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指切り  作者: 直井 倖之進
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第五章 『死を与えし者への代償』④

 真澄の死から三十分後。彼女宅の呼び鈴を優一郎が押していた。

 しかし、応答はない。

 「留守だろうか?」そう思いながらも、優一郎は呼び鈴を押し続けた。

 ドアを叩いて呼び出してみようと拳を振り上げたその時、中から声が聞こえた。

「あいてるよ。どうぞ」

 それは、子供の声だった。

 促されるままに、優一郎はドアノブを捻った。

 音もなくドアは開いた。

 優一郎は、ドアの隙間から中を覗き見た。薄暗く短い廊下があり、その先にはリビングがあった。彼は、思い切ってドアを全開にした。

 室内は、むせ返るような異臭に包まれていた。これは、血?

 廊下を走り抜けると、優一郎はリビングに入った。昼だというのにカーテンは全て閉じられ、窓も閉まったままだ。何となく異様な雰囲気が漂う部屋だが、異臭の原因はここではなかった。

「こっち、こっち」

 奥の部屋から優一郎を呼ぶ声がする。先ほどと同じ、子供の声だ。

「何があったんだ。この臭いは、一体」

 そちらに声をかけながら、優一郎は奥の部屋へと急いだ。

 そこは、寝室だった。子供の姿はなく、代わりに、部屋の隅に置かれたシングルベッドの上端に、ちょこんと人形が座っていた。

 人形の傍らでは、人が寝ていた。この部屋も厚手のカーテンが閉じられており、室内はシルエットのような陰影だけしか映さない。

 優一郎は、寝室の明かりを点けた。

 次の瞬間、

「うっ」

 強く胃を圧迫された時にも似た声を出し、思わず優一郎は目を逸らした。……が、彼はしっかりと見てしまっていた。大の字に磔にされ、体中から血を流した若い女性の姿を。

 既に息がないことは明らかだった。

 優一郎は、恐るおそるベッドへと視線を戻した。

 見間違いではない。遺体だ。

 女性は、上半身を中心に十か所ほど刃物で刺されていた。特に左胸からの出血が目立つ。恐らくは、これが致命傷であろう。

「ますみ、しんじゃったよ」

 寝室のどこからか、また子供の声がする。

 優一郎は、今度は直ぐにその主を見つけることができた。ベッドの上で手を振っていたからだ。

 だが、それは、優一郎が予想していたような子供ではなく、人形だった。

「ますみ、“みより”がいないから、しんだあとのことを、しんぱいしていたのよ。でも、“おじさん”にみつけてもらえたから、もう、あんしんだね。エーコ、まだ“おしごと”があるから、いくね」

「お、おい、ちょっと待ってくれ」

 流暢に喋り、自分の足で寝室を出て行こうとする人形を、優一郎は慌てて呼び止めた。

「な~に? エーコ、いそがしいんだけど」

 不機嫌さを露にしながら、人形は優一郎を見上げた。

 この部屋を訪問するのが男か女かは分からないはずなのに、人形は、「“おじさん”」と呼んだ。つまり、事前に録音したものを、人形を媒体として再生させたわけではないということだ。それだけでなく、突然かけた言葉にもしっかりと反応した。

 「この人形は、会話ができるんだ」そう確信し、優一郎はたずねた。

「幾つか、教えてくれないか?」

「え~、どうしようかなぁ」

「頼む! このとおりだ」

 優一郎が丁寧に頭を下げる。

 すると、面倒そうに渋っていた人形もこれにはさすがに、

「しかたないなぁ」

 と、ベッドの上端に座り直した。

「エーコ、だったかな? 君は、そこで亡くなっている女性を真澄と呼んでいた。それは、久保真澄のことか?」

「そうだよ。ますみは、くぼますみだよ」

 人形は、傍らで永久(とわ)の眠りについている真澄の頭を撫でた。

「それで、彼女が殺された時、君はここに居たのか?」

 人形相手に職務質問をしている優一郎の姿は、傍から見れば異様なものであっただろう。しかし、彼は真剣だった。

「うん、いた。……っていうか、ますみころしたの、エーコだよ」

「き、君が?」

「そうだよ。エーコ、“さつじん”じょうずなんだよ」

 「褒めてくれ」と言わんばかりに、人形はその場でふんぞり返った。

「だが、一体どうやって?」

 そう問われた人形は、素早くベッドの下に潜り込み、そこにあった凶器を取り出して優一郎に見せた。

「これだよ。これでね、“じっかい”さしたの」

 それは、果物ナイフだった。

 本当にこの人形が、久保真澄を刺殺したというのか。ベッドに磔にした状態で、十回も。

「それは不可能だ」そう思う優一郎の心を見透かしたように、人形は言った。

「“おじさん”、しんじてないでしょう? やってみせようか?」

「お、おい!」

 彼に制止する間さえ与えず人形は、真澄の遺体に馬乗りになると、その首筋にナイフを突き刺した。

「……ね、できるでしょう?」

 優一郎へと体を向け、人形はにこりと微笑んだ。

 信じられないことだが、もはや疑いようはなかった。久保真澄殺害の犯人は、人形だ。

 優一郎には、犯人が分かったのと同時に、もうひとつ分かったことがあった。それは、「殺人を何とも思っていないこの人形は、危険だ」ということだ。

 彼は、「人形を壊してしまおう」と考えた。

 だが、今はまだ早い。聞かねばならないことが他にもあるのだ。

「エーコ。君が人を殺めたのは、これが初めてなのか?」

「ううん。きのうも、“おしごと”したよ。ますみに“いらい”されて、あさぎりゆうすけをころしたの。これが、その“しょうこ”だよ」

 人形は、自分の首を指さした。

「そ、それは」

 優一郎は、ポケットからアンクレットを取り出した。……同じだ。

 朝霧雄介宅にアンクレットがあったことを知っており、その上、現物を持っている。犯人である何よりの証拠だった。

「それで、朝霧雄介殺害は、本当に久保真澄に依頼されてやったのか?」

「さっき、そういったでしょう」

 人形は素っ気なく答えた。

「でも、君は、彼女も殺しているんだぞ」

「あ、それはね、さゆりに“いらい”されたのよ」

「小百合というのは、城崎小百合か?」

「しつもん、おおすぎだよ。……まぁ、いいや。そうよ」

「なるほど」

 優一郎は、総合病院で面会した際、小百合が言っていたことを思い出した。

 「私、雄介さんを殺害したのは、久保真澄さんだと思ったんです」、「一刻も早く犯人を、久保さんを捕まえてください」あの時、城崎小百合は、久保真澄が朝霧雄介殺害の依頼者であることを既に人形から聞いており、同時に、真澄殺害を依頼していたのだろう。

 大まかな事件の真相が見えた優一郎は、一度整理してみることにした。


 現場にあった足袋の跡や髪の毛は、目の前にいる人形が残したものだった。

 朝霧雄介に婚約解消を告げられた久保真澄は、そのことに恨みの念を抱き、人形に殺害を依頼する。その後、真澄は、証拠隠滅のため、森へと人形を捨てに行くのだが、それを城崎小百合に目撃されてしまった。人形を手に入れた小百合は、雄介殺害の依頼者が真澄であることを知った。そこで小百合は、真澄を殺すよう人形に依頼したのだ。


 考えをまとめ終え、優一郎はたずねた。

「エーコ。そうやって君は、言われるまま、依頼されるままに人を殺していくのか?」

 事もなげに人形は答えた。

「もちろんよ。“いきるため”だもの」

「生きるため?」

「そうよ。エーコ、ひとをころすかわりに、“ほうしゅう”として“やといぬしさま”に、“ゆびいっぽん”をもらうの。それが、エーコの“ごはん”。ひとがひとをうらめばうらむほど、エーコは、“ごはん”をたくさんたべられるのよ」

 城崎小百合が指を欠損していたのは、人形に与えたからだった。その事実を隠すために彼女は、「野犬に咬まれた」と嘘をついたのだ。優一郎は、事件の全てを理解した。

 恨みで死んでいく人間と、逆にその恨みを利用して生きていく人形。

 「皮肉なものだ」と優一郎は思った。

 人形は続けた。

「エーコね、そうやって、もう“ひゃくねん”もいきているのよ。ほんとにばかだよね、にんげんって……。まぁ、そんなうらみをもったひとたちのおかげで、エーコはいきていけるんだけど」

「……」

 優一郎は黙り込んだ。何かを思案しているようでもある。

「これで、しつもんタイムはおしまい。エーコ、もういくよ」

 人形は、ベッドからポンと音を立てて飛び降りた。

「エーコ。最後に、ひとつだけ教えてくれ」

「え~? まだあるの?」

 明らかに疲れた表情を見せる人形に構うことなく、優一郎は聞いた。

「今から十五年前に、今回と同じような事件があったんだ。場所は、空港近くのホテル。殺されたのは、当時県警本部長をしていた真中正義という男だ。エーコ、何か知っているんじゃないか?」

「しってるっていうか、その“はんにん”、エーコだよ。……たぶん」

「本当か? 本当に、お前が親父を!」

 感情に任せ、優一郎は人形の胸倉を摑んだ。

 だが、

「……すまない」

 と、彼は直ぐにその手を放した。

 人を殺した人形の裏には、必ず依頼した人間がいる。真に断罪すべきはそいつなのだと気づいたのである。

「へぇ~。あのひと、“おじさん”のおとうさんだったんだ」

 摑みかかられたことなどまるで意に介していない様子で、人形は、過去を懐かしむように遠い目をした。

「それで、エーコに親父の殺人を依頼したのは、誰なんだ?」

「しつもん、“ふたつめ”だよ。“さいごに、ひとつだけ”じゃなかったの?」

「頼む!」

「わがままだよ、にんげんって」

 何と言われてもいい。だが、この問いだけは、どうしても答えてもらわなければならないのだ。

 優一郎は、再度頼んだ。

「教えてくれ。誰が依頼したんだ?」

「……ののみや」

 優一郎の脳裏に、「ここには俺がいるから、安心して捜査してこい」と現場に送り出してくれた野々宮の姿が浮かんだ。

「野々宮って、野々宮茂のことか?」

「エーコ、フルネームはわすれちゃった。でも、ののみやが、じぶんのことを“けいさつかん”だといってたのは、おぼえてるよ」

「それで、その野々宮も、エーコに指を渡したのか?」

「うん。『ゆびきり』したよ」

「……何て、……ことだ」

「もう、しつもんはおわりだよね。こんどこそ、エーコ、“おしごと”いっていいよね?」

「……」

 茫然自失で立ち尽くす優一郎を残し、人形は、音を立てることもなく寝室から消えた。

 静寂に包まれた室内では、目覚まし時計が、(あるじ)を失ったことも知らぬまま、ただ単調に時を刻み続けていた。

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