第五章 『死を与えし者への代償』③
総合病院へと向かう車中、小百合は、前だけを見て黙って運転していた。
一方、助手席に座った人形は、首の辺りを手で撫でてはちらりと小百合を見る、という動作を繰り返していた。
小百合は、当然そのわざとらしい人形の動きに気づいていた。
だが、気づいてはいたが無視していた。首につけている物について聞け、と言われているようで、何となく癪に障ったからだ。
そのまま暫く放っておいたが、人形は、やめるどころかさらに頻繁に回数を重ねるようになった。このままでは、気が散って運転にも支障を来してしまう。
仕方なく、小百合はたずねた。
「エーコちゃん。それ、素敵ね?」
「え? それって、どれ?」
人形は恍けてみせた。
「チョーカーのことよ」
小百合は人形の首を指さした。
「あぁ、これね。これは、アンクレットっていうのよ。ますみが、いってた」
「そうなの? でも、アンクレットは足首につけるのものよ」
「いいの。これは“にんげんよう”だから、エーコには、おおきすぎるの。くびにつけてちょうどいいのよ」
確かに、人形の首は成人女性の足首ほどの太さだった。
運転しながらの“ながら見”をしていたせいでチョーカーだと思ったが、よく見ればアンクレットだと分かるのだろう。小百合は納得した。
「それで、そのアンクレット、久保さんからのプレゼントなの?」
小百合が問うと、人形は首を振った。
「ちがうよ。あさぎりゆうすけのおうちから、かってにもってきたのよ」
そのとたん、車は派手なブレーキ音を鳴らして停まった。
フロントガラスに飛び出しそうになるのを、人形は何とか堪えた。何事かと驚き運転席を見ると、そこには、鬼のような形相でこちらを睨む小百合の顔があった。
「それって、雄介さんから私へのプレゼントじゃないの! 返しなさいよ!」
「いや!」
真澄の時は嘘をついて怒られたから今度は本当のことを言ったのに、結局、怒られてしまった。伸びてくる小百合の手をかわしながら人形は、この世の不条理というものを感じていた。
「エーコちゃん。人の物を盗むのは、悪いことなのよ」
窘めるようにそう諭す小百合に、
「じゃあ、エーコに、さつじんをいらいするのは、わるいことじゃないの?」
と、首のアンクレットを庇いながら人形は反論した。
……人形の勝ちだ。
「分かったわ。そのアンクレットはエーコちゃんの物よ」
不承不承小百合は取り返すのを諦めた。それと同時に、ふと“あること”を思う。
今人形の首につけられているアンクレットは、元々は雄介の部屋にあったものだ。事情聴取を受けた時には聞かれなかったが、今後このアンクレットについて警察から質問されることもあるだろう。その場合、ここであったことは忘れ、初見のとおり「チョーカー」と答えるのが得策なのだ、と。
彼女は、このことを深く心に刻んだ。
それから十五分。車は順調に走り続け、小百合と人形は総合病院に到着した。
「さぁ、『ゆびきり』しようよ!」
駐車場に車を停めるや否や、人形は小百合に擦り寄ってきた。
「ちょ、ちょっと待って。エーコちゃんは食べるだけだからいいだろうけど、食べられる私には、心の準備が……」
「ふ~ん。さゆりは、“ごはん”たべるとき、“おにく”や“おさかな”のきもちを、かんがえながらたべてるんだ」
「茶化さないで!」
怒鳴られてしまい、人形はペロッと舌を出した。
小百合は、目を閉じると深く二度呼吸をした。
「私は、エーコちゃんに餌をあげるだけよ。そう。私は、彼女の雇い主ではないの。“飼い主”なのよ。餌さえ与えれば、彼女は私の意のまま。指は無くなるけど、多分そんなに痛くはないし、ここは病院の敷地内なのだから大丈夫」心の声で自分にそう言い聞かせ、彼女は目を開いた。
両眼は、人形の首についたアンクレットを真っ先に捉えた。「まるで首輪ね」と小百合は思い、改めて自分は“飼い主”であるとの気分になっていた。
「はい、……どうぞ」
意を決し、小百合は右の小指を差し出した。
「いただきま~す!」
人形は小百合の指に飛びついた。
小指に人形の歯が喰い込むと、小百合は小さく呻き声を漏らした。激痛で視界が大きく歪むが、目を閉じる余裕さえない。―ブツッ― 指先が千切れる音がしたその時だけ、「今の切断音は神経? それとも骨?」と他人事のように痛みを忘れることができた。
しかし、それは刹那で、再び激痛が彼女を襲った。
拍動に合わせて繰り返される耐え難き痛みは、小百合の意識を遠くに押し遣っていった。噴き出す血液を抑えようと、慌ててハンカチを取り出し手に宛がうが、小さな布の吸収量など高が知れている。見る間に、白いハンカチは真紅に染まっていった。
ぽたりぽたりと滴る血を見つめながら人形は、まるで焼き鳥の軟骨でも齧る様な音を立てて小百合の小指を咀嚼し、飲み込んだ。
「……ううっ、……くっ」
清楚な外見からは想像できない低い声を出し、小百合は、透き通るような白い首に青筋を立てた。
その前で人形は、
「ごちそうさま」
と、満足そうに両手を合わせた。
それから、
「それじゃ、おしごといってくるね」
実に上機嫌にそう告げ、車内から忽然と姿を消した。
「は、早くお医者様に診ていただかないと、私、……死んじゃう」
這い出るように車から降りた小百合は、よろよろと駐車場を歩き、病院へと入って行った。
久保真澄の自宅に人形が現れた。
雄介から別れを告げられて以来続いた、眠れぬ夜。そのせいで、今朝人形を森に捨てて全てを終わらせた真澄は、安心感からか絶望感に包まれてか、泥のように眠っていた。
寝室のベッドで、静かに寝息を立てている真澄。当然ながら、そこへ足を踏み入れる人形の気配にも気づくことはなかった。
「ますみ、おやすみなさいしてる」
ベッドに上がった人形は、真澄の寝顔を見下ろしてそう呟いた。
それから、にんまりと口の端を上げて笑う。
好機だ。起きている標的を刺すのは難しいが、寝ているのであれば隙だらけ。十回刺すなど簡単なことだった。
仰向けの真澄に馬乗りになり、その胸元に狙いを定めて果物ナイフを振りかざす……が、何を思ったのか、人形は直ぐにその手を下ろしてしまった。
顎に手を当て、じっと宙を見る。
確か、小百合は言っていた。「寝ている時に刺すなんてのは駄目よ。じわじわとした死の恐怖を与えながら、生きたまま十回刺すの」と。
「しかたないな」
真澄にかかった布団を取ると人形は、ベッドの四隅に彼女の手足をロープで固定した。
よほど深く眠っているのだろう。それでも彼女が目を覚ますことはなかった。
「じゅんび、かんりょう」
大の字になった真澄を見て頷く。それから人形は、寝室の隅で体育座りをして彼女が起きるのを待った。
三十分後。寝返りを打てなかったのが原因で、真澄は目を覚ました。
「おはよう、ますみ。あ、ちがった。こんにちは、だね」
寝起きでぼやける真澄の視界に、人形は唐突に飛び込んできた。
「エ、エーコ! 貴女、何故、ここに?」
慌てて跳ね起きようとする真澄だったが、遅きに失するとはまさにこのこと。四肢の動きは完全に封じられていた。
かろうじて動くのは頭部だけだ。それを捩じって見た自分の右腕が、ロープで固定されているのを確認した瞬間、真澄は察した。「私も殺されるのだ」ということを……。
「エーコ。私を殺すように依頼したのは、誰なの?」
予想はできていたのだが、真澄は聞いた。
「さゆりよ」
「……やっぱり」彼女は、諦めの籠もった溜め息をついた。
「それで、私はどんな風に殺されるの?」
「そんなことをきいて、どうするの?」
そう言いながらも、人形は真澄に告げた。
「ますみはね、くだものナイフで“じっかい”さされて、しぬのよ」
「随分と恨まれたものだ」そう真澄は思った。
人を呪わば穴二つ。この言葉の意味を、今、彼女は身を以て感じていた。
その後、人形と幾つかの会話を交わし、真澄は死んだ。
それは、優一郎が小百合と面会していたのと、ほぼ同時刻だった。
嘘。
裏切り。
その代償は……、
“死”
ならば、“死を与えし者への代償”は何か?
それもまた、“死”だったのである。
“恨み”という名のもとに、死の連鎖は、まるでメビウスの輪のように際限なく続いていく。




