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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第2章:父になる(子育て専念編)

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第56話 神崎からの電話

「拓人か? 久しぶりだな」


その声に、拓人は思わず手を止めた。


「神崎さん」


代表時代に、幾つもの試合を共に戦った先輩だった。


拓人より少し年上。


引退後は指導者の道に進み、今は浦和レッズのコーチを務めていると聞いていた。


「お前が川口でフェニックスってチーム、指導してるって聞いてな」


拓人は驚いた。


「よく知ってますね」


「業界、狭いんだよ」


神崎は電話越しに笑った。


「地区大会、優勝したんだって?」


「はい」


「延長で劇的な逆転劇だったって、話題になってるぞ」


拓人は少し照れくさくなった。


「たまたま、うまくいっただけです」


「たまたまじゃ、無名の少年チームが、あんな采配できないだろ」


神崎の声から、笑いが消えた。


拓人も身構える。


「今日は、何の用件ですか」


神崎は一瞬だけ黙った。


そして、はっきりと言った。


「お前のUEFA Pro、うちで使え」


拓人は、その意味をすぐには理解できなかった。


「うちで、というのは?」


「浦和レッズだ」


拓人の手が止まった。


「今、コーチ陣を強化したいと思ってる。お前みたいな人材が必要なんだ」


拓人は、しばらく言葉を失った。


「本気ですか」


「本気だ」


神崎は即答した。


「お前が現役時代、どれだけの選手だったか。俺が一番よく知ってる」


その声には、迷いがなかった。


「それに、フェニックスでの結果も聞いてる。プロと少年サッカー。両方の現場を知ってる指導者は、そう多くない」


拓人は電話を握ったまま、窓の外へ目を向けた。


浦和レッズのコーチ。


かつて選手として、あのクラブでプレーした。


現役最後の花道も、そこで飾った。


その場所へ、今度は指導者として戻る。


「返事は、すぐじゃなくていい」


神崎が続けた。


「でも、考えてほしい。お前の力は、フェニックスの子供たちだけじゃない。もっと広い場所で、活かせるはずだ」


拓人は考えた。


そして、答えを返す。


「少し、時間をください」


「わかった。連絡、待ってる」


電話が切れた。


拓人はスマホを手にしたまま、動けなかった。


台所には、まだ焼きかけの卵焼きが残っている。


フライパンから、かすかに湯気が立っていた。


拓人は我に返り、火を消した。


弁当箱に卵焼きを詰めながらも、頭の中では先ほどの電話が何度も繰り返されていた。


浦和レッズ。


コーチ。


指導者としての新しい舞台。


その日の午後。


拓人はフェニックスの練習前に、佐藤へ電話の話をした。


佐藤は驚いた顔を見せた。


だが、すぐに表情を引き締める。


「レッズのコーチ?」


「はい」


「すごいじゃねえか」


拓人は首を振った。


「まだ、決めてません」


「なんで迷ってる」


拓人はグラウンドへ目を向けた。


子供たちがボールを追いかけている。


「フェニックスのことがあります。監督を正式に引き受けたばかりなので」


佐藤は拓人の顔をじっと見た。


「拓人。それは俺が決めることじゃない」


少し間を置いてから、続ける。


「でも、一つだけ言わせてくれ」


「なんですか」


「お前をフェニックスに縛りつける気は、俺にはない」


拓人は佐藤を見る。


「フェニックスは、フェニックスで続いていく。お前がいなくなってもな」


その言葉に、拓人の胸が少し痛んだ。


「でも、俺が今抜けたら」


「大丈夫だ」


佐藤は、きっぱりと言い切った。


「お前が、この一週間で教えてくれたこと。俺も少しは学んだ」


グラウンドへ視線を戻す。


「子供たちも成長した。これからも、この経験を活かしていける」


拓人は黙っていた。


「兄貴」


「なんだ」


「本当に、いいんですか」


佐藤は笑った。


「拓人。お前は、もっと大きい世界で力を発揮すべきだ」


そして、グラウンドを指差した。


「プロの舞台で、お前の采配がどう通用するか。俺も見てみたい」


「それに」


佐藤は続けた。


「お前、蓮に言ってただろ」


拓人は顔を上げた。


「育つ場所は、選ばないって」


拓人は頷いた。


「お前自身も同じだ。ここが、お前の終着点じゃない」


その言葉が、胸に残った。


佐藤は今、拓人を送り出そうとしている。


一週間前には、考えもしなかったことだった。


「兄貴。蓮くんとは」


「これからも、時々見てやってくれ」


佐藤は笑った。


「あいつには、まだ伸びしろがある」


拓人は深く頷いた。


「もちろんです」


その夜。


拓人は家族に、神崎からの電話について話した。


航太が真っ先に目を輝かせる。


「レッズのコーチ? パパが?」


「まだ、決めてない」


「やりなよ!」


航太は身を乗り出した。


「パパが選手だった頃、俺は全然覚えてないけどさ。コーチやってるパパは見たい」


葵も続いた。


「パパ、フェニックスとレッズ。両方できないの?」


拓人は少し考えた。


「無理だ。両方を真剣にやるには、時間が足りない」


葵は少し寂しそうな顔をした。


それでも、すぐに言った。


「じゃあ、レッズやって」


拓人は驚いた。


「いいのか?」


「フェニックスは、蓮くんたちが頑張るから」


そして、葵は拓人をまっすぐ見た。


「パパのやりたいこと、やってほしい」


拓人は、子供たちの顔を順番に見た。


航太。


葵。


そして、結衣。


三人とも、拓人の決断を後押ししてくれていた。


その夜。


拓人はリビングで一人、神崎へ電話をかけた。


「神崎さん」


「おう、拓人か。決まったか」


拓人は深く息を吸った。


「お受けします」


電話の向こうで、神崎の声が弾んだ。


「そうか。良かった。詳細は、また連絡する」


「よろしくお願いします」


電話を切った。


拓人は、しばらくソファに座ったままだった。


窓の外には、川口の夜景が広がっている。


いつも見ている景色だった。


サッカー選手として、この街に戻ってきた日。


父親として、何もできずに途方に暮れた日々。


フェニックスの子供たちと出会った日。


そして今。


また、新しい舞台へ向かおうとしている。


拓人はソファから立ち上がった。


子供たちの部屋を、一つずつ覗く。


航太。


葵。


結衣。


それぞれが静かな寝息を立てていた。


拓人は、その寝顔をしばらく見つめた。


これから、また新しい生活が始まる。


でも、変わらないものもある。


朝、子供たちの弁当を作ること。


夕方、迎えに行くこと。


夜、寝かしつけること。


その日常は、これからも続いていく。


仕事が変わっても、父親であることは変わらない。


拓人は寝室へ戻りながら、心の中で決意を固めた。


レッズのコーチとして。


そして、三人の子供の父親として。


両方を、全力でやり抜く。


その時、遥の日記に書かれた言葉が頭をよぎった。


あなたはきっと、どこでも10番よ。


拓人は少し笑った。


まだまだ、その言葉に応え続けなければならない。


第2章 完


◆次回予告◆


浦和レッズのコーチとして、拓人が新たな一歩を踏み出す。


ロッカールームに足を踏み入れた瞬間。


選手たちの視線が、一斉に拓人へ向けられる。


そこにいたのは、才能と傲慢さを併せ持つ一人の問題児だった。


次回、第3章「指導者への道」開幕!

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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