第25話 蓮の素質
川口フェニックスの練習は、河川敷のグラウンドで行われていた。
荒川沿い。土手の向こうに、住宅街が広がっている。子供たちの声が、風に乗って響いていた。
拓人が到着すると、佐藤が真っ先に気づいて手を振った。
「おう、来たか」
「お邪魔します」
「邪魔なわけあるか。座って見てけ」
ベンチに座って、練習を眺めた。
小学生たちが、コーンドリブルの練習をしていた。まだ幼さの残る動きが多い。ボールが足から離れて、追いかける子。転んで、笑いながら立ち上がる子。
その中に、蓮がいた。
最初は、ただの一人の少年に見えた。
でも、ボールに触れる瞬間、拓人の目つきが変わった。
タッチが、違う。
他の子供たちがボールを「止めて、蹴る」という二つの動作に分けているのに対し、蓮は一つの流れの中でボールを扱っていた。触った瞬間には、もう次の動きが始まっている。
視野も違った。
パスを受ける前に、首を振って周囲を確認していた。小学生年代で、これができる子供は多くない。
拓人は無意識に、身を乗り出していた。
コーチが、対人練習を始めた。1対1。ドリブルで相手を抜く練習だ。
蓮の番が来た。
相手の子供が身構える。蓮はボールを軽く前に出した。
相手が食いついた瞬間、蓮は逆を突いた。
一瞬で、抜き去った。
拓人は目を見開いた。
抜き方が、教科書通りではなかった。フェイントの角度、タイミング、体重移動。誰かに教わった形ではなく、自分の体感覚だけで組み立てた動きだった。
これは。
拓人の背筋に、久しぶりの緊張が走った。
練習が終わった後、拓人は佐藤の隣に座った。
「兄貴」
「なんだ」
「蓮くん、誰かに指導受けてるのか。スクールとか」
佐藤は首をかしげた。
「いや、うちのチームだけだ。特別なことは何も」
拓人はしばらく黙った。
言葉を選んでいた。大げさに言えば、佐藤を戸惑わせるかもしれない。それでも、黙っているのは違う気がした。
「あの子、ちょっと違うぞ」
「違うって、何が」
「タッチ、視野、駆け引き。全部、年齢の枠を超えてる」
佐藤は笑った。
「親バカじゃないのか」
「本気で言ってる」
「あんた、世界一の選手だぞ。うちの息子と比べる相手が違うだろ」
「だから、わかる」
拓人は佐藤の目を見た。
「世界中で、いろんな選手を見てきた。子供の頃から才能があった選手も、なかった選手も。蓮くんは、あった側だ」
佐藤の笑顔が、少しずつ消えていった。
「本気で言ってんのか」
「本気だ」
しばらく、沈黙が流れた。
佐藤は、グラウンドで水を飲んでいる蓮を見つめた。
その目が、拓人がこれまで見たことのない色をしていた。
「……あいつ、そんなに」
「今のままじゃ、もったいない。もっと良い環境で、もっと良い指導を受ければ」
「良い環境って、具体的には」
「ユースの下部組織とか、専門のスクールとか」
佐藤は少し黙った。
「金がかかるんだろ、そういうの」
「かかる」
「うちは、工務店だ。裕福なわけじゃない」
拓人は少し考えた。
「相談に乗る。俺にできることがあれば」
佐藤は拓人を見た。
「あんたに、そこまで頼るわけには」
「頼れ、って言ったのはそっちだ」
佐藤は一瞬、言葉に詰まった。
それから、小さく笑った。
「言ったな、確かに」
蓮が、水分補給を終えてこちらに走ってきた。
「パパ、糸井さん、見ててくれた?」
「ああ、見てたぞ」
拓人が答えると、蓮は嬉しそうに笑った。
「どうでした? 俺のプレー」
拓人は少し考えてから、答えた。
「悪くなかった」
蓮は少し不満そうな顔をした。
「それだけ?」
「もっと聞きたいか」
「聞きたい!」
拓人は蓮の頭に手を置いた。
「次、教えてやる。今日じゃない」
「え、なんでよ」
「今日はもう、練習終わりだろ」
蓮は不満そうにしながらも、頷いた。
グラウンドを後にする蓮の背中を、拓人は見送った。
佐藤が隣に来た。
「本当に、そんなにすごいのか、あいつ」
「ああ」
「まだ小学生だぞ」
「小学生だからこそだ。今、伸ばせるかどうかで、全部変わる」
佐藤は黙って、遠ざかる息子の背中を見つめていた。
「考えとく」
「ゆっくりでいい」
車に戻る途中、拓人はふと、航太のことを思い出した。
蓮と同じ年頃だった頃の航太を、思い浮かべようとした。
思い出せなかった。
一緒にサッカーをした記憶が、ほとんどなかった。プロとして忙しかった時期。遥が支えてくれていた時期。拓人は、航太のプレーをまともに見たことがなかった。
蓮のことは、今日会ったばかりで、これだけわかった。
航太のことは、何年も一緒にいて、何もわかっていない。
車に乗り込んでからも、その差だけが、頭の中に居座り続けた。
◆次回予告◆
家に帰ると、航太がリビングで一人、黙って座っている。
「航太、話が」
拓人が声をかけると、航太は顔も上げずに答える。
「別に、話すことないから」
その一言が、拓人の胸に、思っていた以上に深く刺さる。
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