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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第2章:父になる(子育て専念編)

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第55話 家事ノートの最後

翌朝。


拓人は朝食の席で、家族全員にフェニックスの件を話した。


葵は少し驚いた顔をした。


でも、すぐに大きく頷いた。


「パパ、監督似合うと思う」


「そうか」


「だって、サッカー教えてる時のパパ、なんか優しい顔してるもん」


拓人は少し照れくさくなった。


結衣は話の内容を理解していない。


それでも周りの空気を読んだのか。


「かんとく、かんとく」


何度も繰り返していた。


航太は昨夜のうちに賛成している。


朝食の席では、ただ静かに頷いていた。


拓人はその場で佐藤にメッセージを送った。


「監督、正式にお受けします」


すぐに返信が来た。


「よし。よろしく頼む」


短いやり取りだった。


それでも拓人の胸に、その言葉が残った。


節子と誠にも、その日のうちに電話をした。


節子は電話の向こうで嬉しそうな声を上げた。


「拓人さんが、そんなふうに新しい道を見つけてくれて良かったわ」


誠は、いつも通り多くを語らない。


「頑張れ」


それだけだった。


拓人は、その一言を聞いて少し笑った。


誠らしい。


その一言で、十分だった。


一日が忙しく過ぎていく。


拓人は佐藤と練習スケジュールを詰めた。


子供たちの送り迎えについても、節子と改めて確認する。


夕方。


蓮からメッセージが届いた。


「監督、正式に決まったってパパから聞きました。これからも、よろしくお願いします」


拓人は、その文面を見て少し笑った。


「こちらこそ、よろしく」


そう返信して、スマホをテーブルに置く。


夜。


拓人は子供たちを順番に寝かしつけた。


結衣はいつもより少しはしゃいでいる。


「かんとく」という言葉が気に入ったらしい。


「かんとく、おやすみ」


そう言って笑う。


拓人も笑った。


葵はベッドに入る前、拓人にそっと言った。


「パパ。監督、頑張ってね」


「ありがとうな」


「私も応援行くから」


拓人は葵の頭を優しく撫でた。


「頼りにしてる」


航太も自分の部屋へ戻る前に、短く声をかけた。


「パパ、おやすみ」


「おやすみ」


いつもと変わらないやり取り。


それでも、少し前とは違う。


互いに無理をしなくなった。


そんな気がした。


子供たちが眠りにつく。


家の中が静かになった。


拓人はリビングへ戻り、寝室の引き出しを開けた。


遥の日記。


そして、家事ノート。


二冊を久しぶりに取り出した。


日記は、これまで何度も読み返している。


でも、家事ノートをこうして開くのは久しぶりだった。


ページをめくる。


遥の丁寧な字が並んでいる。


離乳食の作り方。


夜泣きへの対処法。


子供たちの好きな食べ物。


学校行事の記録。


その横には、細かな注意書きまで残っていた。


拓人は、ページを指でなぞった。


自分がいなくなった後。


拓人が一人でも困らないように。


遥は、そのためにこのノートを残した。


拓人はページをめくりながら、この一年余りを振り返った。


葬儀の翌朝。


オムツの替え方すらわからなかった。


離乳食の裏ごしもできなかった。


そこから少しずつ父親になった。


佐藤に助けられた。


節子と誠に支えられた。


そして、子供たち一人一人と向き合ってきた。


サッカー選手として、世界の頂点に立った日々。


その後に待っていた、長い空白。


そして今。


少年サッカーの監督として、もう一度ピッチに立とうとしている。


拓人はノートの最後のページを開いた。


そこに、一言だけ残されていた。


「あなたはきっと、どこでも10番よ」


拓人は、その文字を指でそっとなぞった。


これまで、この言葉を何度も読んできた。


最初は、サッカー選手としての自分に向けた言葉だと思っていた。


32話の夜。


荒川の土手で、この言葉の意味を少し違う形で受け取った。


家族の中の10番。


そして今。


また別の意味が浮かんでいる。


フェニックスの子供たち。


蓮。


翔太。


まだ何者でもない子供たち。


その一人一人の力を見つける。


仲間を生かす。


チームの中心になる。


サッカー選手としても。


父親としても。


そして、これからは指導者としても。


拓人は少し笑った。


きっと遥は、何も見通していたわけではない。


ただ、拓人という人間を信じていた。


「遥」


誰もいない部屋で、拓人は小さく呟いた。


「監督、やることにした」


返事はない。


それでも拓人は続けた。


「お前が、こんなところで繋がりを作ってくれるとは思わなかった」


拓人はノートをそっと閉じた。


その時。


隣の部屋から小さな声が聞こえた。


結衣が寝言で笑っている。


「ふふ」


小さな笑い声だった。


拓人は、その声に耳を澄ませた。


遥がいなくなった頃。


この家には悲しみだけが残ると思っていた。


今、隣の部屋から聞こえるのは笑い声だ。


結衣の無邪気な寝言。


拓人は家事ノートと日記を丁寧に引き出しへ戻した。


これからも、大切に持ち続ける。


そう決めて、引き出しを閉じた。


リビングの電気を消す。


拓人は寝室へ向かった。


明日から、新しい生活が始まる。


フェニックスの監督として。


そして、三人の子供の父親として。


拓人はベッドに横たわった。


目を閉じる。


心の中で、もう一度だけ遥に語りかけた。


見ていてくれ。


これから先の、俺たちを。


眠りが、静かに拓人を包んでいった。


数日後の朝。


拓人がいつも通り子供たちの弁当を作っていると、スマホが震えた。


見慣れない番号からの着信だった。


拓人は少し戸惑いながら電話に出る。


「もしもし」


「拓人か? 久しぶりだな」


その声を聞いた瞬間。


拓人の手が止まった。


代表時代。


共に戦った先輩の声だった。


◆次回予告◆


代表時代の先輩、神崎徹から思いがけない連絡が入る。


「お前のUEFA Pro、うちで使え」


その一言に、拓人は言葉を失う。


浦和レッズのコーチ就任。


フェニックスの監督になったばかりの拓人に、また新たな話が舞い込んできた。


今度の選択は、家族だけでは決められない。


拓人の新しい日常が、大きく揺れ始める。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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