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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第3章:指導者への道

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第73話 最初の采配

ロッカールームで、拓人は選手たちを前に、初めて監督として言葉を発した。


「今日から、俺が監督だ」


短い挨拶だった。


「やることは、変わらない。観察して、動く。それだけだ」


選手たちが、静かに頷いた。


光が、拓人の目を、まっすぐ見ていた。


「監督、緊張してますか」


「してる」


拓人は正直に答えた。


「でも、お前らの方が、頼りになる」


その言葉に、選手たちの表情が少し和らいだ。


円陣が組まれる。


木村が拓人の顔を、まっすぐ見た。


「監督、俺たち、今日のために、ずっと準備してきました」


「わかってる」


「行くぞ」


拓人の声に、選手たちが声を揃えた。


キックオフの笛が鳴る。


相手は、今季すでに二度、浦和を退けているチームだった。


前半、相手の圧力は想像以上だった。


前半十五分、右サイドを崩され、先制点を許した。


ベンチの拓人は、動揺を必死に抑えた。


これまでとは、違う重さがあった。


采配の一つ一つに、自分の名前が直接結びついている。


「落ち着け、まだ前半だ」


拓人はピッチに、声を飛ばした。


だが選手たちの動きは、硬いままだった。


木村も、いつものパスコースを読み違えていた。


観客席から坂上が、じっとピッチを見つめていた。


その視線が、拓人の背中に重くのしかかっている気がした。


初めての采配は、思うようにはいかなかった。


前半終了、〇対一。


ロッカールームで、拓人は選手たちを見渡した。


叱責の言葉は、浮かんでこなかった。


代わりに静かに、問いかけた。


「怖いか」


誰も答えなかった。


「怖くて当然だ。俺も、怖い」


その一言に、選手たちが拓人を見た。


「でも、後半、一つだけ、試したいことがある」


拓人はホワイトボードに、簡単な図を描いた。


「翔太、後半、お前を入れる」


翔太が驚いた顔をした。


これまで、公式戦での出場経験が、ほとんどない選手だった。


「俺、ですか」


「お前の守備の切り替え、フェニックスの時と同じだ」


「相手の攻撃の芽を、誰よりも早く摘める」


翔太は、しばらく拓人の顔を見つめていた。


「わかりました。やります」


その返事に、拓人は頷いた。


これは、データにも経験則にも、頼らない選択だった。


観察してきた、選手一人ひとりの小さな変化。


その積み重ねが、今、采配として、形になろうとしていた。


他の選手たちも、その言葉に何かを感じ取っているようだった。


木村が、翔太の肩にそっと手を置いた。


「お前の切り替え、俺、信じてるから」


翔太は小さく頷くと、ベンチを立った。


後半、翔太がピッチに送り出された。


相手の攻撃陣が、面食らったような、動きを見せた。


翔太が、鋭い読みでパスコースを、次々と断ち切っていく。


「あいつ、こんなに、動けるのか」


木村が思わず、声を漏らした。


流れが少しずつ、変わり始めていた。


後半二十分、光がペナルティエリア付近で、ボールを受けた。


これまでの光なら、迷わず、シュートを選んでいた場面だった。


だが光は一瞬、周囲を見渡した。


フリーの木村が、視界に入る。


光は迷わず、ラストパスを選んだ。


木村が、これを確実に決めきった。


同点。


スタジアムが、揺れるような歓声に包まれた。


光が、拓人のいるベンチの方を見た。


拓人は小さく、拳を握った。


遥、見てるか。


心の中でそう呟いていた。


答えは返ってこなかったが、確かに、背中を押されているような気がした。


その後は両チーム、譲らない展開が続いた。


試合終了の笛が、鳴った。


一対一。


苦手としていた相手から、初めて勝ち点をもぎ取った瞬間だった。


選手たちが抱き合い、健闘を称え合った。


翔太が木村に、肩を叩かれていた。


「お前のおかげだよ、あの守備」


翔太は少し、照れくさそうに頭を下げた。


光も翔太のもとへ、駆け寄ってきた。


「お前、公式戦、初めてだったよな」


「はい」


「見事だったよ、あの読み」


光の言葉に、翔太の目が少しだけ潤んだ。


拓人はベンチの前で、しばらくその光景を見つめていた。


初陣。


完璧とは程遠い内容だった。


だが確かに、何かを掴んだ実感があった。


坂上が拓人のもとへ、歩み寄ってきた。


「監督としての、初勝ち点、おめでとうございます」


「勝てませんでした」


「引き分けです。それでも、あの相手から勝ち点を取ったのは、大きい」


坂上の声には、これまでにない柔らかさがあった。


選手たちが順番に、拓人のもとへ声をかけにきた。


木村が、最後に、笑いながら言った。


「監督、次も、頼みますよ」


「ああ、次も」


拓人はその一言に、静かに頷いた。


その夜、拓人はエルザタワーへの帰路、スマートフォンを握りしめていた。


誰に真っ先に、この結果を伝えたいか。


考えるまでもなかった。


画面に表示された名前は、佐藤だった。


発信ボタンを押す指が、少しだけ震えていた。


呼び出し音が二回、鳴った。


「拓人?」


佐藤の声が、聞こえた。


「兄貴」


拓人は、それだけ言うと言葉に詰まった。


「どうした、何かあったのか」


「監督、やることになりました。今日、初陣でした」


「結果は?」


「一対一、引き分けです」


電話の向こうで佐藤が、少し黙った。


「拓人」


「はい」


佐藤の声が少し、震えていた。


「上出来じゃねえか」


その言葉には、これまでの日々をすべて知っている人間だけが持てる重みがあった。


フェニックスの土手、育児の日々、川口で過ごした時間。


そのすべてが、今日のこの結果に繋がっている気がした。


その一言に、拓人はそれ以上、何も言えなくなった。


◆次回予告◆


佐藤への報告に込められた思いとは。


川口の仲間たちが、拓人の門出を、静かに見守っていた。


電話の向こうから聞こえる声に、拓人の胸が、震えていた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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