表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『弟・異聞 』〜素に戻った五郎様と、時空を越えた共犯者たち〜  作者: 滝丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/17

【打ち上げ編・忠勝パラレル前編:三河の雪と、泥の誓い —— 「影」が生まれた夜】

永禄の初め。

三河の山深く、世俗を拒むように建つ古寺に、二人の少年の声が響いていた。


「はぁっ、たあっ!」

若木のようなしなやかさで木刀を振るうのは、本多鍋之助。対する五郎は、鋭い踏み込みをいなし、半歩退いてその勢いを受け流した。

「……五郎! また逃げたな! 正面から打ち合えと言っているだろう!」

「鍋、君の力に正面から付き合うほど、僕は馬鹿じゃないよ」

五郎は涼しい顔で汗を拭う。 

叔父・本多忠真の指導は苛烈だった。鍋之助には「古今独歩の武」を、五郎には「盤面を支配する理」を。

「五郎は鍋之助の目となり、鍋之助は五郎の牙となれ」

それが忠真の口癖だった。


稽古の帰り道、鍋之助が五郎を投げ飛ばそうと足を取った瞬間、五郎が仕掛けていた「薬草を掘り返した後の泥濘ぬかるみ」に二人は揃って突っ込んだ。

「あはは! 見ろよ鍋、全身泥だらけだ」

「笑い事か! ……だが、お前の仕掛けた罠なら、負けても悔しくないな」

泥だらけの顔で見つめ合い、二人は腹の底から笑った。わずか一歳差の二人にとって、五郎は守るべき主君ではなく、共に泥にまみれる「たった一人の兄弟」だった。



その「平穏」が終わりを告げたのは、五郎が十五歳になった冬のことだった。

雪が静かに積もる夜。古寺の門を叩いたのは、叔父の忠真だけではなかった。


「……初めて会うな、五郎」

灯明の下に現れた男を見て、五郎は息を呑んだ。 そこには、自分と瓜二つの顔をした青年——兄である家康が立っていた。

傍らには、石川数正と酒井忠次の姿も影のように控えている。


家康は歩み寄ると、震える手で五郎の肩を包み込むように抱き寄せた。

「……一人にして、すまなかった。今までその存在すら知らなかったとはいえ、寂しい思いをさせたな。お前は私の、たった一人の弟だ。……これからは私と一緒に暮らそう。二人で共に、徳川を歩むのだ」

その言葉は、臆病なほどに優しく――そして、五郎の人生を永遠に「影」へと沈める残酷な響きを帯びていた。 五郎はその手を握り返し、静かに頷く。己の血に刻まれた宿命を受け入れた瞬間だった。

広間の外、縁側の暗がりに控えていた鍋之助は、拳を血が滲むほど握りしめていた。


数正たちが去った後、彼は雪の積もる庭に降り、五郎の前に進み出た。かつての幼馴染は、今や「徳川の影武者」という名の機密そのものとなっていた。


「……五郎。いや、殿」

「鍋、その呼び方はやめてくれ。僕はただの影だ」

「いいえ。俺にとっては、あんたが本物だ」


彼は雪の上に膝をつき、三河の凍てつく夜空を見上げた。

幼き日の「鍋之助」は、この瞬間、たった一人の友を守るためにその名を捨てた。

「あんたが影を背負うなら、俺はその影に潜む魔をすべてなぎ倒す。誰が何と言おうと、この本多平八郎忠勝が、あんたを『徳川家康』にしてみせる。……あんたが泣きたい時は、俺が代わりに戦場で吼えてやる!」

五郎は、忠勝の広くて熱い背中に、三河の泥にまみれたあの日の温もりを見た。

これが、二人が交わした最初にして最後の「対等な誓い」であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ