【番外編・最終話:喜多院の五百羅漢 —— 刻まれた嘘と、真実の貌(かたち)】
※史実に関するおことわり
喜多院の五百羅漢は、史実では天海の亡くなった後に創り始められたため、本来天海とは関わりがありません。
今回は作者の「こうだったらいいな」を優先して綴った、完全な創作となります。番外編最終話(?)、どうか温かい目で見守っていただければ幸いです。
川越、喜多院。
江戸の北を守るこの由緒正しき寺の境内に、数多の石像が並んでいる。
五百羅漢である。
ある者は笑い、ある者は怒り、ある者は静かに天を仰ぐ。その表情の豊かさは、まるであの関ヶ原の戦場で散っていった数多の命の鼓動が、そのまま冷たい石に宿ったかのようであった。
天海は、かつて石田三成と呼ばれた男の細い指で、一体の石像の頬を静かに撫でた。
「……治部殿、またそんな顔をして。算盤が狂うとでも言いたげな」
背後から、今は亡き本多正信の、あの人を食ったような声が聞こえた気がした。
天海は自嘲気味に口角を上げる。
五郎が遺した薬草の知識で、自分の体は驚くほど丈夫になった。
五郎が逝き、正信が逝き、阿茶までもが世を去った後、天海はこの泰平の世をただ一人で見守り続けてきた。
「……算盤は、もう捨てたのだ。佐渡守殿」
天海が長い年月をかけ、石工たちに細かく指示を出して刻ませたこの五百体には、国家の安寧を願う公の祈りとは別に、彼だけの密やかな「私情」が隠されていた。
境内の隅、木漏れ日が優しく差し込む場所に座る、一体の羅漢。
それは他の像とは違い、どこか素朴な佇まいで、足元に咲く名もなき草花を慈しむように見つめている。その目元に刻まれた柔らかな皺は、かつて白檀の香りのなかで薬草を煎じていた、あの「五郎」そのものの貌であった。
そのすぐ隣には、頬杖をつきながら、隣の羅漢をからかうような薄笑いを浮かべた像がある。「喜多院などと、私が適当に言った名を本当につけおって」とでも言いたげな、本多正信の歪んだ愛の形だ。
さらに少し離れた場所には、誰よりも大きく、仁王のごとき迫力で、まるで五郎の像を外敵から守るかのように立ちはだかる一際頑強な羅漢。その手には槍こそないが、その瞳には本多忠勝の「金剛の盾」としての誇りが確かに宿っている。
数正も、忠次も、瀬名も、そしてお愛も。
公式な歴史からは綺麗に消し去られた彼らの「生きた証」が、天海の手によって、この石の群れの中にこっそりと紛れ込ませてあった。
「……五百の顔があれば、一つくらい、貴殿たちの本当の貌があっても良かろう」
天海は、懐から古びた数珠を取り出し、カチ、カチと鳴らした。
かつて石田三成として、天下の禄を計算するために弾いたその響きは、今はただ、友への供養の音として静かに風に溶けていく。
参拝客が「自分に似た顔がある」と無邪気に探し歩くこの場所で、天海だけは知っている。
この五百羅漢は、徳川の嘘を墓場まで持っていった共犯者たちが、最後に集う「永遠の宴」の席なのだということを。
ふと、風が吹いた。
線香の煙に混じって、どこからか、ありえないはずの甘く優しい白檀の香りが、微かに鼻腔を掠める。
「……五郎殿。貴殿の作った薬は、少々効きすぎたようだ。おかげで私は、まだこちらで皆の顔を眺めていなければならぬ」
天海は穏やかな笑みを浮かべ、五郎の像の隣にゆっくりと腰を下ろした。
石の冷たさが、かつて共に地獄を歩いた友の温もりのように、老いた天海の掌に優しく伝わってきた。
完




