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『黄金のタクトと、不格好なアップリケ』〜レアルの10番、下町でパパになる〜  作者: 筑紫隼人
第2章:父になる(子育て専念編)

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第41話 結衣と公園

日曜の午前中、拓人は結衣を連れて、近所の公園に向かった。


抱っこ紐ではなく、ベビーカーを押しながら歩いた。結衣は、道の途中で見かける犬や鳩に、いちいち反応して声を上げていた。


「わんわん」


「そうだな、わんわんだな」


公園に着くと、砂場のある一角に向かった。


すでに、何組かの親子が遊んでいた。拓人は、その邪魔にならないように、少し離れた場所にレジャーシートを広げた。


結衣を砂場に座らせると、結衣は迷わず、両手で砂を掴み始めた。


「上手だな」


拓人は、隣にしゃがんで、結衣の様子を見守った。


結衣は、砂をすくっては、指の間からこぼす動作を、何度も繰り返していた。飽きることなく、同じことを続けている。


拓人は、その様子を眺めながら、ふと、遥のことを思い出した。


遥も、こういう時間を、想像していたのだろうか。


自分がいなくなった後、拓人が、こうして子供と砂場に座っている姿を。


「遥」


拓人は、誰にも聞こえない小さな声で、呟いた。


「見てるか」


もちろん、返事はなかった。


それでも、話しかけずにはいられなかった。


「結衣、砂遊び、上手になったぞ」


結衣が、その声に反応するように、拓人の顔を見上げた。


「なんでもない」


拓人は、少し笑って、結衣の頭を撫でた。


しばらく、結衣と二人で、砂場で時間を過ごした。


途中、結衣が、隣で遊んでいた別の子供のおもちゃに手を伸ばそうとした。


「結衣、それは違う子のだぞ」


拓人が止めると、結衣は、少し不満そうな顔をした。


その様子に、拓人は思わず笑ってしまった。


「葵にそっくりだな」


一人で呟いた言葉に、また笑った。


しばらくして、拓人は、視線を感じた。


顔を上げると、少し離れたベンチに、一人の女性が座っていた。


年齢は、四十代くらいだろうか。子供を連れている様子はなく、一人で座って、こちらをじっと見ていた。


拓人は、少し警戒した。


これまでも、注目を浴びることには慣れていた。でも、子供と一緒にいる時は、その視線に、いつも以上に敏感になっていた。


女性は、拓人と目が合うと、少し会釈をした。


そして、ゆっくりと近づいてきた。


「すみません、糸井さんですよね」


拓人は、結衣を抱き寄せながら答えた。


「そうですが」


女性は、少し緊張した様子で言った。


「引退会見、拝見しました。あの、失礼だったら申し訳ないんですが」


「はい」


「うちも、主人を病気で亡くしまして。子供二人、女手一つで育ててるんです」


拓人は、その言葉に、姿勢を正した。


「そうでしたか」


「糸井さんの会見、見て、すごく励まされました。父親として、こんなふうに、子供のために生きる決断をする人がいるんだって」


拓人は、少し照れくさくなった。


「大したことじゃないです」


「大したことです」


女性は、少し強い口調で言った。


「私たちみたいな、片親で育てる人間にとって、あの言葉は、すごく大きかったんです」


拓人は、その言葉を、静かに受け止めた。


「ありがとうございます」


女性は、少し微笑んだ。


「すみません、急に。お邪魔しました」


「いえ」


女性は、もう一度会釈して、ベンチに戻っていった。


拓人は、その後ろ姿を見送った。


結衣を見ると、何も気にせず、また砂を掴んでいた。


拓人は、しばらく、女性の言葉を反芻した。


自分の決断が、こんな形で、誰かの支えになっている。


これまで、自分の引退は、あくまで、拓人と家族だけの問題だと思っていた。


あの記者会見の言葉は、拓人の想像以上に、遠くまで届いていた。


同じように、大切な人を失いながら、子供を育てている人が、他にもいる。


その人たちにとって、拓人の選択は、小さな灯りになっているのかもしれない。


拓人は、結衣を抱き上げた。


「お前のおかげだぞ、結衣」


結衣は、意味もわからず、また笑った。


しばらくして、砂場を後にして、遊具のある方へ移動した。


ブランコに、結衣を乗せた。ゆっくりと押すと、結衣は、声を上げて喜んだ。


「もっと?」


結衣は、まだ言葉にならない声で、何かを訴えていた。


拓人は、それを「もっと」という意味だと解釈して、もう一度押した。


しばらく、その繰り返しを続けた。


日が高くなり、公園には、さらに多くの親子が集まってきた。


拓人は、周りの景色を見渡した。


子供を遊ばせる父親、母親。それぞれの家族が、それぞれの時間を過ごしていた。


その中に、拓人も、ごく自然に、溶け込んでいた。


かつて、世界中のスタジアムで、数万人の視線を浴びていた男が、今は、この小さな公園で、一人の父親として過ごしている。


昼過ぎ、拓人は結衣をベビーカーに乗せて、公園を後にした。


帰り道、拓人はふと、さっきの女性の言葉を、もう一度思い出した。


「父親として、こんなふうに、子供のために生きる決断をする人がいるんだって」


誰かに証明してもらう必要のない選択だった。それでも、こうして思いがけない形で背中を押されると、胸の奥に、じんわりと力が湧いてくるのを感じた。


家に着くと、葵が、玄関で待っていた。


「パパ、結衣、公園楽しかった?」


「楽しかったみたいだぞ」


結衣を抱っこ紐から下ろすと、葵が、すぐに結衣の相手をし始めた。


拓人は、その様子を見ながら、リビングのソファに座った。


スマホを取り出して、今日のことを、少しだけメモに残した。


大した内容ではなかった。でも、忘れたくない一日だった。


その夜、拓人は佐藤に、今日の出来事を、簡単にメッセージで伝えた。


「公園で、面白い出会いがありました」


返信は、すぐに来た。


「お前、モテるからな」


「そういうんじゃないです」


「わかってるよ。良かったな」


拓人は、少し笑って、スマホを閉じた。


窓の外を見ると、夕暮れが、街を橙色に染めていた。


明日からも、この日常が続いていく。


拓人は、そのことに、静かな安心を感じていた。


◆次回予告◆


数日後、学校帰りの葵と蓮が、エルザタワーに立ち寄る。


二人は、いつの間にか、仲直りして親友になっていた。


おやつを食べながら笑い合う二人を見て、拓人は、あの日の校長室を思い出す。


そこに、佐藤が、ガハガハ笑いながら迎えに来る。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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