009 プロポーズ
その日から、真夜との同棲生活が始まった。
特に何も変わらない。俺の食事を作り、俺の帰りを待ってくれる。いつもと同じだ。
でも、俺の心は違っていた。
愛する人が待っている。そう思うだけで、日々の仕事にも力が入った。
あの日、真夜に全てを打ち明けた日から。
世界に色が戻った、そんな気がした。
親友のことを思い出すと、今でも心が痛む。
しかしそれ以上に俺は、真夜との未来に心躍っていた。
親友を失ったあの日、全てに絶望した。
生きる意味を失った。
自分という存在が許せなくて、今すぐ消えたいと思った。
しかしその最後の希望、命を絶つことすら、親友から奪われた。
これは彼の呪いなんだ、そう何度も思った。
しかし今、真夜との未来に思いを馳せていると。
ひょっとしたら彼は、俺にこの瞬間が訪れることすら予見していたのではないか。そう思ってしまう。
帰りの電車で、ポケットの中の箱を握りしめ。
真夜と一緒にいつか、彼に報告に行きたい、そう思った。
そう。
今夜、彼女に伝えてから。
俺はもう一度、人生と向き合っていくんだ。
愛する真夜と二人で。
そんなことを思いながら、口元が引き締まるのを感じた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
ドアを開けると、香ばしい香りがした。
「お仕事お疲れ様。寒くなかったですか」
真夜の笑顔に心が満たされていく。
そして。
これからのことを思い、全身に緊張が走った。
「今夜はカレーですか」
「ええ。修司さん、好きでしたよね」
「はい。真夜さんの作ってくれるカレー、どの店で食べたものよりおいしかったですから」
その言葉に幸せそうに微笑み、俺の手を取りリビングへと入っていく。
「すぐ用意しますから、先に着替えてくださいね」
「あ、あの……真夜さん。その前にその、聞いてほしいことが」
「え?」
俺の言葉に振り返り、首を傾げる。
彼女を一番魅力的に感じるその仕草に見惚れながら、俺はポケットから箱を取り出した。
「……」
これから起こるであろうことに気づき、真夜の表情が変わる。
俺は箱を差し出した。
「愛してます、真夜さん……俺はこれからもずっと、真夜さんと一緒に生きていきたいです。だから、その……結婚してください!」
そう言って頭を下げた。
「……」
真夜が小さく息を吐き、そっと箱を受け取る。
そしてダイヤの輝きを見つめた。
「そ、その……真夜さん、答えは」
沈黙に耐えられなくなり、思わず答えをせがんでしまった。
真夜を見ると、頬に一筋の涙が伝っていた。
「真夜さん……」
彼女の手を握る。
視線はまだ、指輪に向けられていた。
「……修司さん」
小さく唇が動き、真夜が囁く。
その唇に、俺の全神経が向けられた。
何を言ってくれる?
嬉しい?
幸せです?
それとももしかして……断られるのか?
そんなことを思い不安な気持ちになる俺に、真夜は意外な言葉を発した。
「修司さんは今、幸せですか」
「え……」
突然の問いに声を漏らす。
「修司さんは今、私にプロポーズしてくれた。そうですね」
「は、はい、そうです」
「これからも私と生きていきたい、そういうことですね」
「……」
その後どんな言葉が続くのか分からず、困惑する。
「修司さん、もう一度聞きますね。あなたは今、幸せですか」
再びの問いかけに、小さくうなずく。
「は、はい、幸せです。それも全て、真夜さんのおかげです。だからこそ俺は、これからの人生をあなたと一緒に」
そこまで言うと、真夜は箱を抱きしめ嗚咽した。
「ま……真夜さん?」
ひっくひっくと肩を震わせ、泣きじゃくる。
そんな彼女を愛おしく思い、そっと抱きしめた。
「……真夜さんのおかげで、俺は今日まで生きてきてよかったと思えるようになりました。そしてこれからも、あなたと過ごしていきたいと思ったんです」
「もう……死にたいって思ってないんですか」
「はい……親友のことは今でも後悔しています。そして俺はこれからも、彼の命を背負い続けていくつもりです」
「もしまた、通り魔に刺されるようなことがあったとしても……笑ったりしませんか」
「……」
確かに俺はあの時、安堵し笑った。しかしそれはもう、過去のことだ。
今の俺に、あの時のような気持ちはない。そう思い、小さくうなずいた。
「はい。もしまたあんなことがあったとしても、俺はもう二度と、それを受け入れたりしません。笑ったり、感謝したりしません」
その言葉に真夜は小さく息を吐き、俺を力強く抱きしめた。
そして。
その瞬間。
俺は床に押し倒された。
「え……」
突然視界が揺らぎ、思わず声が漏れた。
「ま……真夜さん?」
俺に覆いかぶさった真夜は、顔を上げると俺に笑顔を向けた。
涙でぐちゃぐちゃになった笑顔を。
「やっと、やっとこの時が……ずっと、ずっと待ってました」
そう言ってポケットから取り出したものを見て、俺は目を見開いた。
真夜が手にしたもの。
それはナイフだった。
そう。
あの日通り魔が持っていた、あのナイフだった。




