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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第2章:父になる(子育て専念編)

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第50話 決勝前夜

決勝を翌日に控えた夜。


拓人はリビングで一人、ノートを開いていた。


対戦相手の情報をもう一度整理する。


これまでの試合映像。


選手それぞれの特徴。


フォーメーションの傾向。


佐藤から借りたビデオカメラの映像も何度も見返していた。


子供たちはすでに眠っている。


結衣も葵も航太も。


家の中はしんと静まり返っていた。


拓人はノートに明日の作戦を書き込んでいく。


蓮の起用法。


翔太の役割。


他の選手たちの配置。


書けば書くほど不安な点が浮かんできた。


決勝の相手はこれまで戦ってきたどのチームよりも明らかに実力が上だった。


準決勝の逆転劇は大きな自信になった。


それは間違いない。


でも明日の相手は自信だけで簡単に勝てるようなチームではない。


拓人はペンを持つ手を止めた。


椅子の背にもたれて窓の外を見る。


川口の夜景がいつものように広がっていた。


明日の試合も同じ街のどこかで始まる。


そう思った時だった。


玄関の方から物音がした。


拓人は顔を上げた。


こんな時間に誰だ。


立ち上がってリビングを出る。


玄関に誠が立っていた。


「誠さん」


拓人は戸惑いながら声をかけた。


こんな時間に誠が一人で訪ねてくる。


これまでそんなことはなかった。


「節子は」


「もう寝ました」


誠はそれだけ答えた。


そして拓人の横を通ってリビングへ入ってくる。


拓人は椅子を勧めようとした。


けれど誠は座らなかった。


代わりに手にしていた小さな急須と湯呑みをテーブルへ置いた。


「これ」


「お茶ですか」


誠が頷く。


湯呑みにゆっくりとお茶を注いだ。


湯気が細く立ち上る。


拓人はその手元を見つめていた。


誠は何も言わない。


お茶を注ぎ終えると急須をテーブルの端へ置いた。


拓人は湯呑みを手に取る。


「ありがとうございます」


誠はまた小さく頷いた。


それからリビングを見渡した。


子供たちの写真が並ぶ棚。


葵が描いた絵。


結衣が遊んでいたおもちゃ。


床の隅にはまだ片付けられていないものもある。


誠はそれらを一つずつ眺めていた。


拓人はそんな誠の横顔を見た。


何か言おうとしているのだろうか。


そう思った。


けれど誠は口を開かなかった。


二人の間に沈黙が落ちる。


拓人はお茶を一口飲んだ。


温かかった。


その温かさが妙に胸に残った。


「明日、勝てそうか」


誠がようやく口を開いた。


拓人はすぐには答えなかった。


明日の相手。


これまでの試合。


自分が考えてきた作戦。


頭の中を一度整理する。


「わかりません。相手は強いです」


誠は頷いた。


「そうか」


それだけだった。


拓人は何か続けて話そうとした。


けれど誠は踵を返した。


玄関へ向かって歩き出す。


「誠さん」


拓人が呼び止める。


誠の足が止まった。


ゆっくりと振り返る。


拓人はその顔を見た。


いつもの無表情ではない。


だからといって感情を露わにしているわけでもなかった。


ただまっすぐに拓人を見ている。


その目だけがいつもと違っていた。


拓人にはその意味がわからなかった。


誠は何も言わない。


しばらく拓人を見つめたあとそのまま玄関へ向かった。


ドアが開く。


そして静かに閉まった。


拓人はその場に立ったまま動かなかった。


やがてリビングへ戻る。


テーブルの上にはまだ湯気の残るお茶があった。


拓人は湯呑みを両手で包み込んだ。


誠は何のために来たのだろう。


言葉はほとんどなかった。


お茶を淹れて。


置いて。


帰った。


それだけだ。


でも。


拓人にはそれで十分だった。


誠が何を言いたかったのか。


はっきりとはわからない。


それでも何かを託された。


そんな気がしていた。


拓人は湯呑みを置き再びノートへ向き合った。


さっきまで胸にあった不安が少しだけ軽くなっていた。


考え抜いた作戦。


子供たちの力。


そして家族の支え。


それらを一つずつ思い浮かべる。


拓人はノートの最後のページを開いた。


そこにシンプルな言葉を書き込む。


「悔いのない試合を」


明日。


子供たちに伝える言葉。


それは拓人が決めた最後の指示だった。


夜が深くなっていく。


拓人はノートを閉じた。


リビングの電気を消す。


暗くなった部屋を出て寝室へ向かう。


その途中。


拓人はもう一度玄関を振り返った。


誠が立っていた場所。


そこをしばらく見つめる。


節子と誠にはこれまで数えきれないほど助けられてきた。


何度も支えてもらった。


家族が大変な時も二人は手を差し伸べてくれた。


その恩を明日の試合で少しでも返せるだろうか。


そんなことを考えながら拓人は寝室のドアを開けた。


ベッドに横たわる。


目を閉じる。


するとこれまでの大会の日々が次々と頭をよぎった。


コーチの骨折の連絡。


子供たち一人一人の特徴を見極めた練習。


初戦の勝利。


二回戦の応援。


準決勝の逆転劇。


そして。


明日の決勝。


拓人は目を閉じたままゆっくりと息を吐いた。


眠りはなかなか訪れなかった。


それでもさっきまでの不安は消えていた。


代わりに胸の奥に確かなものが残っている。


覚悟だった。


明日。


すべてを出し切る。


それだけは決まっていた。


拓人はその決意を胸に抱いたまま静かな夜を過ごした。


◆次回予告◆


決勝当日。


会場にはこれまでで最も多くの人が集まっていた。


スタンドもいつもとは比べものにならないほど埋まっている。


拓人がベンチへ向かう。


その途中で対戦相手のベンチから視線を感じた。


値踏みするような視線だった。


拓人はそちらを見る。


相手の監督と目が合った。


言葉はない。


けれどその視線だけで十分だった。


やがて選手たちがピッチへ入る。


歓声が大きくなる。


蓮が入る。


翔太が入る。


仲間たちも次々と配置につく。


拓人はベンチからグラウンドを見つめた。


ここまで来た。


あとはやるだけだ。


キックオフの笛が鳴る。


決勝戦が始まった。


そして。


この試合は延長戦までもつれ込むことになる。


これまでで最も長く。


最も激しい戦い。


その幕が今。


切って落とされた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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