題十二話 前の肌
私を含め十六騎の騎狼隊の内、二騎はテムのいる本陣との伝令に使っていた。
騎白狼に乗る者でなければ、私たちの所在をすぐに分からず、また分かっても容易に来ることができないからである。
伝令を担当した者は昼夜を問わず目的を果たすまで疾駆を続けことを課していた。
そのため、本陣と部隊の間の情報の差は常に一日未満を保っていた。
「敵軍は山の中腹で留まり、一向に動く気配がないとのことです」
本陣よりただいま帰還した伝令係の部下の言葉に思わず首を傾げそうになる。
「在真シウミは何を考えているのでしょうか」
在真が兵を起こし、二十日が経とうとしていた。
化者の遅延戦術に出血を重ねながらも、力押しに進んでいた敵は、旧の銀狼の里を中継地として、さらに山の半ばまでくると大規模な陣を敷き、動かなくなった。
偵察に出た化者によると、その陣の在り様は奇妙に森閑としているらしい。
何度か奇襲もかけてみたが、防御の備えは万全で、はかばかしい成果は上げられずにいるという。
――そう、まるで敵地のただ中で昼寝でもするような。
憤怒の色を抑えきれず、そう思った。
だが、そうか。そうせざるを得ぬ事情があるのかもしれない。
思い浮かんだのは、テムの側にいつも控えているあの青白い顔の男。
アチェは外から美貴と敵対するガガツなる黒鎧を連れてきた。外部から味方を募ることは、口惜しいが確かに、私には考えもつかぬことであった。
外の世界は全て敵なわけではない。山の周囲は全て深淵の闇というわけではない。
もしかすれば、テムや私が族長を殺したように、敵軍もまた一枚岩ではないのではないか。
……そこまで考え、己の無駄な思考に気づき、小さく舌打ちをした。
「過ぎたること。私が考えても仕方のないことですね」
私は剣。そしてまだ切るべき相手はそこら中に転がっている。
「ご苦労でした。それでは私たちはこのまま襲撃を続けてよいと?」
「はい、族長もこれまでの成果に大そうお喜びです。引き続き励めと」
「承りました。それでは次は里近くの岩場に潜み、好機を待つことにします。」
伝令の兵だけでなく、周囲の部下にも聞こえるようにそう告げると、傍に待機していた騎白狼に乗り、駆けた。後ろでは慌てて部下たちが騎白狼に乗り込んでいる。
ふつふつと、体内から気が溢れてきた。
戦が始まってより、数え切れぬ敵を殺してきたが、そのほとんどは醜下であり、美貴は少ない。
せいぜい四、五人程度。
それでは騎狼隊は脅威と敵からは見られているようで、時たま捕らえた敵兵を尋問すると、私たちを恐れかなりの兵が眠れぬほどに神経質になっているという。
だが、私の欲は満たされない。
美貴の、美貴の血をくれ。
この身を、高貴とうたう者どもの血で汚してゆきたい。
まだ、まだ、喉は満たされない――。
――その襲撃は、十何度目かのものであった。
珍しく闇夜ではなく黄昏時に、格好の獲物を見つけたのだ。
日輪が沈む間際。その時の喪失感は、ともすれば夜よりも闇を意識させる。
日の最後の抵抗か、月夜と異なる強い光を浴びて、私は視界に入ってくるそれを正確に見ることに、少し苦労した。
よくよくと目を凝らす。視線の先には見慣れた二十人程度の小荷駄隊がおり、それを率いる隊長は……思わず、舌なめずりをした。
美貴の女である。
見間違えることない。周囲を醜きに囲まれた美しき者を。
あれは小美貴か。美貴で最も位が低い者であるが、仕方ない。
中美貴以上の者が、食を届けるだけの、給仕の如き任務は行わないだろう。
そう考えていると、部下たちも小美貴に気づいたようだ。張り詰めた緊張の先が、一人の女に注がれる。
敵部隊が襲撃の地点に来た。じっと息をひそめる。急いてはことを誤る。
のうのうと過ぎてゆく敵と、それをはらはら見守る私たち。
ふと、何も知らぬ敵が非常に幸福のように思えた。そして知らないのは敵だけでなく、私もである。テムはアチェという陰湿な男と組んで、裏で何をしているのか。
「隊長……!」
副官が小さな声で、だが鋭く私を呼んだ。
視線の先では絶好の地点を美貴が過ぎ去ろうとしていた。
「――突撃」
短く叫んだ言葉は、振り絞った矢を放つ弓の如く。
矢であれば部下たちは、その言葉とほぼ同時に全力で敵に突貫した。私もそれに続く。
連携は完璧であった。
先頭が美貴の周囲の醜下を散らばし、二番隊が別の角度からの襲撃で敵の混乱を増長させる。
私の前には美貴に繋がる直線の道ができる。
敵からすれば、まだ一瞬のただ中であろう。
私は駆けながらゆうゆうと剣を抜き、一糸の狂いもなく、美貴の胸を貫いた。
――その時であった。
混乱の最中においても、小美貴の女の傍を離れなかった男の醜下の、その顔が、私の目に飛び込んできた。
醜下の男はまだそこかしこに幼さが残っていた。男もまた私を見ていた。
去来したのは、湖の中に沈んでいた時の、あの死を彷徨う感覚であった。
醜い小男の曇った目は私を映し、……否、その目自体が私の――。
部下たちの遠吠えが聞こえ、我に返った。
騎白狼にぶつかり、吹き飛びでもしたのか。もうあの醜下の姿は見えない。
私もまた吠えた。剣は血に塗れている。
美貴は間違いなく殺していた。
だが、その後いくら捜索をしても死体を見つけることはできなかった。あの醜下の男もまた、いなくなっていた。




