最終章 『希望なき結末』①
最終章 『希望なき結末』
寝室に機械音が鳴り響き、優一郎は我に返った。携帯電話の着信音だった。
「はい、真中です」
「真中警部、小山です。森の中で木箱は発見できたのですが、中の人形はどこにもありませんでした。既に、誰かが持ち去ったのでしょうか?」
何も知らない小山の言葉が、優一郎には心底羨ましかった。
「いや、そのことならもういいんだ」
「え? もういいって……」
「それより、新しい被害者が出た。久保真澄だ。鑑識に連絡を取り、小山もここにきてくれ」
優一郎は、真澄のマンションの所在地を告げた。
「了解しました。それで、真中警部は?」
「俺は、捜査本部に戻る」
「でも、それだと、鑑識が着くまでの間、現場の保存ができなくなり……」
小山の話の途中で、優一郎は電話を切った。
朝霧雄介や久保真澄の死。そして、真澄殺害の被疑者である城崎小百合の検挙。今回の事件に関するそのどれもが、優一郎にとってはどうでもよいものになっていた。
「親父を殺した犯人は、本当に野々宮茂なのか?」その問いの答えを得ることだけが、今の彼の全てになっていたのである。
「エーコ」
優一郎は人形を呼んだ。
だが、返事はない。辺りを見回した彼は、人形が寝室を去っていたことに漸く気がついた。
「ちっ」
小さくひとつ舌打ちをすると、優一郎は真澄のマンションをあとにした。
捜査本部へと向かうタクシーの中で、優一郎は一本の電話をかけた。発信先は、科学捜査研究所だ。
数回のコール音ののち、応対した女性に二言、三言告げると、電話は草薙へと転送された。
「ご無沙汰しています。真中です」
「おう。久しぶりだなぁ。例の広告会社専務殺人の件で、捜査本部に入れておいた情報は聞いてくれたか?」
「はい。ありがとうございました」
今はそんなことを話している場合ではない。優一郎は本題に入った。
「あの、草薙さん。十五年前の親父の事件を捜査している時、野々宮さんの様子に不自然な点はありませんでしたか?」
「野々宮に? いや、あいつは他の捜査員の誰より、懸命にあの事件にあたっていたよ。怪我をしているようだったが、そんなことも気にもせずに……」
「け、怪我ですか?」
思わず優一郎は大声を出していた。
「あ、あぁ。右手に包帯を巻いていてな、大怪我だったみたいだぞ」
「それって、間違いありませんか?」
「間違うわけがない。現場でメモを取り辛そうにしていたあいつの代筆をしたのは、私なんだから。」
「そう、……ですか」
「どうしたんだ? 様子が変だぞ」
「いえ、何でもないです」
「そうか。それでは、捜査、頑張れよ」
「……はい」
遣り切れない気持ちで、優一郎は電話を終えた。
タクシーは、所轄の警察署に到着した。
署の玄関を抜けて階段を一足飛びに駆け上がると、優一郎は大会議室のドアを開けた。
所轄の刑事や県警本部からの応援の刑事が、一斉に彼に挨拶をする。「そのままで」と言うように優一郎が手で合図をすると、皆やりかけていた仕事を再開した。
「お疲れさん。どうだ、捜査は?」
右手をポケットに入れたいつもの恰好で、野々宮が優一郎の傍らにやってきた。
「あの、野々宮さん。話が……」
「何だ?」
そうたずねる野々宮の表情に、別段の変化は見て取れなかった。
「いや、ここではちょっと」
優一郎は、そっと周囲を顎でしゃくる様な仕草をした。
「じゃあ、上に行くか?」
上とは屋上のことだ。
優一郎が頷くと、野々宮は先頭に立って会議室を出た。
彼のあとに続く優一郎は、その後ろ姿を、この人だけは犯人であって欲しくない、と祈るような思いで見つめた。
建物の熱気は上へと向かうものだ。つまり、一階より二階、二階より三階と室温は上昇する。しかし、全ての風が通り抜けるからだろうか、屋上は意外にも涼しかった。
「それで、話って何だ?」
優一郎へと振り返り、野々宮はたずねた。
捜査本部を放ったまま長時間話し込めば、気にした誰かがここにきてしまう。
優一郎は、単刀直入に切り出した。
「野々宮さん。『指切り』ってご存知ですか?」
「いや、知らないな」
上手く恍けたつもりだった。だが、ポケットに入っている野々宮の右手が、一瞬だけその言葉に反応した。優一郎が、それを見逃すはずはなかった。
「エーコという名前の日本人形と契約すると、その人形が、依頼者の指と引き換えに殺人を請け負ってくれるんです。その儀式を『指切り』というそうなんですが、本当に知りませんか?」
「くどい奴だな、本当に知らんよ。そもそも何だ、その話は。B級ホラーにも劣るようなストーリーだな。脚本家の顔が見てみたいよ」
右手を隠すように、野々宮は体を斜めに向けた。
「えぇ、確かに酷いストーリーです。でも、その脚本の一頁は、野々宮さん、貴方が書いたんじゃないですか?」
「ど、どういう意味だ?」
「隠している右手、見せてください」
そう告げた瞬間、野々宮の顔は誰が見ても分かるほどに青ざめた。
「そんな必要はないだろう!」
その表情を隠すために、わけもなく怒鳴る。どうやら彼、脚本家にはなれても俳優には向いていないようだ。
「見せてください」
優一郎は詰め寄った。
だが、野々宮は、無言でその脇を通り抜けた。
今にも屋上を去ろうとする野々宮に、優一郎は言った。
「野々宮さん、今回の事件、“けん銃携行命令”が出ているんですよ」
おもむろに振り返る野々宮の目に飛び込んできたのは、銃口をこちらに向けて構える優一郎の姿だった。
「迂闊だったよ。ずっと捜査本部にいたせいで忘れていた。普段、刑事は銃を持たないからな」
野々宮は冷めた笑いを浮かべた。
「さぁ、ポケットから手を」
「分かった、分かった。しつこいな。だからお前は、嫁の来手が……」
ぶつぶつと不満を口にしながらも、野々宮はポケットから右手を出した。
一、二、三、……五本の指は全て揃っているかに見えた。
しかし、彼の五本目の小指は、義指だった。
「野々宮さん、それ」
十五年の歳月がすぎ、明らかとなった真中正義殺しの犯人。捜し続けたその犯人を目の前にしながら、優一郎の声は上擦っていた。
「よく、調べたな」
優一郎とは対照的に、犯人の野々宮は落ち着いていた。
「……何故?」
やっと搾り出した声で、優一郎は聞いた。
「何故、って、お前、自分の親父が何をやっていたのか、知らないのか?」
野々宮は、今もけん銃を構える優一郎を、呆れ顔で見つめた。
優一郎は何も答えなかったが、知らないのだと表情で察した野々宮は、
「今のお前なら分かるだろうから、聞いておけ」
と前置きし、“県警本部長殺人事件”について、その真相を語り始めた。
「十五年前、お前の親父、真中正義は県警本部長としてこの県に赴任してきた。腰かけのキャリアに何ができる。俺を含め、本部の誰もがそう思っていた。だが、あいつは違った。本部長という肩書きに関係なく、進んで現場に赴き、次々と犯人を検挙していったんだ。当時まだ巡査部長だった俺は、その姿に憧れた。初めに持った偏見など跡形もなく消えていた。ところが、ある窃盗犯を検挙しようとした時のことだ。俺はあいつの本性を知った。……お前、通常逮捕状の請求ができる階級は、知っているよな?」
「刑事訴訟法第一九九条第二項による指定を受けた司法警察員。階級は、警部以上です」
急な質問であったが、優一郎はすらりと答えた。
「そうだ。その通常逮捕状の請求権を、あいつは利用したんだ」
「どういうことですか?」
話が見えないでいる優一郎に、野々宮は、
「そう急くな」
と窘め、続けた。
「確かに、通常逮捕状は警部以上の者しか請求できない。だが、実際にそれを書いているのは、事件担当の警察官だろう?」
「まぁ、そうですね」
通常逮捕状請求書は、警部以上の者の名で、部下が書くのが一般的なのだ。
「しかし、その請求書だけでなく付加書類の全てを、あいつは自分の手で作成していたんだ。その仕事ぶりに、俺は感動すら覚えていた。しかし、これには裏があった。請求書に基づき裁判所が発行した窃盗犯の逮捕状。その逮捕する者の氏名欄には、あいつの名が書いてあったんだ。地道な聞き込みをして、犯人の所在地を摑む所まで漕ぎ着けたのは俺なのにだ。あいつは、その逮捕状を手に、窃盗犯を検挙した。つまり、完全な手柄の横取りというわけだ。これは、俺だけに降りかかった災難じゃなかった。あいつが進んで現場に出ていたのは、その全ての犯人検挙を、自分の手柄にするためだったんだ」
野々宮が明かした真実。それは、息子である優一郎でさえ知らなかった、父親の闇の部分であった。
自分でも気づかぬうちに優一郎は、けん銃を持つ手を下ろしていた。
「このことがあった二日後。恨みに燃える俺の心を嗅ぎつけたかのように、人形が送りつけられた。差出人の名前がない小包だったよ。送ってきたのは警察関係者かも知れないし、そうじゃないかも知れない。だが、今となってみれば、それはどうでもいい話だ。小包は桐箱で、箱の中身は、赤い着物の日本人形、エーコだった。その後、出張であいつの供をすることになった俺は、あのホテルに泊まる前日に『指切り』をした。ホテル内で真中正義を殺すよう依頼したんだ。あとは、お前も知っているとおりだ」
「では、あれだけ懸命に親父の事件を捜査してくれていたのは……」
「容疑を俺から遠ざけるために決まっているだろう。それに、捜査を攪乱するには、内部を掻き回すのが一番だからな。ガセ情報も大量に流してやったよ。案の定、現場は混乱し、事件は迷宮入りした。それから十五年。時効が成立したことを確認した俺は、オークションサイトに人形を出品した。それを百万で競り落としたのが、久保真澄ってわけだ。まさか、こんなにも早く殺人が起きるとは思いもしなかったがな」
久保真澄について野々宮が一切の情報を優一郎に伝えなかったのは、このことがあったからだった。真中正義殺害と今回の事件は、人形を通し、全て一本の線で繋がっていたのである。
「自首してください」
無駄だと分かりつつ、優一郎は言った。そうでなければ、今にも彼は間違いを犯してしまいそうだったからだ。
だが、そんな優一郎の言葉も、彼には届かなかった。
「馬鹿か、お前は。既に時効になっているのに、自首してどうするんだ? それに、自首したとして、署の連中にどう説明する? 人形に依頼して人を殺したとでも言うのか? そんな現実離れした話、誰が信じるっていうんだ。いいか、よく聞け。日本の法律では、藁人形に釘を刺して相手を呪い殺したとしても、罪にはならないんだ。俺が人形に殺人を依頼したのは、呪い殺したのと同じで、元々罪には問えないことだったんだよ」
確かに、野々宮の主張は正しかった。しかし、法律というのは人間が作ったもので、万能ではない。世の中には、法で解決できないこともあるのだ。
「それならば、俺が貴方を裁きます」
優一郎は、再び銃口を向けた。
一瞬表情を変える野々宮だったが、そこは数々の修羅場を潜り抜けてきた刑事だ。
「お前、分かっているのか? ここは警察署だぞ。一発撃てば、下にいる警察官は総出でここに駆けつける」
と、すぐさま優一郎の動きを牽制した。
「目の前に親父の仇がいる。俺が引き金を引けば、全てが終わる」そう思いながらも、優一郎の指は、それを拒絶するかのように固まったまま動かなかった。一方、野々宮は、「背後のドアを開ければ階下に逃げられる」と考えるが、そのタイミングを計れずにいた。
両者の睨み合いは続いた。
その時、極限の緊張を破るかのように、優一郎の携帯電話が鳴った。ほんの一瞬、彼の気が携帯電話に逸れた。
この瞬間を、野々宮は見逃さなかった。ドアを開けた彼は、一気に階下へと駆け下りた。
あとを追おうと慌てて走り出す優一郎。
だが、室内での狙撃は絶対に不可能だと分かっていた。けん銃を構えた時点で、あっという間に周囲の警察官から取り押さえられてしまう。諦めて彼は足を止めた。
まだ、携帯電話は鳴っていた。
こんな大事な時にかけてくる奴は誰だ。苛立ちを露に、優一郎は電話に出た。
「何の用だ」
「もしもし、小山です。今、久保真澄のマンションにいるんですが」
そういえば森から電話をかけてきた小山に、真澄宅へと向かうように指示を出していた。たった三十分ほど前の出来事なのに、優一郎には、それが既に遠い記憶のように感じられた。
「今、忙しいんだ。あとにしてくれ」
邪険に電話を切ろうとする優一郎を、小山は慌てて引き止めた。
「ま、待ってください。久保真澄の遺体に不自然な点があって、是非、真中警部のお知恵を拝借したいんです」
真澄のマンションでは人形に気を取られ、ろくに遺体を確認していなかった優一郎は、小山の言葉が気になり話を聞くことにした。
「何があった?」
「指が、遺体の指が、切り取られているんです。犯人は、何のために指を持ち去ったのでしょうか?」
「何だ、そんなことか」そう優一郎は思ったが、すぐにその考えを改めた。真澄の『指切り』はおろか医者にかかっていた事実さえ知らない小山に、この謎が解けないのは当然のことだったからだ。
そこで彼は、『指切り』の内容を伏せ、真澄が小指の怪我で医者にかかっていたことだけを小山に伝えた。
これで、納得したとの返事が返ってくるはずだ。
だが、受話口から聞こえる声は暗いままだった。
「確かに、左手の小指は包帯が巻かれていて、治療の跡が見て取れるのですが、彼女、その横の“薬指も欠損”しているんです。しかも新しい傷のようで、治療した形跡もないんです」
「何だって!」
「ですから、小指だけでなく、薬指も無いんです」
優一郎が驚きから出した言葉を、聞き返したのだと勘違いした小山は繰り返した。
人形と出会った者が指を無くす理由はひとつ。『指切り』だけだ。
当然、優一郎はそれに気づいたが、
「指が無い理由、か。想像がつかないな」
と、電話の向こうの小山に嘯いた。
「そう、ですか」
優一郎ならば、と期待していた小山の声がか細く聞こえてくる。真澄のマンションで肩を落としている彼の姿が見えるようだ。
「役に立てずに、すまない」
「いいえ、とんでもないです。何か分かったら、また連絡差し上げます」
「あぁ、頼む」
電話を切った優一郎は、一度大きく息を吸い込み、空を見上げて一気にそれを吐き出した。
今回の事件は、朝霧雄介と久保真澄、二人の死で幕を下ろしたわけではなかった。
久保真澄から欠損していた薬指が意味するもの。それは、彼女の恨む者の死。即ち、城崎小百合の死だ。まだ、殺人の連鎖は続いていたのである。
優一郎は、真澄のマンションでの人形の様子を思い出した。
あの時、人形が急いでいたのは、城崎小百合のところへと向かうつもりだったからなのだ。
現在、小百合は総合病院にいる。
「病院に行けば、エーコに会える」
そう呟いた優一郎は、転がるように階下へと向かった。




