第42話 葵の友達
学校帰り、葵がいつもより遅く帰ってくる日が増えていた。
「今日も、蓮くんと一緒だった?」
拓人が聞くと、葵は当たり前のように頷いた。
「うん。エルザタワー寄ってきた」
エルザタワー。拓人たちが暮らす、川口のランドマークだった。
葵と蓮が、あの校長室で対峙してから、もう半年以上が経っていた。
殴った側と、殴られた側。最初は、そんな関係だった二人が、今では、毎日のように一緒に帰る仲になっていた。
その日の午後、拓人が結衣を連れてリビングにいると、玄関のインターホンが鳴った。
モニターを見ると、葵と蓮が、並んで映っていた。
「はーい」
ドアを開けると、二人が、ランドセルを背負ったまま立っていた。
「パパ、蓮くんと、ちょっとお菓子食べていい?」
「いいぞ、入れ」
蓮が、少し緊張した様子で頭を下げた。
「お邪魔します」
「いらっしゃい。楽にしていいぞ」
拓人は、二人をリビングに通した。
葵が、勝手知ったる様子で、キッチンからお菓子を持ってきた。
「これ、パパが買ってくれたやつ」
「わあ、うまそう」
蓮が、目を輝かせた。
二人は、テーブルに座って、お菓子を広げながら、学校での出来事を話し始めた。
拓人は、少し離れたソファで、結衣をあやしながら、その様子を眺めていた。
「今日さ、体育でドッジボールやったんだけど」
葵が話し始めると、蓮が、すぐに反応した。
「あ、俺のクラスもやった」
「蓮くん、外野になったって聞いたよ」
「なんで知ってんの」
「クラスの子が言ってた」
蓮が、少し照れくさそうな顔をした。
「別に、狙われただけだし」
「言い訳だ」
「言い訳じゃない」
二人のやり取りは、まるで、以前からずっと親友だったかのように、自然だった。
拓人は、その様子を見ながら、あの日のことを思い出した。
葵が、殴られた蓮の顔を見て、泣きながら「後悔してない」と言った日。
佐藤が、息子の胸ぐらを掴んで、一緒に頭を下げた日。
あの日の緊張を、今、目の前の二人からはまったく感じ取れなかった。
しばらくして、玄関のインターホンが、また鳴った。
モニターを見ると、佐藤が映っていた。
拓人は、ドアを開けた。
「兄貴」
「よお。蓮、来てるか」
「来てます。リビングで、葵とお菓子食べてます」
佐藤は、そのまま中に入ってきて、リビングを覗いた。
蓮を見つけると、いつもの豪快な笑い声を上げた。
「おう、蓮。うちの息子がお世話になってます」
葵が、少し驚いた顔をした。
「あ、蓮くんのお父さん」
「よろしくな、葵ちゃん」
佐藤は、リビングに座って、蓮の頭を軽く小突いた。
「お前、宿題やったのか」
「あとでやる」
「あとでじゃなくて、今やれ」
蓮は、少し不満そうな顔をしながらも、大人しく頷いた。
拓人は、その様子を見ながら、コーヒーを淹れた。
「兄貴も、どうぞ」
「おう、悪いな」
二人でソファに座り、子供たちの様子を眺めた。
「なんか、いい関係だな、あいつら」
佐藤が、しみじみと言った。
「あの校長室の日から考えると、想像できませんでしたね」
「ほんとだよ。俺、あの時、殴り込みに来たみたいな気分だったのに」
拓人は、少し笑った。
「実際、そんな感じでしたよ」
「言うなよ、それは」
佐藤も、笑いながら答えた。
「でも、あのアップリケがなかったら、こうはなってなかったよな」
拓人は、頷いた。
「あの体操着袋、まだ使ってます。ボロボロになってきましたけど」
「大事にしてるんだな、葵ちゃん」
「はい」
佐藤は、コーヒーを一口飲んで、少し表情を変えた。
「なあ、拓人」
「なんですか」
「フェニックスのグラウンドの件、覚えてるか」
拓人は、頷いた。
「改修工事の話ですよね。半年間、使えなくなるって」
「それが、思ったより早まりそうなんだ」
拓人は、佐藤の顔を見た。
「早まる、というのは」
「来月から、って話が出てきた」
「大会は、どうなるんですか」
佐藤は、少し表情を曇らせた。
「予定通り、開催される。でも、練習場所の確保が、間に合うかどうか」
拓人は、しばらく黙って考えた。
「他に、何か手はあるんですか」
「探してはいる。でも、簡単じゃない」
佐藤は、コーヒーカップを、少し強く握った。
「まあ、なんとかするよ。俺の仕事だからな」
その言葉には、いつもの豪快さとは違う、少し重い響きがあった。
拓人は、その様子を、静かに見ていた。
リビングでは、葵と蓮が、まだ楽しそうに話し続けていた。
二人の笑い声が、部屋の中に響いていた。
「兄貴」
「なんだ」
「何かあったら、言ってください」
佐藤は、拓人を見た。
それから、少し笑った。
「ああ、頼りにしてる」
夕方、佐藤と蓮が帰った後、拓人はリビングを片付けながら、さっきの会話を思い返していた。
グラウンドの件が、思っていたより早く、切迫している。
葵が、まだ食べかけのお菓子の袋を、拓人に見せた。
「パパ、蓮くん、また明日も来るって」
「そうか」
拓人は、その明るい声に、少し救われる気持ちがした。
それでも、頭の片隅では、佐藤の表情が、まだ引っかかったままだった。
◆次回予告◆
大会まで、あと一週間。
フェニックスのコーチが、練習中に足を骨折する。
代わりの指導者が、どうしても見つからない。
途方に暮れた佐藤が、拓人の前で、深々と頭を下げる。
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