第28話 レッズの快進撃
チームは、連勝を重ねていた。
拓人が移籍してから、負けなしの八連勝。リーグ順位表で、レッズは首位に立っていた。
練習場の空気が、以前とは違っていた。
木村は、家族との時間を優先しながらも、練習の質を落とさない方法を見つけていた。短い時間で最大限の集中をする。効率的な自主トレのメニューを、拓人と一緒に組み立てていた。
中山は、キャプテンとしてチームをまとめる役割に、以前よりのびのびと取り組んでいた。子供が生まれることへの不安を口にした日から、拓人に相談することが増えていた。
若手選手たちも、拓人に気軽に話しかけるようになった。技術的な質問だけでなく、プライベートな悩みも。
拓人は、それらの相談に、正解を与えることをやめていた。
代わりに、聞いた。
「それで、お前はどうしたいんだ」
その問いかけを繰り返すうちに、選手たちが自分で答えを見つけていくことに気づいた。
木村が、練習後にぽつりと言ったことがあった。
「糸井さんって、あんまり答え、教えてくれないですよね」
「悪いか」
「いや。でも、なんか、自分で考えるようになりました」
拓人は何も言わなかった。それでいいと思った。
チームの戦術面でも、変化が起きていた。
コーチが拓人に相談する回数が増えていた。
「糸井、お前ならどう見る、この試合」
拓人は、相手チームの映像を見ながら、選手一人一人の癖を伝えた。ボールを蹴る直前の重心、パスを出す前の視線の動き。数字には表れない、細かい情報だった。
コーチは、それを戦術に組み込んだ。
チームの守備は、相手の攻撃を予測しやすくなった。攻撃は、相手の隙を突きやすくなった。
拓人自身のプレーも、変わっていた。
以前は、自分がゴールを決めることに集中していた。今は、チーム全体の流れを読み、味方が輝ける場所を作ることに意識が向いていた。
アシストの数が、ゴールの数を上回るようになった。
サポーターの間で、拓人へのコールが定着し始めていた。
試合前、埼玉スタジアムに響く声。
「タクト!」
その声を聞くたびに、拓人はスタンドに誠の顔を探すようになっていた。
家庭でも、変化があった。
航太との関係は、劇的にではないが、少しずつ変わっていた。
会話の量は、まだ多くない。でも、リビングで一緒にテレビを見る時間が、日常になっていた。何気ない一言を交わすことも、増えていた。
葵は相変わらず、拓人の帰りを待っていた。
結衣は、少しずつ言葉が増えていた。「ぱぱ」だけでなく、「まま」の写真を見て、何かを言おうとすることもあった。その度に、拓人は結衣を抱きしめて、写真を見せた。
ある日の夕食後、葵が拓人に言った。
「パパ、最近、笑うようになったね」
拓人は箸を止めた。
「そうか」
「うん。前は、いつも難しい顔してた」
拓人は、その言葉をすぐには消化できなかった。
自分の表情の変化に、自分では気づいていなかった。
「今の方がいい」
葵は、それだけ言って、また食事を続けた。
拓人は、葵の言葉を反芻した。
難しい顔をしていた。それが、いつの間にか変わっていた。
子供たちとの時間、佐藤との時間、選手たちとの時間。積み重ねてきたものが、拓人の表情から、いつの間にか力みを抜いていた。
葵の「今の方がいい」という一言には、もう一つ、別の響きがあった気がした。
うまく言葉にできなかった。
夜、拓人はベッドに入りながら、その違和感を考え続けた。
葵が言いたかったことは、本当に「表情が明るくなった」ということだけだったのか。
それとも、もっと別の意味があったのか。
翌朝、練習に向かう車の中で、拓人はラジオのニュースを聞いていた。
「浦和レッズ、開幕から負けなしの快進撃。今シーズンの優勝候補として、名前が挙がり始めています」
拓人は、その言葉を聞きながら、複雑な感情を抱いた。
チームの結果は、確かに嬉しい。
でも、その結果を作っているのは、ピッチの上の技術だけではなかった。育児で身につけた観察眼、待つという姿勢、選手たちとの向き合い方。
どこまでがサッカー選手としての仕事で、どこからが父親としての時間か、その境目が拓人自身にも曖昧になっていた。
練習場に着くと、コーチが待っていた。
「糸井、今日は大事な話がある」
「なんですか」
「シーズン終了後の契約更新の話だ」
拓人は、コーチの顔を見た。
「クラブは、お前に長期契約を用意したいと考えている」
拓人は、その言葉を聞きながら、昨夜の葵の言葉を思い出した。
「今の方がいい」
その言葉の意味が、少しずつ、輪郭を持ち始めていた。
◆次回予告◆
長期契約の話を聞いた夜、拓人は子供たちの前で、その話を切り出す。
航太が、真っ先に反応する。
「パパ、もっと長くレッズにいるの?」
その問いに、拓人が答える前に、葵が別の絵を差し出してくる。
学校で描いたばかりの、新しい絵だった。
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