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指切り  作者: 直井 倖之進
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第五章 『死を与えし者への代償』②

 午前九時二十分。薄暗い森の中に、小百合の姿はあった。

 冬でも滅多に雪が降らない温暖な気候のこの県は、常緑広葉樹が多く自生している。そのため、一歩森に入れば、日の光は殆ど遮られ、真夏でも涼しさを感じるほどだった。

 真澄が森を去るのを待ってから木箱を掘り出した小百合は、その中に人形を見つけた。

 そっと両手を伸ばし、人形に触れる。そのまま持ち上げてみるが、目を見開いた珍しい表情以外は何の変哲もない日本人形だった。

 両手に持った人形を見つめながら小百合は、「どうしてわざわざこんな所まできて、これを捨てたのかしら?」と、首を傾げた。

 よく見ると、人形の髪の毛には埃がついていた。

「まぁ、随分と汚れたお部屋に、久保さんはお住まいなのね」

 そう呟いた小百合は、人形についた埃を手で払い落した。

 そのとたん、

「う~ん、よくねた」

 小百合の手の中で人形が大きく伸びをした。

「きゃっ」

 短い悲鳴を上げ、小百合が人形を取り落とす。

 重力のままに落ちた人形は、尻で地面に着地した。

「い、いたいよ~」

 立ち上がった人形は、尻を擦りながら涙目になった。

 そして、

「エーコをおこすひとは、みんな“らんぼう”なんだから、いやになっちゃう」

 と、小百合を見上げて頬を膨らませた。

「ごめんなさい。貴女、お話しできるの?」

 人形の前にしゃがむと、小百合はたずねた。

「うん、そうだよ。エーコ、おはなしだけじゃなくて、いろんなことができるのよ。すごいでしょう」

 人形は、胸を張って答えた。

 これほどまでに自在に動き、会話ができる人形を、今まで小百合は見たことがなかった。しかも、愛嬌があり、その仕草も微笑ましい。

「エーコちゃんって、可愛い」

 そう言って頭を撫でようとした小百合の手を、人形はするりとかわした。

「あたまをなでちゃ、だめ! エーコ、おやすみなさいしたくないんだから」

「お休みなさいって、頭を撫でると動かなくなるの?」

「そうよ」

「へぇ。エーコちゃんって、面白い」

「おもしろくなんかないよ。そのせいで、きのうは、へんなかおのまま、とまっちゃったんだから」

 木箱から取り出した時に驚いた表情だった理由を小百合は理解した。

「ねぇ、エーコちゃん。貴女のこと、もっと教えてくれない?」

「それって、エーコの“やといぬしさま”になるってこと?」

 上目遣いで、媚びるように人形は聞いてきた。

 「雇い主様? きっと人形の所有者という意味ね」そう判断し、小百合は答えた。

「そうよ」

 すると、人形は飛び跳ねて喜び、

「よかった。“さいしゅうしょく”できて。あたらしい“やといぬしさま”、よろしくね」

 と、右手を差し出した。

「私は、小百合よ。よろしくね、エーコちゃん」

 小百合は、人差し指で人形の小さな手と握手を交わした。

 「小百合」の名前には聞き覚えがある人形だったが、それについて話をすると、せっかくの再就職がふいになってしまいそうだったため、知らないふりをすることにした。

「それで、さゆりは、エーコのなにをしりたいの?」

 小百合が本当に知りたかったのは、人形のことではなく真澄の昨日の行動についてだったが、そこは遠回しに聞いていくことにした。

「エーコちゃんって、色んなことができるって話していたよね。貴女の一番得意なことって、何かしら?」

 小百合にとって、人形の得意なことが綾取りだろうがお手玉だろうが、そんなものは別にどうでもよかった。それを褒めちぎることで機嫌を取り、真澄の行動を話させようとの作戦だったからだ。

 だが、彼女のこの当ては、人形の次の言葉で見事に外されることになる。

「エーコが、“いちばんとくい”なのはねぇ、“さつじん”かな」

「さ、殺人?」

「うん。“ひとごろし”のことだよ」

「人殺し……って、じゃあ、私の雄介さんを殺したのは、エーコなの?」

 最早、作戦も何もあったものではない。小百合はストレートに聞いた。

「うん、そうだよ。“いらい”したのは、ますみだけど」

「嘘、でしょう?」

「“うそ”じゃないよ! エーコ、もう“うそつかない”って、ますみとやくそくしたんだから! あさぎりゆうすけは、エーコがころしたのよ!」

 自分の犯行を必死で告白する人形の姿を目の当たりにし、小百合は、「この子が、本当に雄介さんを……」と、きつく人形を睨みつけた。

 (たちま)ち、人形に対する憎しみの念が、彼女の全身を包み込む。

 この場で人形を壊してしまうことは造作もない。しかし、影で糸を引いていた真澄のほうは、そう上手くはいかないだろう。もし、人形に殺害を依頼した事実を証明できたとしても、日本の法律でそれを裁く術はないのだから。

 それならば……。

 小百合は、瞬時に考えた真澄殺害計画を即座に実行に移した。

「ねぇ、エーコちゃん。私は、エーコちゃんの雇い主なのよね?」

「そうだけど、エーコは、さゆりの“こんやくしゃ”をころした“はんにん”だよ。それでも、エーコの“やといぬしさま”になってくれるの?」

 人形は、横目でちらりと小百合を見た。

「もちろんよ。それで、私が雇い主ってことは、エーコちゃんにお仕事をお願いできるのよね。それって、どんなことでも頼めるの?」

「“どんなことでも”は、むりだよ。エーコ、“さつじんせんもん”だから」

 人形の世界に“殺人の専門”があるのかは知らないが、小百合にとって人形のこの言葉は、まさに渡りに船だった。

 小百合は人形に依頼した。

「久保真澄を、殺して」

「ますみね。わかったよ」

 殺害の標的は元雇い主である真澄だったが、人形はあっさりと承諾した。

「ありがとう。それで、私はエーコちゃんに何をあげればいいの? 雇い主って言い方をするのは、私がエーコちゃんにお給料を払うからでしょう? 貴女、お金は要らないだろうから、何が欲しいのかなって思って」

 小百合のこの言葉に、人形は激しく動揺した。『指切り』の儀式の前に、それについて説明するのは、初めてのことだったからだ。

 まるで全てを見透かしているような雇い主を前に、嘘をつけない辛さ感じながら人形は言った。

「なにって、それは、その、……さゆりの“ゆび”。さゆりの“ゆびいっぽん”と、“ますみのし”をこうかんするのよ」

「指一本。それだけ?」

「うん、そうよ」

 人形が頷く。

 安いものだと考え、小百合は告げた。

「分かったわ。契約成立よ」

 ほっと息をついた人形は、彼女の気が変わらないうちに、と本題に入った。

「よかった! それじゃ、ますみのころしかたをきめてちょうだい」

「雄介さんと同じ目に遭わせたいから、果物ナイフで刺して」

「ナイフで“ブスリ”だね。りょうかい。それで、“ブスリ”のかいすうは? あいてをくるしめたいなら、“ごかいいじょう”がおすすめだけど」

「五回なんて少ないわよ。そうねぇ、せめてその倍。十回ね。それも、寝ている時に刺すなんてのは駄目よ。じわじわとした死の恐怖を与えながら、生きたまま十回刺すの」

「“じっかい”かぁ」

「多すぎたかしら?」

「とんでもない。やりがいがあって、ちょうどいいくらいだよ」

 人形は大きく首を振る。

 これから人を殺す相手にかけるべき言葉だろうか。そう迷いながらも小百合は言った。

「頑張って、エーコちゃん」

 人形は、返事の代わりにトンと胸を叩いて見せた。

「じゃあ、かくにんするよ。しんでもらうのは、くぼますみで、ころすほうほうは、くだものナイフで“じっかい”さすのね」

 人形が、依頼内容を復唱する。

「そうよ。それで、私の指はいつ渡せばいいの?」

 小百合が問うと、「待ってました!」とばかりに身を乗り出し、人形は答えた。

「“ほうしゅう”は、“さきばらい”よ。まぁ、エーコとしては、いますぐほしいところだけど」

「今すぐは無理よ。ここから病院までどれだけの距離があると思っているの? それに、ここには指を切る物もないし」

「あるよ。『ゆびきり』するものなら、あるよ」

 人形は両手で口を横に広げると、歯をかちかちと鳴らした。

「え? まさか、噛み切るつもりなの?」

「かみきるだけじゃないよ。“もぐもぐ”して、そのあと“ごっくん”もするのよ」

「食べる、の?」

「うん。とっても、おいしいのよ」

 人間の指の味を思い出し、人形が恍惚とした表情を浮かべる。

「変わった好物ね」

 背中に冷や汗が伝うのを感じながら、小百合は精一杯に強がって見せた。

「なにいってるの。にんげんのほうが、へんだよ。エーコ、しってるんだから。にんげんは、しろいミミズをたべるんだって」

「それって、お()(どん)かパスタでしょう?」

「エーコ、しらない」

「とにかく、噛み切られるなんて私は嫌よ」

「だめなの?」

「駄目に決まってるでしょう。細菌に感染したらどうするの」

 身震いする小百合に、人形は冷めた目を向けた。

「ふ~ん。さゆりは、ますみより、よわむしなのね」

「な、何ですって!」

 聞き捨てならないその言葉に、小百合は声を荒げた。

 だが、それでも人形は気にしない。

「ほんとうのことを、いっただけだよ。だって、ますみは、エーコと『ゆびきり』したんだから」

「久保さんが?」

「そうよ。ますみだけじゃないよ。エーコに“おしごと”をたのんだひとたちは、みんな『ゆびきり』してるのよ」

 真澄に負けたくないという気持ちが、小百合を後押しする。しぶしぶ彼女は承知した。

「……分かったわ。でも、指をあげるのは病院に着いてからよ。総合病院の敷地内なら、『指切り』のあと、すぐにお医者様に診ていただけるし」

「うん、それでいいよ。く、くくく。たのしみ、たのしみ」

 不気味に笑う人形を抱いて森を出ると、小百合は車に乗り込んだ。

 誰も居なくなった森の中では、短い生命を誇示するかのように、アブラゼミとクマゼミが合唱していた。

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