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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第3章:指導者への道

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第61話 川口の日常

コーチとしての生活が始まって、二週間が経った。


拓人の一日は、これまで以上に慌ただしくなっていた。


朝五時起き。


弁当作り。


子供たちの送り出し。


練習場へ移動。


コーチ業。


夕方、迎え。


夕飯。


宿題。


風呂。


寝かしつけ。


選手時代とは、また違う忙しさだった。


選手時代は、体を追い込む忙しさだった。


今は、頭と時間を細かく配分し続ける忙しさだった。


朝、拓人は、いつものように台所に立っていた。


卵を割りながら、今日の練習メニューを頭の中で組み立てる。


同時に、航太の学校の提出物も確認する。


「パパ、今日の弁当、卵焼き?」


葵が、リビングから声をかけてきた。


「ああ、卵焼きだ」


「やった」


拓人は、少し笑った。


弁当箱に、卵焼きと唐揚げ。


それから、おにぎりを詰めていく。


結衣は、まだ大人と同じものは食べられない。


取り分けられる柔らかいものを、別に用意する。


一つ一つの作業に、無駄はなかった。


無駄にできる時間もない。


それでも、拓人は、その忙しさに不思議な心地よさを感じていた。


節子が、週に三回ほど、家に来てくれるようになっていた。


「拓人さん、練習、何時からだったかしら」


「今日は十時からです」


「じゃあ、朝の送り、私がやっておくわね」


節子は、そう言って、結衣を保育園へ連れていってくれる日もあった。


拓人は、その手助けに何度も救われていた。


「本当に、助かってます」


拓人が言うと、節子はいつも優しく笑った。


「私も、孫の顔が見られて嬉しいのよ」


その言葉に、拓人はいつも胸が温かくなった。


佐藤も、変わらず支えてくれていた。


フェニックスの練習は、今は別のコーチが引き継いでいる。


それでも佐藤は、時々、拓人の家に様子を見に来てくれた。


「レッズの方は、どうだ」


「まだ、手探りです」


「まあ、焦るな」


佐藤は、いつものように缶コーヒーを差し出してきた。


「フェニックスの方は、どうですか」


「蓮も、翔太も頑張ってるよ。新しいコーチも、なかなか悪くない」


拓人は、少し安心した。


「良かったです」


「お前がいなくなって、寂しがってる子もいるけどな」


佐藤は、少し笑いながら言った。


「それは、悪いことしましたね」


「悪いことじゃない。お前は、次の場所で頑張ればいい」


拓人は、その言葉に深く頷いた。


練習場では、光の変化が少しずつ続いていた。


毎回、劇的に変わるわけではない。


でも、パスを選ぶ場面が、少しずつ増えていた。


他の選手たちも、その変化に気づき始めていた。


「篠田、最近、変わったよな」


「なんか、周り、見るようになった」


そんな会話が、選手たちの間で交わされている。


拓人は、それを耳にしていた。


でも、まだ、その変化を確信にはしていなかった。


一日、二日で、劇的に変わる人間はいない。


拓人自身が、そうだったからだ。


航太との関係も、少しずつだった。


時間をかけて、修復されてきた。


光にも、同じ時間が必要なはずだった。


ある夕方。


拓人が、結衣を保育園に迎えに行くと、先生が声をかけてきた。


「糸井さん、結衣ちゃん、最近、お友達との遊び方が上手になってきましたよ」


拓人は、少し驚いた。


「そうなんですか」


「順番を待てるようになったり、貸してあげたり」


拓人は、その言葉に少し嬉しくなった。


「ありがとうございます」


結衣を抱き上げると、結衣は、いつもの笑顔を見せた。


「ぱぱ、おかえり」


「おかえりじゃなくて、ただいまだろ」


拓人が笑いながら言うと、結衣は少し首を傾げた。


その仕草に、拓人はまた笑った。


夕食の時間。


拓人は、家族全員と食卓を囲んでいた。


航太は、最近、少し忙しそうにしていた。


学校の課題や、部活のようなものに取り組んでいるらしい。


「航太、最近、何してるんだ」


拓人が聞くと、航太は少し視線を逸らした。


「別に、普通」


「普通、というのは」


「言わない」


拓人は、それ以上聞かなかった。


それでも、その様子に気になるものを感じていた。


これまでの反抗期の頃の拒絶とは、少し違う。


隠しているというより、まだ話す準備ができていない。


そんな印象だった。


拓人は、その違いを頭の中で静かに整理した。


急かさず、待つ。


これは、これまで何度も繰り返してきた、拓人自身の原則だった。


夕食が終わり、子供たちが、それぞれ部屋に戻っていった。


拓人は、リビングで一人、明日の練習メニューを確認していた。


スマホが震えた。


学校からの連絡だった。


「来週、個人面談があります。ご都合、いかがでしょうか」


拓人は、少し考えた。


これまで、こういった学校行事に拓人自身が直接参加することは、あまりなかった。


節子に頼むことが多かった。


でも、今回は、自分で行こうと思った。


航太の学校での様子を、直接知りたかった。


拓人は、スケジュールを確認した。


面談の日程を承諾する返信を送った。


その夜。


拓人は、ベッドに入りながら、今日一日を振り返った。


節子の助け。


佐藤の言葉。


光の小さな変化。


結衣の成長。


航太の少し違う雰囲気。


コーチとしての仕事も、父親としての役割も、どちらも簡単ではなかった。


それでも、支えてくれる人が、こんなにもそばにいた。


家族。


節子。


誠。


佐藤。


数日後。


拓人が、学校の面談に向かう準備をしていると、航太が少し緊張した様子で、リビングに現れた。


「パパ、面談、行くの」


「ああ、行くぞ」


航太は、何かを言おうとして、やめた。


拓人は、その様子を見逃さなかった。


「何か、あるのか」


航太は、少し間を置いてから答えた。


「別に。ただ」


「ただ?」


「先生に、何言われても、変な顔しないでね」


拓人は、その言葉の意味を、うまく飲み込めなかった。


航太は、それ以上説明せず、自分の部屋へ戻っていった。


拓人は、その背中をしばらく見つめていた。


面談の日を、少し複雑な気持ちで待つことになった。


◆次回予告◆


学校の個人面談当日。


担任の先生が、拓人に思いがけない言葉を告げる。


「航太くん、最近、父親と話せるようになってきたと、作文に書いていました」


その一言に、拓人は帰り道、空を見上げることになる。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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