【天国コメディ編・第三話:泰平の世は誰のため? —— 勘違いの四十四年】
黄金の光が降り注ぐ、美しい花畑。
そこには、天寿を全うし、眠るように旅立った「徳川家康」……こと、五郎の姿があった。
ふと気づけば、身体はあの二十四歳の瑞々しさを取り戻している。
「……五郎様」
聞き紛えるはずのない、透き通った声が響いた。
五郎が弾かれたように振り返ると、そこにはあの日と変わらぬ、慈愛に満ちた笑顔を浮かべたお愛が立っていた。
「お愛……! ああ、お愛! ようやく、ようやく会えた!」
五郎はなりふり構わず駆け寄り、お愛の華奢な体を力一杯抱きしめた。
その温もりを確かめるように、彼は涙を流しながら言葉を紡ぐ。
「約束通り、戦のない世を作ったぞ! 江戸という巨大な都を築き、誰もが笑って暮らせる泰平の礎を……。俺は、お前のために、お前のためにやり遂げたんだ!」
感極まり、男泣きする五郎。だが、腕の中にいるお愛の反応は、予想に反してどこか「困惑」を帯びたものだった。
お愛はそっと五郎の胸を押し返し、不思議そうに小首を傾げた。
「五郎様……お疲れ様でした。それはもう、素晴らしい功績ですわ。……でも、一つだけ伺ってもよろしいですか?」
「なんだ? 何でも言ってくれ! お前の願いなら、天国にカボチャ畑だって作ってみせる!」
鼻息を荒くして宣言する五郎に、お愛は少しだけ呆れたような、けれど慈しみ深い瞳でズバリと言い放った。
「わたくし……『泰平の世を作ってください』なんて、一回もお願いしておりませんが?」
「………………えっ?」
五郎の思考が停止した。浄土を流れる清らかな風の音だけが、虚しく耳元を通り過ぎていく。
「だって、そうでございましょう? わたくしが願ったのは、五郎様が無理をなさらず、ご自分を大切にしてくださることだけ。……なのに五郎様ったら、江戸城の堀を掘ったり、制度を整えたり、関ヶ原で胃を痛めたり……。一体、誰のためにあんなに必死になっておられたのですか?」
「い、いや! だってお前、平和を愛していただろう!? 薬草を摘んで、戦は嫌だと……いつも、あんなに悲しそうな目で空を見て……!」
「それは、戦で父を亡くしたからですけれど……だからといって、五郎様に『日本中の戦を無くせ』なんて、そんな国家規模の無茶振りをした覚えはございませんわ」
お愛の放った至極真っ当な「正論」が、五郎の魂を直撃した。
五郎は激しく動揺し、泳ぐ目でしどろもどろに応える。
「だ、だって、お前が……その、平和な場所で笑っている姿を想像したら、それが一番の薬草になると思って……。だから、その、俺が勝手に、お前はきっと泰平の世を望んでいるに違いないと……思い込んで……」
「つまり……五郎様の、壮大な勘違い、ということでよろしいかしら?」
お愛が、いたずらっぽく微笑む。
その横では、いつの間にか現れた天海(三成)が、どこから取り出したのかタブレットを叩きながら溜息をついていた。
「……五郎殿。貴殿という男は、最後まで非合理的ですな。女一人の笑顔のために、二百六十年の幕藩体制を設計するとは。……ま、おかげで私はこうして未来の道具をいじれているわけですが」
「……悪かったよ。俺の独り相撲だったんだな」
がっくりと膝をつく五郎。その姿は、天下を治めた大御所とは思えぬほどに情けない。
そんな彼にお愛はクスクスと笑いながら歩み寄り、その頬に優しく手を添えた。
「いいえ。そんな勘違いをしてしまうほど、わたくしのことを想ってくださっていたのでしょう? ……そんな不器用で、壮大な『間違い』を犯す五郎様だからこそ、わたくしは愛したのです」
お愛はそう言うと、真っ赤になっている五郎の額に、そっと愛おしげな唇を寄せた。
「五郎様。泰平の世は、もういいのです。……これからは、わたくしのためだけに、お時間を使ってくださいね」
「……ああ。……ああ、もちろんだ、お愛!」
五郎は再びお愛を抱き上げた。今は、ギックリ腰の心配などどこにもない。
「……よし。とりあえず、二人でカボチャでも植えに行くか!」
「ふふ、またカボチャ。……どこまでも五郎様らしいですこと」
二人の笑い声が、浄土の空へ溶けていく。
後世に伝わる偉大な「徳川家康」の正体は、ただ一人の女の願いを「壮大に勘違い」した、世界一純情な男であった。




