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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第3章:指導者への道

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第57話 コーチ就任

浦和レッズの練習場に、拓人は久しぶりに足を踏み入れた。


選手として過ごした日々が、鮮明によみがえる。


紅白戦でのミス。


保育園の送り迎えに間に合うかという緊張。


木村や中山との会話。


あの頃とは、まったく違う立場だった。


拓人は今、コーチとしてここに立っている。


コーチ用のジャージに袖を通す。


鏡に映った自分の姿を、拓人は見つめた。


選手時代とは違う緊張感が、体の奥にある。


神崎が、練習場の入り口で待っていた。


「拓人、来たか」


「よろしくお願いします」


拓人は深く頭を下げた。


神崎は笑って、拓人の肩を叩く。


「そんなに、かしこまるな。今日から同じスタッフだ」


拓人は頷いた。


「ロッカールーム、案内する」


神崎に連れられ、拓人はロッカールームへ向かった。


扉を開けた瞬間だった。


空気が変わった。


選手たちの視線が、一斉に拓人へ向いた。


若い選手が多い。


二十歳前後の顔ぶれが並んでいる。


その視線から、拓人は警戒心を感じ取った。


元スター気取り。


そんな言葉が、視線の奥から透けて見える。


神崎が選手たちへ拓人を紹介した。


「今日から新しいコーチだ。糸井拓人」


選手たちは、それぞれ小さく会釈した。


拓人も頭を下げる。


「よろしくお願いします」


反応は薄かった。


拓人は、その表情の奥を見ようとした。


これは、育児を通して身についた癖だった。


表面に出た反応だけでは、人の本音はわからない。


一人は拓人と目を合わせない。


別の選手は、隣の選手と小声で話している。


そして、拓人の目に留まった選手がいた。


ロッカーの隅に座る若いFW。


スマホをいじっている。


他の選手は、少なくとも紹介の間だけは顔を上げていた。


だが、その選手だけは違った。


拓人を見ようともしない。


「あいつは?」


拓人が小声で聞くと、神崎の顔が曇った。


「篠田光。今年うちに入ってきた期待の若手だ」


「期待の若手ですか」


「才能は本物だ。でも……」


神崎は言葉を濁した。


「まあ、練習を見ればわかる」


拓人は光をもう一度見た。


スマホを操作する指は止まらない。


練習への興味が薄い。


そう見える姿だった。


それでも拓人には、単なる怠慢には思えなかった。


練習が始まった。


拓人は、まず選手たちの動きを見ることにした。


フェニックスの子供たちを見ていた時と同じだ。


一人一人の技術。


癖。


判断の傾向。


データではなく、実際の動きから読み取っていく。


光のプレーは、確かに抜きん出ていた。


ボールを持った瞬間、周りとは明らかに違う。


タッチの細かさ。


一瞬の加速。


シュートの精度。


才能は、疑いようがなかった。


だが、その一方で、明らかな偏りもある。


味方へのパスが極端に少ない。


自分でシュートまで持ち込もうとする。


チームとしての連携が、光の周りだけ途切れていた。


紅白戦の途中。


光が味方からのパスを受けた。


だが、フリーの選手には出さない。


無理な体勢から、そのままシュートを打った。


ボールは大きく枠を外れた。


チームメイトの一人が、光に何か言った。


光の顔が露骨に曇る。


「なんだよ。うるさいな」


その声が、拓人の耳にも届いた。


練習後。


拓人は神崎に、今日見た印象を率直に伝えた。


「あの子、才能はあります。でも、チームプレーがまったくできていません」


神崎は深く頷いた。


「そこなんだ」


「本人は、気づいてないんですか」


「気づいてるかもしれない。でも、直そうとしない」


神崎は疲れたように息を吐いた。


「これまで、何人ものコーチがあいつに注意してきた。でも、変わらない」


拓人は考えた。


「話は、してみましたか」


「話はできない。あいつ、誰の話も聞かないんだ」


誰の話も聞かない。


拓人は、その言葉を頭の中で繰り返した。


そして、かつての航太を思い出した。


正論をぶつければぶつけるほど、心を閉ざしていった。


あの頃の航太と、光の姿が重なった。


光の中にも、同じような苦しさが隠れているのかもしれない。


拓人は更衣室へ戻った。


まだ、何人かの選手が残っていた。


光も、その中にいる。


拓人は少し離れた場所から、光の様子を見た。


一人で黙々と荷物をまとめている。


その背中を見ていると、拓人は施設で過ごしていた頃の自分を思い出した。


才能がある。


でも、それを周りにつなげられない。


気づけば、孤立している。


拓人は、光に声をかけるか迷った。


だが、今日はまだ早い。


いきなり近づいても、光は心を開かないだろう。


ならば、別のところから始める。


拓人は一つの決意を固めた。


明日から、練習を少しずつ変える。


いや。


変えるのは、練習だけではない。


拓人自身の、この職場での過ごし方も変える必要がある。


まずは、誰よりも早くグラウンドへ行く。


そこから始めよう。


拓人は着替えを済ませ、練習場を後にした。


車に乗り込みながら、今日一日を振り返る。


選手たちの視線。


光の態度。


どれも、これから拓人が向き合うものだった。


家へ向かう車の中で、ふと思い出した。


航太に正論をぶつけ続けて、失敗したあの夜。


同じ過ちを、光に繰り返してはいけない。


拓人は、その教訓を胸に刻んだ。


そして、アクセルを踏み込んだ。


家に着くと、航太が玄関で待っていた。


「パパ、初日どうだった?」


拓人は少し考えてから答えた。


「難しい選手が一人いる」


「難しい選手?」


「才能はある。でも、周りとうまくやれない子だ」


航太は、少し考えるような顔をした。


「それ、昔の俺みたいじゃん」


拓人は驚いて、航太を見た。


「なんで、わかる」


航太は笑った。


「パパの説明、聞いてればなんとなく」


拓人は思わず苦笑した。


「頑張ってね、パパ」


航太は、それだけ言ってリビングへ戻っていった。


拓人は、その背中を見送った。


翌朝。


拓人は、いつもより早く家を出た。


練習開始の三十分前。


まだ、誰も来ていない。


拓人は一人でグラウンドに立った。


朝の空気を吸い込む。


そして、静かに一日を始めた。


◆次回予告◆


翌日から、拓人は誰よりも早くグラウンドへ来る。


誰もいないピッチで、黙々と整備を始める。


その姿を、少しずつ選手たちが気にかけ始める。


そして、ある朝。


拓人は、光がいつもより早くグラウンドへ現れる姿を見つける。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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