3章-深夜の密談②-
しかし、もしアンナたちが想像した通りの状況だとすれば、シオンがすぐに答えを出せる可能性はかなり低い。
下手をすればズルズルと答えを先延ばしにし続けることもあり得るだろう。
「それもひとつの選択肢かもしれない」
アンナの懸念に対して、アキトは冷静だった。
「確かにイースタルは殺す殺さないかについて明確な立場を示せていない。だが、それで人類軍に不利益が生じているわけでもない」
テロリストたちに対して武器こそ向けないシオンだが、魔力防壁に物を言わせた体当たりで無力化には一役買っている。
そして人類軍の作戦目的はあくまで"テロリストの無力化"であって、"テロリストの殲滅"ではない。
そういう意味ではシオンは命令違反をしているわけでもないと言える。
もちろん半端なシオンの態度をよく思わない人々はいるだろうが、実害が出ていないにもかかわらず大事にすることはできないはず。
「セレモニーが終われば、翌日にもアジア方面へ出発せよという命令は受けている。あと数回テロリストの相手をすれば、しばらくは対人戦をする機会もなくなるだろう」
「あと数回この調子のまま乗り切ってしまえばひとまずOKってこと?」
「ああ。幸いアンノウン討伐ではかなりの戦果を挙げているからな」
このまま実害を生じさせないようにだけ注意しておけば、これまでの戦果を盾に騒ぐ輩を黙らせることは難しくない。
下手にどちらかを選んで刺激するよりも現状維持のままゆるやかに黙殺するというのもひとつの選択肢、というアキトの考えはアンナから見ても悪くなさそうに思えた。
「いいわ。これ、シオンにも伝えておく?」
「ああ頼む。あいつは妙に思い切りがいいところがあるからな、明日突然吹っ切れられては困る」
「ありそうで怖いわね」
ひとまずシオンに関係することについては今後の方針も無事に決まったわけだが、まだ離さなければならないことはある。
もう日付も変わってしまっているのだが、先延ばしにできることではないので仕方がない。
「ここ最近、アンノウンの発生が多すぎるわよね?」
「ああ。現地の部隊にも確認したが、彼らも異常だと感じているようだった」
この三日で五回の出現。しかも現在〈ミストルテイン〉が停泊している大都市の周辺で発生している。
中東地域自体アンノウンの発生件数は多い部類に入るが、件数はともかく発生地域が集中している印象がある。
通りすがりのアンナたちがそう感じるだけなら思い過ごしという可能性もあるが、数年単位でこの地を守ってきた現地の部隊の人々が異常を感じ取っている以上、安易に思い過ごしと考えるべきではなさそうだ。
「そもそも、この辺りの出現件数が多いっていうこと自体、前にシオンに聞いた話を矛盾すると思うのよね」
シオン曰く、宗教や古代の文明に関係する遺跡や土地には大昔の人外たちの用意した防衛機構が残されていてアンノウンは近づけない、という話だった。
しかしこの中東地域は現代でも根強く信仰されているほどに宗教が盛んで、聖地や遺跡も多く残っているような土地だ。
シオンの言葉通りであればアンノウンが出現しにくいはずなのだが、実態としては北米に続くくらいに発生件数が多い。それがアンナには引っかかっている。
アキトならアンナと同じように矛盾に気づいているはず。と思っていたのだが、対面のアキトは驚いたように目を丸くした。
「え、もしかして気づいてなかった……?」
「あ、いや、すまん。そうではないんだ」
微妙な反応を見せたアキトは「少し待ってくれ」と言って艦長室に隣接する自室に向かったかと思えば、すぐに折りたたんだ紙を持って戻ってきた。
「実は、その辺りの事情はイースタルに以前聞いていたんだ」
「聞いていたって……」
戸惑うアンナを前に、テーブルの上に持ってきた紙を拡げていく。どうやらそれは印刷した世界地図のようで、ところどころに手書きの書き込みがされている。
「これ、アンノウンの出現しやすさについて書いてるの?」
北米地域に「防御がほとんどない」、イギリスに「魔女たちによる多重結界」などの書き込みがされているのに気づけば、この地図がどういうものなのかを予測するのは難しくなかった。
アキトもアンナの問いに対して黙って頷いて見せる。
「アマゾンの一件の後すぐに聞いてみたんだが、色々と興味深い話が聞けたよ」
「へぇ……それで、中東については?」
「……イースタル曰く、"血で汚れすぎてる"そうだ」
はっきりとしない言い回しにアンナは首を捻る。アキトも今の言い回しで伝わるとは考えていなかったのだろう、すぐに説明を続けた。
「前提として、アンノウンは"穢れ"というものに縁が深いそうだ」
「穢れ……確か、アマゾンで闇が出てきたときにそんなこと口走ってたわよね」
アマゾンで突然空から落ちてきた黒い闇。
アンナたちには強いアンノウン反応を発するエネルギーだということ以外はわからなかったが、シオンはあれを穢れと呼んでいたはずだ。
「あれは魔力の一種であり、アンノウンたちを生み出し、育むものだそうだ」
「だからグランダイバーのことを強くできたってことね」
「ああ。やつらにとっては栄養のようなものなのだろう。……そして、中東地域は穢れの濃度が濃いのだそうだ」
アキトの深刻な表情からそれが冗談でもなんでもないということはわかる。
そして本当に穢れが濃いというのならアンノウンが多く出現するというのも理解できる。彼らにとっては好都合な餌場のようなものなのだろう。
しかし、穢れが濃いのが事実だとすれば"何故"という疑問が生じる。
「中東にはその穢れを生み出すようなものがあるってこと?」
「いや、そういうわけではない。イースタルが言うには、穢れは生命体から発せられるものだそうだ」
「つまり……人間ってこと!?」
説明を噛み砕いたアンナは、行きついた答えに思わず声を荒げて前のめりになった。
そんなアンナを落ち着かせるようにアキトが手で動きを制する。
「人間に限らず、動物や木々からも発せられる。……例えるなら二酸化炭素のようなものだな」
生物が酸素を吸い込んで二酸化炭素を吐き出すように、生命体が存在する以上は少量の穢れが発せられる。
「それ自体はごく少量でアンノウンに干渉するようなものではない。しかし、負の感情が強まればその限りではないと、イースタルは言っていた」
「負の感情……」
「怒り、悲しみ、憎悪、絶望……列挙すれば際限がないが、そういった感情を強く持てば持つほどに穢れは生まれる。そして、この中東地域では長く多くの穢れが生まれ続けた」
「……戦争のせい?」
この地は旧暦の時代に多くの戦争を繰り広げてきた。
新暦となって国家間の戦争こそ沈静化したものの、過去の遺恨からそれを良しとしない人々がテロリストとなって、今も人間同士の戦いは続いている。
敵への怒りや憎悪を、家族を失う悲しみや絶望を、今もなお生み出し続けている。
「戦争やら内戦が終わらないから穢れが生まれて、それに引っ張られたアンノウンたちが集まってきてるってこと?」
「ああ。聖地や遺跡に残された加護の力でも防ぎきれないほどにな」
「……それは、嫌な話ね」
人々に信じられ、愛されてきた聖地や遺跡はまさしく人々に安寧を約束する聖なる土地だというのに、人の愚かさゆえにその恩恵は失われてしまっている。
その事実に、アンナの胸は小さく痛んだ。




