第四章 『警部・真中優一郞の推理』②
「真中警部!」
署の玄関を出ようとしたところで、優一郎は自分を呼ぶ声に振り返った。
優に百キロはあろうかという巨体を揺らして、所轄の刑事が走ってくる。
優一郎の傍らへと到着した巨漢の刑事は、一度息を整えてから頭を下げた。
「小山です。現場まで同行させてください」
「小山って、ひょっとして同期の?」
「はい。警察学校では、教場も同じでした」
「あぁ、そうだった、そうだった」
頷きながら優一郎は、目の前の男のことを思い出していた。
見た目は大きな山のようだが、名前は小山。小山譲だ。
コックを夢見て大学卒業後に調理師免許を取ったにも拘らず、何故か警察官になってしまったという変わり種である。まだ三十一歳だが、見ようによっては四十代後半に見える。現在の階級は巡査部長だ。
「確か、地域課だったよな?」
そう優一郎が問う。
すると、小山は心底困った様子で、
「はい。でも一昨年、昇進に伴って刑事課に配置換えされてしまいました。署長の推薦状が出ているから断るわけにもいかなくて……」
と愚痴を溢した。
警察官ならば誰もが夢見る刑事も、小山にとっては魅力あるものではないのだろう。
だが、彼は、本人の意思とは関係なく刑事課に推されるほどの男である。優秀な警察官だということに、間違いはなかった。
「すみません、私的な話をしてしまって。自分、玄関まで車を回します」
少し肩を落とし、小山は署を出て行った。
程なくして、車が玄関に横づけされる。
「行きましょう」
小山の声に促され、優一郎は助手席に乗り込んだ。
「現場のマンションまでは、ここから十分程度です」
ハンドルを操作しながら小山が言った。
「急ごう」
優一郎の言葉に応えるように、小山はアクセルを踏み込んだ。
「それにしても、真中警部はすごいですね。採用から八年で、もう警部なんですから」
現場への道中、信号で停止した小山は、優一郎の顔を見た。
ところが、
「そうかな」
と彼は、まるで他人事のような気のない返事をする。
「そうですよ」
すぐさま小山は断言した。
ノンキャリアの場合、巡査から警部になるまで、大手柄を立てて選考昇任する場合を除くと、どれだけ早くても七年半の歳月がかかる。優一郎の出世は、小山の言うとおり驚くべき早さだったのである。
信号が青に変わると、再び車を加速させて小山はたずねた。
「真中警部って、東大卒でしたよね。キャリアも狙えたはずなのに、どうして地方の警察官になられたのですか?」
「どうして、って、言われてもな」
優一郎は困惑の表情を浮かべた。
「そういえば、真中警部のお父さんも警察官。東大卒でキャリア組でしょう? 確か、どこかの県警本部長にも就かれていた方だと伺いましたが」
「それだよ」
「え?」
「俺が今、ここで刑事をやっている理由」
「はい? どういうことですか?」
「今から十五年前、俺の親父、真中正義は誰かに殺されたんだ。県警本部長としてこの県にきたばかりのころに」
「この県、ですか。それでは、先ほど捜査本部でお話されていた“県警本部長殺人事件”の被害者って……」
「俺の親父だ」
「では、その事件を追うために」
ちらりと視線を遣る小山に、優一郎は答えた。
「あぁ、そうだ。キャリアになったら、ほとんどが警察庁勤めになってしまう。それだと、親父を殺した奴を捜すなんてできなくなるからな」
「確かに」
そう小山も同意した。
十五年前に殺害された県警本部長は、優一郎の父親だった。
話を整理する小山の頭の中に、ある言葉が浮かんだ。
「殺人」と「十五年」のキーワードが揃えば、当然浮かんでくる単語、「時効」である。
平成二十年(二〇〇八)の現在、刑事訴訟法は改正され、殺人事件の時効は二十五年になっている。だが、平成五年(一九九三)に発生した“県警本部長殺人事件”は、刑事訴訟法改正前の事案であるため、その時効は十五年だ。それをすぎた場合、たとえ犯人を見つけたとしても逮捕はできない。
一体、時効まであと幾日が残されているのだろうか。
気になった小山は、優一郎に聞いた。
「あの、真中警部のお父さんの事件って……」
彼が言い終わらないうちに、優一郎は答えた。
「時効なら二か月前に迎えたよ」
「え? では……」
「あぁ。事件としては、終わっているんだ」
思いの外、そう優一郎は軽く告げた。
しかし、一度ぐっと拳を握り締めてから、彼は続けた。
「だが、時効なんてのは、第三者が勝手に決めた法律で、被害者の家族にとってそんなものはないんだ。それに、今回の事件と親父を殺した奴が同一犯なら、朝霧雄介殺害の逮捕状に、親父の恨みも一緒に込めて叩きつけてやることができるしな」
この時の優一郎の声が聞こえたわけではないだろうが、これより約二年後の平成二十二年(二〇一〇)四月二十七日、殺人罪による公訴時効は廃止されることとなる。
言い知れぬ重い空気に包まれながら、車は、殺人現場に向かって走り続けた。
“県警本部長殺人事件”
この事件を切っ掛けに、優一郎の人生は大きく変わった。
十五年前。当時高校生だった優一郎は、東京からこの県へと両親とともに越してきた。彼の父、正義の県警本部長就任がその理由だ。
異動といっても、正義のような国家I種をクリアしたキャリアにとっては、単なる腰かけにすぎない。 一、二年経てば、再び警察庁へと戻ることになるはずだった。少なくとも、正義はそう思っていた。
だが、彼が東京の地を踏むことは二度となかった。
県警本部長に就任してひと月後の五月、事件が起きたのだ。
朝一番の飛行機で警察庁への出張が決まっていた正義は、その前日、当時県警本部にいた部下の野々宮とともに、空港近くのホテルに宿泊していた。
朝になり、身支度を整えた野々宮が正義の部屋を訪ねる。
何度かチャイムを鳴らしたが返事はなかった。まだ寝ているのだろうか、そう思った野々宮は、フロントで確認してもらうことにした。しかし、フロントからの内線電話にも応答はなかった。
こうしている間にも出航の時間は迫っている。野々宮は、ホテルの従業員を連れて正義の部屋に戻った。
手にした合鍵で従業員が部屋のドアを開ける。
室内に入った二人が見たものは、胸をひと突きにされた正義の変わり果てた姿だった。傍らには、凶器の果物ナイフが落ちていた。
殺害されたのが県警の本部長。しかも、血溜まりを掻き混ぜたような跡があることから猟奇殺人の様相も呈している。話題性に事欠かないこの事件を、当然ながら新聞各紙は大々的に報じた。
警察の威信をかけた捜査で投入された捜査員の数は、十五年で延べ二十万人を超えた。
この事件で、第一発見者である野々宮や従業員はもちろん、警察関係者や周辺住人等、約二千人が聴取を受けたが、容疑者は浮かんでこなかった。
嫌疑が解けた野々宮は、捜査に加わることができるようになった。彼は、周囲から異常だとも思われるほど直向きに、この事件を追い続けた。
正義を亡くした優一郎は、母親とともに東京に戻ることになった。
そして、七年後。大学卒業から二年間の留学を経て二十四歳になった優一郎は、警察官として再びこの県に戻ってきた。父親の事件の真相を追うために……。
「このマンションです」
路肩に車を止めると、小山はエンジンを切った。
マンションの出入り口付近には、想像以上の報道記者やカメラマンがいた。その隙間を縫うように優一郎と小山は中へと走り込んだ。




