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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第2章:父になる(子育て専念編)

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第43話 コーチ骨折

大会まで、あと一週間となった日の朝だった。


拓人のスマホに、佐藤から着信があった。


いつもの、明るい調子ではなかった。


「拓人、大変だ」


「どうしました」


「コーチが、練習中に転んで、足を骨折した」


拓人は、手を止めた。


「骨折、というのは」


「全治二ヶ月だってさ。大会まで、あと一週間しかないのに」


拓人は、状況を整理しようとした。


「代わりのコーチは」


「探してる。でも、急には見つからない。ボランティアでやってくれる人なんて、そうそういないんだよ」


佐藤の声には、焦りが滲んでいた。


「大会、出場辞退になるかもしれない」


拓人は、しばらく黙って考えた。


「今、グラウンドですか」


「ああ」


「行きます」


拓人は、電話を切って、すぐに支度を始めた。


節子に子供たちを頼み、車を走らせた。


荒川沿いのグラウンドに着くと、子供たちが、練習もできずに、所在なく座り込んでいた。


蓮も、心配そうな顔で、拓人を見つけて駆け寄ってきた。


「糸井さん」


「コーチ、大丈夫か」


「病院に運ばれました。骨、折れてるって」


拓人は、頷いた。


佐藤が、少し離れた場所で、電話をかけていた。


拓人が近づくと、佐藤は電話を切って、こちらを向いた。


その顔から、いつもの豪快さが、すっかり消えていた。


「拓人、悪い。呼び出しちまって」


「いえ。状況は」


「見ての通りだ。コーチがいない。大会まで、あと一週間」


拓人は、座り込んでいる子供たちを見た。


蓮を含め、二十人近くの子供たちが、不安そうな顔で、こちらを見ていた。


「代わりのコーチ、本当に見つからないんですか」


「探してはいる。でも、少年サッカーの指導経験がある人間なんて、そう簡単には」


佐藤は、そこで言葉を切った。


拓人の顔を、じっと見た。


「なあ、拓人」


「はい」


「頼めるのは、お前しかいないんだ」


拓人は、少し驚いた。


「俺が、ですか」


「UEFA Proライセンス、持ってるんだろう」


「持ってますけど」


「なら、8人制の子供のサッカーなんて、余裕でできるだろ」


拓人は、少し考えた。


UEFA Proライセンス。世界最高峰のクラブを率いるための、最上位の指導資格。


多忙を極めた現役時代に引退後を見越して、代表活動やオフを利用した特別集中コースと、所属クラブのアカデミーの指導を手伝うことで何とか手に入れた貴重な資格である。


2026年に始まったUEFAとAFCのライセンス相互承認制度を経て、国内でもJ1の指揮が取れるが、あくまで想定されていたのは日本のJFA Proでヨーロッパのトップリーグの指揮を取ることで、逆のパターンはほとんど見かけない。


ましてや、その資格を少年サッカーの現場で使うことになるとは、想像したこともなかった。

F1ドライバーが子ども用のゴーカートで走るようなものであり、理論上は可能だがなんとも贅沢な使い方だ。


「でも、俺は」


言いかけたところで、佐藤が、深く頭を下げた。


「頼む」


「兄貴」


「この子たちの夢、繋いでやってくれ」


拓人は、佐藤の姿を、しばらく見つめていた。


これまで、佐藤に、何度も助けられてきた。裏ごしの教え方。特売日の情報。夜泣きの対処法。反抗期の息子への向き合い方。


その佐藤が、今、頭を下げている。


拓人は、周りにいる子供たちを、改めて見渡した。


蓮の真剣な目。他の子供たちの、不安そうな顔。


施設にいた頃、誰かが、こんなふうに手を差し伸べてくれることは、なかった。サッカーだけが、拓人の居場所だった。


この子たちにとって、フェニックスは、きっと同じような場所なのだろう。


拓人は、佐藤の肩に手を置いた。


「頭を上げてください」


佐藤が、顔を上げた。


「やります」


佐藤の表情が、一瞬で変わった。


「本当か」


「本当です」


佐藤は、拓人の手を、両手で強く握った。


「ありがとう、拓人」


拓人は、その手を握り返しながら、少し笑った。


「でも、条件があります」


「なんでも言ってくれ」


「一週間で、教えられることは限られてます。基礎から全部教える時間はない」


「わかってる」


「今、この子たちが持ってるものを、最大限引き出すことだけ、やります」


佐藤は、深く頷いた。


「それで十分だ」


拓人は、子供たちの方を向いた。


深呼吸をして、大きな声で言った。


「みんな、集まってくれ」


子供たちが、一斉に、拓人の周りに集まってきた。


「今日から、大会まで、俺が代わりに指導する」


蓮が、目を輝かせた。


「本当ですか、糸井さんが」


「本当だ」


他の子供たちからも、驚きの声が上がった。


拓人は、その反応を見ながら、続けた。


「一週間しかない。でも、みんなが今持ってる力を、全部出せるようにする。それが、俺の役目だ」


子供たちは、真剣な顔で、拓人の言葉を聞いていた。


「よし、まずは、パス回しから始めるぞ」


拓人が声をかけると、子供たちは、一斉にグラウンドに散らばった。


その様子を、佐藤が、少し離れた場所から見ていた。


拓人は、佐藤に近づいた。


「兄貴」


「なんだ」


「本当に、いいんですか。UEFA Pro持ってる人間に、少年サッカー任せて」


佐藤は、少し笑った。


「贅沢な話だよな」


「贅沢すぎます」


「でも、他に頼める人間がいない」


拓人は、少し考えてから、答えた。


「贅沢だとしても、俺は、やりたいと思ってます」


佐藤は、その言葉に、少し驚いた顔をした。


「本気か」


「本気です」


拓人は、グラウンドで練習を始めた子供たちを見た。


蓮が、真剣な顔で、パスを受けている。他の子供たちも、それぞれの動きで、練習に取り組んでいる。


世界最高峰のクラブを指揮する資格を持つ男が、今、荒川沿いの河川敷で、小学生たちにパス回しを教えている。


胸の奥に、これまでとは違う種類の熱が、静かに灯り始めていた。


練習が終わった後、拓人は、子供たち一人一人に、声をかけた。


「今日はどうだった」


「楽しかったです」


「疲れたけど、もっとやりたい」


その一言一言が、拓人の中で、確かな手応えに変わっていった。


蓮が、最後に拓人のところに来た。


「糸井さん」


「なんだ」


「大会、絶対勝てますよね」


拓人は、蓮の顔を見た。


真剣な目だった。


「勝てるかどうかは、わからない。でも、悔いのない試合はできる」


蓮は、少し考えるような顔をした。


「それで、いいです」


拓人は、蓮の頭に手を置いた。


グラウンドを後にする頃、日はすっかり傾いていた。


車に乗り込みながら、拓人は、この一週間のことを考えた。


UEFA Proライセンスを、こんな形で使うことになるとは、想像していなかった。


それでも、悪くない気がした。


これまでのどんな仕事よりも、大事なものになる予感があった。


◆次回予告◆


翌日から、拓人の指導が始まる。


育児で身につけた「待つ力」と「観察眼」が、子供たちの指導にそのまま活きることに気づき始める拓人。


「うまい子を使う」のではなく、「この子が輝ける場所はどこか」を、拓人は、一人一人、見極めていく。


大会まで、残された時間は、あとわずかだった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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