第64話 個別に飯
光の無断欠席は四日目を迎えていた。
拓人は朝、練習前に、もう一度神崎に相談した。
「フロントは、どう言ってるんですか」
「まだ強くは言ってきてない。でも、時間の問題だ」
拓人は頷いた。
「連絡は、まったく取れないんですか」
「メッセージは既読にはなる。でも、返信はない」
拓人は少し考えた。
無理に会いに行くべきか。それとも、今は待つべきか。
これまでの経験が、無理に踏み込めば光はさらに心を閉ざす、と告げていた。
拓人は光への直接的なアプローチを一旦諦めることにした。
その代わり別の方法を考え始めていた。
光だけを特別扱いするのではなく、チーム全体との関係を、まず見直す。
その中で光が少しずつでも戻ってきやすい環境を作る。
拓人はその日の練習後、選手たちに一つの提案をした。
「今日から、順番に、俺と飯を食いに行かないか」
選手たちは少し意外そうな顔をした。
「コーチと、ですか」
「ああ。一対一で、飯を食いながら、話がしたい」
一人の若手選手が少し戸惑いながら聞いた。
「何か、面談みたいなことですか」
「面談じゃない。ただの、飯だ」
拓人は少し笑った。
「何が嫌か。何が楽しいか。家族はいるか。そういう雑談だ」
選手たちは顔を見合わせた。
「順番、どうやって決めるんですか」
「くじにするか」
拓人は小さな紙を用意していた。
選手たちの名前を一枚ずつ書いた紙を箱に入れる。
「今日から、一人ずつ順番に呼ぶ。都合が悪ければ、遠慮なく言ってくれ」
その日の夜、拓人は最初に選ばれた選手と練習場の近くの定食屋で向き合っていた。
木村という、まだ若い選手だった。
「緊張します」
木村が少し硬い表情で言った。
「緊張しなくていい。ただの飯だ」
拓人はメニューを木村に渡した。
「好きなもの頼め」
木村は少し迷いながら生姜焼き定食を注文した。
拓人は同じものを頼んだ。
「木村、実家は、どこだ」
「秋田です」
「一人暮らしか」
「はい。寮を出て去年から」
拓人は頷いた。
「寂しくないか」
木村は少し驚いた顔をした。
「そういうこと聞かれたの、初めてです」
「そうか」
「みんな、プレーのことしか聞いてこないんで」
拓人は少し考えてから言った。
「プレーは生活の上に成り立ってる。生活が崩れてたら、プレーも崩れる」
木村はその言葉を噛み締めるように聞いていた。
「実は少し寂しいです。夜、一人で飯食う時、特に」
拓人は頷いた。
「今日は、こうやって誰かと食えて良かったな」
木村は少し笑った。
「はい」
その夜の食事は一時間ほど続いた。
サッカーの話も少しはしたが、それ以上に木村の日々の暮らしについての話が多かった。
拓人はそれを丁寧に聞いた。
これはフェニックスの子供たちと、同じやり方だった。
答えを急いで与えようとしない。ただ、聞く。
翌日は別の選手だった。
その次の日も、また別の選手。
一人一人、話す内容は違った。
でも共通していたのは、誰もが自分のことを深く聞かれる経験が、これまであまりなかったということだった。
「コーチ、こんなこと聞いて、いいんですか」
ある選手が少し戸惑いながら聞いてきた。
「何が」
「みんな、俺のこと、プレーでしか見てないんで」
拓人は少し笑った。
「プレーだけの人間なんて、いない」
選手はその言葉に少し目を潤ませた。
拓人はその様子を、黙って見ていた。
一週間が経つ頃には、チームの中に目に見える変化が現れ始めていた。
選手たちの拓人への態度が少しずつ変わっていた。
これまでどこか距離を感じさせていた選手たちが、練習中、拓人に自分から話しかけてくるようになった。
「コーチ、今のプレー、どうでしたか」
「コーチ、あの選手のこと、どう見てます」
拓人はその一つ一つに丁寧に答えた。
神崎がある日、練習を見ながら拓人に言った。
「拓人、チームの空気、変わったな」
「そうですか」
「みんな、お前に心を開き始めてる」
拓人は少し考えてから答えた。
「時間がかかることです。でも、無駄じゃないと思います」
神崎は頷いた。
「光のことも、まだ諦めてないのか」
「はい」
「連絡、取れそうか」
拓人は少し迷ってから答えた。
「まだ、直接は連絡してません」
「なんでだ」
「今、無理に近づいても、意味がないと思って」
神崎は少し意外そうな顔をした。
「じゃあ、どうするつもりだ」
拓人はグラウンドの隅に目をやった。
「チーム全体が変わってきたのを、あいつが見た時。その時に、初めて意味を持つと思います」
神崎はしばらく拓人を見つめていた。
「お前、本当に根気強いな」
拓人は少し笑った。
「育児で、鍛えられました」
その週の終わり、拓人は練習後、いつものように車に向かっていた。
その時、練習場の入り口に、見覚えのある人影が立っているのに気づいた。
光だった。
拓人は思わず足を止めた。
一週間ぶりの姿だった。
光は少し痩せたように見えた。目の下に、うっすらとクマがある。
拓人はゆっくりと光に近づいた。
「久しぶりだな」
光は何も答えなかった。
ただじっと拓人を見ていた。
その視線は、これまでの反抗的な目とは、明らかに違っていた。
拓人は急かさずに待った。
しばらくの沈黙の後、光がようやく口を開いた。
「コーチ」
その声は、これまでとは、まったく違う震えを帯びていた。
「話、聞いてもらえますか」
◆次回予告◆
一週間ぶりに現れた光が、拓人に初めて自分から話しかけてくる。
その声の震えに、拓人は、これまで誰にも語らなかった光の過去の一端を予感する。
近くの公園のベンチで、光がゆっくりと口を開き始める。
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