第四章 『警部・真中優一郞の推理』①
第四章 『警部・真中優一郎の推理』
雄介の死から十三時間後。日付も変わった午前九時。所轄署の大会議室には、“広告会社専務殺人事件”の捜査本部が設置されていた。住宅街が主なため、比較的落ち着いた環境にあるこの署での捜査本部設置は、実に四年ぶりのことだった。大会議室には、所轄の刑事に加えて、県警本部からの応援も駆けつけていた。
所轄の刑事第一課、野々宮茂警部は、右手をポケットに入れた姿勢のまま立ち上がると、マイクを使うことなく室内を震わすような野太い声で話し始めた。
「今回の事件、現在も犯人は逃走中だ。地域住人の安全確保及び本件の早期解決に向け、これからは県警本部と合同で捜査していく。なお、本件の陣頭指揮は俺が執るが、あくまでもこれは形式上だ。犯人検挙をなすために出てくる選択肢。その全ての決定権は、県警本部捜査第一課、課長補佐の真中優一郎警部にある。それを忘れるな。特に、ウチの連中は確と肝に銘じておくように。以上」
どかりと椅子に腰を下ろした野々宮は、隣の優一郎の背中を軽く叩いて合図した。「現時点までの経過について話をしろ」という意味だ。
だが、そういったことは、既に捜査を開始している所轄の刑事のほうが詳しい。優一郎は慌てて野々宮を見たが、彼は黙って頷くだけだった。
仕方なく立ち上がると、優一郎はマイクを握った。
「昨夜、自宅マンションで、広告会社専務の朝霧雄介さんが殺害されました。遺体発見は、二十一時。第一発見者は、婚約者の城崎小百合さんです。彼女の父親は、被害者の勤める会社の社長だそうです。通報は二十一時五分。通報者は、斉藤正さん。城崎家の運転手です。警察の現場確認は二十一時十分。鑑識到着は二十一時二十分でした。現在、既に鑑識活動は終了し、現場捜査もできるようになっています」
話し手を交代しようかと再び野々宮を見るが、彼は黙って前を見つめていた。諦めて優一郎は続けた。
「次は、遺体の状態及び現場の状況についてです。詳しくは司法解剖の結果待ちですが、鑑識の判断では、死因は、頸部動脈切断による失血性ショック死。死亡推定時間は、昨夜二十時の前後一時間です。凶器は小型の刃物。現場にあったフルーツバスケットの中から、被害者のものと思われる血痕が付着した果物ナイフが発見されていますので、犯行には恐らくそれが使用されたと考えられます。なお、現場は、小窓を含め全て施錠されており、完全な密室でした。それから……」
ここで、突然優一郎の言葉が止まった。
どうしたことかと捜査員たちの注目が集まる中、彼は、一度深く呼吸をしてから再び口を開いた。
「それから、今回の事件、十五年前の“県警本部長殺人事件”の時と類似している点がいくつかあります。ひとつ目は、すぐに見つかる場所に凶器を置いていながら、その凶器からはもちろん、その他、室内のどこからも指紋が確認できていない点。二つ目は、指紋の代わりに、室内の至る所から新生児ほどの大きさの足袋の跡が見つかっている点。そして、三つ目は、被害者の死後、現場にできた血溜まりを掻き混ぜたような跡があった点です。これらの事象を鑑みるに、犯人は、十五年前の事件と同一犯である可能性が高いと思われます」
優一郎の言葉に、野々宮は前を見据えたまま首を縦に振った。
「よって今後の捜査方針ですが、十五年前の殺人事件を踏まえた上での、周辺住人への聞き込み及び被疑者の絞り込みに重点を置いてお願いします。一刻も早い犯人検挙にご協力ください。以上です」
会議が終わると、室内に椅子を引く音が一斉に響き、捜査員たちは次々と部屋をあとにしていった。
大会議室には、優一郎と野々宮だけが残った。
「よくやった」
普段あまり笑うことのない野々宮は、作ったような笑顔を優一郎に向けた。
「すみません。上手く話せなくて」
申し訳なさそうに、優一郎が頭を下げる。
「気にするな。今日の会議は、このヤマはお前が中心、ってことがウチの連中に伝わりさえすれば、それでよかったんだから」
「そのことなんですけど、俺、本当に外に出て捜査してもいいんですか?」
そう優一郎が問うと、野々宮は大きく頷いて見せた。
「もちろんだ。それに、俺たち所轄の人間にとっても、そのほうが好都合だからな」
「確かに、そうですね」
飾ることのない野々宮の言葉に、優一郎は納得した。
優一郎は、県警本部の刑事部捜査第一課、課長補佐で、階級は警部だ。年齢は三十二。警察官としては珍しく、この年で独身だった。一方、野々宮は、所轄の刑事第一課、課長。こちらも警部である。年齢は四十五。完全な縦社会である警察組織は、階級が上であれば年齢の差は一切関係ない。しかし、二人の階級は同じだ。そのため、所轄の刑事たちは、「年上で現場経験も豊富な野々宮警部が、陣頭指揮を執るべきだ」と主張していたのである。
「まぁ、二人での密談の結果とはいえ、俺が陣頭指揮を執ることで所轄からの突き上げは防げるし、お前は外で捜査ができる。一石二鳥とは、まさにこの事だな」
「はい。野々宮さんの助言のお陰です」
優一郎は、まるで師を見るかのような目を野々宮に向けた。
一般的に、今回のような事件が発生した場合、その陣頭指揮は、県警本部側にいる優一郎が執ることになる。刑事ドラマによくある「現場も知らない本部の人間が、手柄欲しさにしゃしゃり出てきやがって……」などの台詞は、あながち間違いではないというわけだ。
ところが、陣頭指揮を執る者は、捜査本部に籠りきり。外での捜査ができなくなってしまう。そこで野々宮が、「現場に出たい」と言う優一郎のために、一計を案じたのである。
「だが、気をつけろ。たとえ形式上とはいえ、俺が捜査のトップに立ったことで、ウチの連中はやたらと張り切っているからな。ぼやぼやしていると簡単に出し抜かれてしまうぞ。お前にとって、このヤマだけは譲ることができないはずだ。十五年前の真相が分かるかも知れないこのヤマだけは。そうだろう?」
野々宮の問いかけに、優一郎は力強く答えた。
「はい。俺、そのために警察官になったんですから」
「その意気だ」と言うように、野々宮は左手で優一郎の背中をバンと叩いた。
それから、
「ここには俺がいるから、安心して捜査してこい」
と送り出す。
感謝を込めた一礼をすると、優一郎は、右手をポケットに入れたいつもの野々宮の姿を目に焼きつけ、大会議室を飛び出した。




