第四章 『警部・真中優一郞の推理』③
「こちらが被害者の自宅です」
小山に促され、優一郎が玄関を抜けてリビングへと歩を進める。
そのとたん、
「お疲れ様です。真中警部」
と、室内から挨拶が飛んできた。
声の主は、先にここに着いていた県警本部の刑事、綾乃瀬警部補だった。彼の捜査の適格性と俊敏さには定評があり、「一課のエース」と言われている。今年で十八年目、四十歳のベテラン刑事だ。
「相変わらずフットワーク軽いですね」
感心する優一郎に、綾乃瀬は小山のことをたずねた。
「あの、彼は?」
「あ、こちらは俺の同期の小山さん。刑事一課の巡査部長です」
優一郎に紹介され、小山は慌てて頭を下げた。
「被害者が倒れていたのがここで、凶器はそちらのテーブルでした」
綾乃瀬が双方を指で示す。
「結構、離れていますね」
「はい。鑑識が、自殺はないと言っていたのも頷けます」
「俺もそう思います」
優一郎は同意した。
確かにそうだ。自らの首を刺したあとで置きに行ける距離ではないし、第一、ご丁寧にフルーツバスケットに戻す理由がない。
「真中警部。他に気になることは?」
そうたずねる綾乃瀬に、優一郎は即座に答えた。
「えぇ、ひとつだけ」
「何ですか?」
「鍵、です。現場が密室だったのだから、犯人は被害者の鍵を持って行った、若しくは、合鍵を持っていたと考えられますから」
「あ、それについては調べておきました」
「さすが、綾乃瀬さん。一課のエースですね」
「からかわないでくださいよ」
優一郎の褒め言葉に、綾乃瀬は一瞬頬を緩めたが、すぐに真顔に戻り、メモを取っているノートを開いた。
「玄関の鍵は最新式のシリンダー鍵で、ひと月ほど前に付け替えられたようです。合鍵を持っているのは婚約者の城崎小百合だけですが、死亡推定時間にアリバイのある彼女に、犯行は不可能だと思われます。それから、被害者が所有していた鍵は、テーブルの上に置いてありました」
「ということは……」
「はい。犯人が被害者に招かれ部屋に入ったとしても、鍵をかけて逃げるということはできません」
「それでは、犯行を終えた犯人が被害者の鍵を持ち出し、合鍵を作って再び現場に戻り、被害者の鍵をテーブルの上に置いて逃げたとは考えられませんか?」
優一郎の推理に、綾乃瀬は首を横に振って答えた。
「それも不可能です。このタイプの鍵は、注文を受けて合鍵を作るのに、最低三日はかかるそうなんです」
「そうですか」
それならば、犯人はどうやって鍵をかけ、外に出たのだろうか。捜査開始直後の躓きに、優一郎は肩を落とした。
「あ、そうだ。捜査本部で受け取った物の他に、十枚ほどの写真を手に入れたのですが、ご覧になりますか?」
「えぇ。是非」
綾乃瀬は、優一郎に写真を手渡した。
今はどんな些細な情報でも欲しい。優一郎は、手にした写真を注意深く見ていった。
リビング以外の部屋を見回っていた小山も横から覗き込む。
写真は、一枚目が部屋全体の様子、二枚目に倒れた遺体、三枚目は荒らされた血溜まり、四枚目に壁の血痕、と続いた。
「おや?」
更に数枚を捲った時、優一郎は何かを発見した。
「綾乃瀬さん、この写真は?」
彼は、気になった一枚を綾乃瀬に向けた。
「それですか。それは、アクセサリーショップのレシートです。昨日、殺害される直前に被害者が購入した物みたいです。購入品名はアンクレットなのですが、室内のどこからもそれは発見されていません。恐らく、犯人が持ち去ったものと思われます」
「持ち去った? 犯人が?」
「はい」
綾乃瀬の返事を聞きながら優一郎は考えた。「アンクレットを持ち去ったのが犯人だとしたら、これは大きな証拠になる。是非とも現物を確認しておく必要があるな」と。
そこで、彼は綾乃瀬に聞いた。
「レシートに記された店の場所は?」
「駅前の商店街の中です」
「そう遠くはないですね。じゃあ、俺、これから行ってみます」
「そうですか。では、その写真は持って行ってください。何かの役に立つかもしれません」
「ありがとうございます」
手に持つ写真を小山に預けると、二人は揃って被害者宅を出た。
「本当にアクセサリーショップに行くんですか?」
一階へと下りるエレベーターを待つ間、小山がそうたずねる。
「嫌なのか?」
「はい。自分、女物を扱う店って苦手なんです」
小山はしかめっ面になった。
彼の答えよりも拒絶するその顔が可笑しく、小さく笑って優一郎は言った。
「俺も、苦手だよ」
「では、何故?」
「アンクレットのことは、犯人しか知らない情報だからだ」
「なるほど。これから確認するアンクレット。それを持っている者が、犯人だということですね」
「既に手放しているかも知れないから持っているとは限らないが、見ているのは間違いないだろう。一度見てしまった記憶は、よほど意識していないと隠すことはできないからな」
「確かに。容疑者が事情聴取でその話をする可能性はありますね」
「そういうことだ。だから、現物がどんな物なのか知っておく必要があるんだよ」
「分かりました。仕方ありませんね」
観念した小山とともに、優一郎はエレベーターに乗り込んだ。
小山の車まで戻った時、優一郎の携帯電話が鳴った。
野々宮からの着信だ。
「はい、真中です」
「捜査本部に新しい情報が入ったぞ。科学捜査研究所からだ」
「科捜研って、草薙さんですか?」
「あぁ、そう……って、お前、所長と知り合いなのか?」
優一郎の顔の広さに驚かされたのか、野々宮の声色が変わった。
「はい。親父の事件の時に、お世話になりましたから」
「……そうか。そう、だったな」
何かを思い出した様子で野々宮は納得した。
科学捜査研究所所長、草薙仁志。
“県警本部長殺人事件”の際、彼は鑑識全般の指揮を執った。事件において、草薙は、鑑識としての見地から野々宮に様ざまな助言を与えていた。そのため、野々宮にとっては頭の上がらない人物でもある。事件から八年後に定年で退官した彼は、科学捜査研究所の所長に抜擢され、今日に至っていた。
「それで、草薙さんはどんな話を?」
信頼を寄せている人からの情報だ。優一郎の気は逸った。
ところが、
「それが、変な話なんだが……」
そう前置きして、野々宮は話し始めた。
「現場に落ちていた髪の毛に、被害者以外の物が混ざっていたそうだ」
「どこが変な話なのだろう?」そう不思議に思いながらも優一郎は、続く野々宮の言葉に黙って耳を傾けた。
「それでな、その毛髪、どうやら七十年以上も前の物なんだそうだ」
「七十年以上前」
「そうだ。変な話だろ?」
野々宮の言うとおり、それは確かに「変な話」だった。
被害者の住んでいたマンションは、どれだけ古く見積もっても平成以降の建物だ。建築中にフローリングに挟まった毛髪が今になって出たと仮定しても、七十年は経っていない。他に考えられるのは、引き抜いた毛髪を七十年以上保管し、今回の犯行現場に置いて行ったとの推理だが、真剣に考えるのが馬鹿らしくなるほどナンセンスな発想だ。
優一郎は、わけが分からなくなっていた。
「確かに、変ですね」
「そうだろ。でも、安心しろ。所長のことだから、犯人に迫るような別の物証も、きっと見つけ出してくれるに違いない」
「はい。では、何か分かったら、また連絡ください」
「おう」
先が見えないまま、優一郎は野々宮との会話を終えた。
「野々宮警部からですか?」
暗い顔をしている優一郎に気を遣いながら、小山が話しかけた。
「あぁ。現場に、七十年以上前の毛髪が落ちていたそうだ」
「それって、人形の髪の毛ではないですか?」
「え?」
「だから、日本人形でしょう? 日本人形の中には、本物の人間の髪を使っているのもあると聞きますし」
「なるほど、人形か。もし髪の毛が人形の物ならば、現場にあった小さな足袋の跡も、同じだと考えられるな」
「でも、被害者の家に人形なんてありませんでしたよ」
優一郎が綾乃瀬と話をしている間に、全部屋を確認していた小山は言った。
「犯人が、アンクレットと一緒に持ち去ったか。いや、人形は元から犯人の所有物で、捜査を攪乱させるために足袋の跡と髪の毛を残していった、という可能性もあるな」
顎に手を当て、優一郎は思案した。
「こういう時は、あまり深く考えないことです。地道に捜査していれば、きっと真実に辿り着けますよ」
「そうだな。よし、駅に急ごう」
小山の言葉で気持ちを切り替えた優一郎は、明るい口調で指示を出した。
一方、アクセサリーショップに行かねばならないことを思い出した小山は、沈んだ表情へと戻るのだった。




