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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第3章:指導者への道

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70/81

第70話 成績不振

去年の王者との一戦は、前半のうちに終わっていた。


三十分で二点を先制されていた。


相手の個の力が、これまでの相手とは明らかに違う。


一人がボールを持てば、二人、三人が引き寄せられる。


相手のパス回しは、これまで対戦したどのチームよりも速かった。


一つのミスが、そのまま失点に直結する。


守備の連携を仕込んできた数週間が、まだ十分ではなかったと拓人は痛感していた。


前半だけで、決定機を四度作られる。


浦和の連動した守備が、初めて機能不全を起こしていた。


「マークがずれてる、戻れ!」


拓人の声がピッチに響く。


だが選手たちの動きは、いつもより固かった。


光も、いつものような自由な動きが見られない。


パスを受けても、無理に一人で仕掛けようとする場面が増えていた。


「篠田さん、繋いでください」


木村の声にも余裕がなかった。


光はその声に一瞬、足を止めた。


だが次の瞬間には、また無理なドリブルを仕掛けていた。


ボールを奪われ、そのままカウンターを許す。


以前の孤立していた頃の癖が、顔を出していた。


拓人はそれを見て、胸の奥がざわついた。


積み上げてきたものは、こんなにも脆いのかもしれない。


その不安を、拓人は必死に打ち消した。


後半、浦和は一点を返した。


だが、それ以上は届かなかった。


試合終了の笛が鳴った瞬間、スタジアムから拍手はほとんど起きなかった。


選手たちが俯いたまま、ピッチを後にする。


その光景を、拓人は無言で見送っていた。


四連勝の後、初めての黒星だった。


ロッカールームは重い沈黙に包まれていた。


誰も口を開かない。


神崎が選手たちを見渡してから、静かに言った。


「今日は切り替えろ。次がある」


その声には、いつもの張りがなかった。


拓人はその様子を、少し離れた場所から見ていた。


一つの敗戦がこれほど空気を変えるものかと、あらためて実感する。


翌週の試合も簡単ではなかった。


引き分け。


その次の試合も、僅差で敗れた。


三戦、勝ちなし。


五位まで上がっていた順位が、気づけば八位まで落ちていた。


たった二週間で、積み上げてきたものが崩れていくようだった。


練習中のミスに、選手同士が苛立ちをぶつけ合う場面も増えていた。


「もっと早く戻れよ」


「わかってる、うるさい」


そんな小さな衝突が、以前にはなかったものだった。


木村が、拓人のもとへ、ため息交じりに言う。


「コーチ、なんか、みんな、余裕なくなってますよね」


「そうだな」


「四連勝の時は、あんなに楽しかったのに」


木村の言葉に、拓人は、静かに頷くしかなかった。


練習場に、フロントの人間が姿を見せるようになった。


強化部長の坂上が、無言でグラウンドの隅に立ち選手たちを見つめている。


その視線に、選手たちの動きが目に見えて硬くなった。


「監督」


練習後、坂上が神崎を呼び止めた。


拓人は少し離れた場所で、その様子を見ていた。


「四連勝の時とは、まるで別のチームですね」


「相手が格上続きでしたから」


「言い訳は聞きたくないんですよ」


坂上の声は抑揚がなかった。


「フロントは結果を見ています。それだけです」


坂上はそう言うと、手にしたファイルを軽く叩いた。


「来季の契約更改も近い。忘れないでください」


その一言には、はっきりとした圧力がこもっていた。


坂上は、それだけ言うと、踵を返して去っていった。


その後ろ姿を、拓人は、しばらく見つめていた。


数字だけを見る人間と、選手一人ひとりの成長を見る人間。


二つの立場の違いを、これほど強く感じたことはなかった。


神崎は何も言い返さなかった。


ただ頷いただけだ。


坂上が去った後、神崎はしばらくその場から動かなかった。


拓人が近づいて声をかけた。


「大丈夫ですか」


「大丈夫じゃないな」


神崎はそう言って、小さく笑う。


その笑いには力がなかった。


「こういう時、真っ先に切られるのは監督なんだよな」


拓人は、何も答えられない。


神崎の言葉は、どこか自分に言い聞かせるようだった。


拓人はその背中を見つめながら、川口で見送ったあの背中を思い出していた。


大切な人が静かに疲れていく姿を、また見ることになるのかもしれない。


そう思うと、胸の奥が重く沈んだ。


その夜、練習後のグラウンドで、光が一人シュート練習を続けていた。


拓人は少し離れた場所から、その様子を見ていた。


以前の孤独に沈む練習とは、少し違って見えた。


「光」


拓人が声をかけると、光が振り返った。


「コーチ」


「無理するな」


「無理じゃないです。ただ悔しくて」


光はボールを蹴りながら続けた。


「せっかく、みんなで積み上げてきたのに」


「これでまた、昔みたいに戻るのかなって」


拓人は静かに首を振った。


「戻らない」


「積み上げたものは、簡単には消えない」


「本当ですか」


「本当だ。負けが続いても、お前らの繋がりは変わってない」


光はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「明日も、練習、頑張ります」


光がボールを拾い上げ、もう一本シュートを放つ。


ネットが揺れる音が、静かなグラウンドに響いた。


その音を背に、拓人は駐車場へ向かった。


明日からも、この状況と向き合い続けなければならない。


その覚悟を、あらためて胸に刻んだ。


翌朝、練習が始まる前、拓人のスマートフォンが鳴った。


木村からだ。


「コーチ、聞きましたか」


「何をだ」


「フロントが、監督の進退について話し合ってるらしいです」


拓人はその言葉に、思わず足を止めた。


「誰から聞いた」


「事務のスタッフが、そう話してるのを聞いたって」


拓人は電話を切ると、すぐにグラウンドへ向かった。


いつもの時間に、神崎の姿が見当たらない。


代わりに、コーチ陣のもとへ事務局から連絡が入った。


「神崎監督、至急、本部にお越しくださいとのことです」


それだけの情報しか、伝えられていなかった。


いつ呼ばれたのか、何のためなのか、詳細は誰にもわからない。


だがこの時期の呼び出しが、何を意味するのか。


想像するのは、決して難しいことではなかった。


グラウンドに集まった選手たちの間にも、不穏な空気が広がっていく。


光が拓人のもとへ駆け寄ってきた。


木村や他の選手たちも、次々と拓人の周りに集まってきた。


誰もが不安そうな表情を隠せずにいる。


「コーチ、監督、どうしたんですか」


拓人はすぐには答えられなかった。


窓の外、本部棟の方角を、思わず見つめてしまう。


これから、何が決まろうとしているのか。


昨夜、葵が描いてくれた絵が、ふと脳裏をよぎった。


ベンチに座る、あの姿が今の自分と重なる。


支えたいと思う場所が、いくつも目の前にあった。


家族と、このチームと。


どちらも、簡単には手放したくなかった。


その答えを、拓人はまだ知らなかった。


◆次回予告◆


本部に呼び出された神崎に、フロントが下す決断とは。


浦和レッズの舵取りが、大きく揺れ動こうとしていた。


「お前が、このチームを世界へ連れて行け」


その一言が、拓人の運命を静かに変え始める。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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