えた。
順位は三位で、確定した。
ACL出場権、獲得。
拓人は、スタジアムの照明の下、選手たちと抱き合った。
これは、まだ、始まりに過ぎなかった。
アジアという新しい舞台が、目の前に開かれようとしていた。
◆次回予告◆
ACL出場が、正式に決まる。
アジアの強豪たちが、次々と、その名を連ねる組み合わせ。
浦和レッズにとって、未知の戦いが、幕を開けようとしていた。
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