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最初から、壊れていたんだ  作者: 栗須帳(くりす・とばり)


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10/11

010 真実

 


真夜(まや)さんが、どうしてそれを……」


 真夜が手にしたナイフに、頭が混乱する。

 そんな俺を見つめ、真夜がつぶやいた。


植田浩輔(うえだ・こうすけ)


「なっ……」


 彼女の言葉に目が見開く。


「当然ご存知ですよね、修司(しゅうじ)さん」


「どうしてその名を……」





 植田浩輔。

 忘れもしない、親友の名前だ。

 俺が見捨てた男。

 全てに絶望し、自ら命を絶った友の名だ。

 混乱する俺に、真夜が小さく微笑む。

 微笑むと同時に涙が落ちた。


「植田浩輔は……私の兄です」


「え……」


 彼女の言葉が理解できなかった。


「苗字が違うから、分かりませんでしたか? 私の両親はお兄ちゃんが死んでしばらくして、離婚したんです。私は母さんについていったので、苗字が変わったんです」


「……」


 親友。

 浩輔に妹がいることは知っていた。

 しかし直接会ったことはなく、葬儀の時に遠目で見ただけだ。

 だから失念していた。

 まさか真夜が、浩輔の妹だっただなんて。

 その事実に混乱し、動揺する。

 そんな俺に向かい、真夜はもうひとつの真実を告げた。


「あの時、路地裏であなたを刺した通り魔。それは私です」


「……」


 嘘だ。

 そんなバカなこと、ある訳がない。

 だって真夜は、自暴自棄になっていた俺を叱ってくれたじゃないか。

 生きることを諦めるな。未来に希望を持て、そう言ってくれたじゃないか。

 毎日食事を作ってくれて、俺に生きる喜びを感じさせてくれたじゃないか。

 その彼女が通り魔?

 浩輔の妹?

 思考が追いつかず、パニックになった。


「お兄ちゃんはね、本当に優しい人だったの。頼りないところもあったし、すぐ謝る癖は嫌いだった。でも……お兄ちゃんはいつも私を守ってくれた。愛してくれた」


「……」


「学校でいじめにあってること、なんとなくだけど気づいてた。でもそんな時でもお兄ちゃん、私の悩みを聞いてくれた。励ましてくれた。本当は自分のことでいっぱいいっぱいだったのに」


 ぽつりぽつりと涙が落ちる。


「そんなお兄ちゃんが死んで……私の中に邪悪な気持ちが生まれたの。あんなに優しかったお兄ちゃんを死に追いやった、やつらを絶対許さない、そう思った。そして……いじめていたやつらはみんな、それぞれ法の裁きを受けた」


「……」


「あんな制裁じゃ納得できない、そう思った。でも残念だけど、私一人じゃどうすることもできない。それにやつらはネットで顔が晒され、一生消えることのない刻印を刻まれた。これからどれだけ努力したところで、明るい未来が来るとは思えない。そう思って受け入れたの。そうするしかなかったの。

 ……でもお兄ちゃんが死んで、10年が経ったある日」


 自虐的な笑みを浮かべる。


「部屋の掃除をしてる時、偶然お兄ちゃんの遺書を見つけたの。それがこの前聞いた、修司さんに宛てた遺書だった」


 そういうことか。

 だから10年も経ってから、俺に近づいてきたのか。


「修司さん。あなたは誰からも断罪されていない。法の裁きも受けていない。当然よね、実際お兄ちゃんに手を出した訳じゃないんだから。でも……

 お兄ちゃんが死んだのはあなたのせい。あなたもこの前、そう言ったよね」


「ああ。間違いない」


「だったら! あなたも裁かれなくちゃおかしいでしょ! どうしてあなただけ、お兄ちゃんが生きていないこの世界で生きてるのよ!」


 そう言ってナイフを握りしめ、肩を震わせた。


「……あの日あなたの後をつけながら、私は思った。ようやくこれで、お兄ちゃんの復讐が終わるって。お兄ちゃんは、あなたに生きてほしいと願ってた。でもそれは、お兄ちゃんの気持ち。私は違う。優しかったお兄ちゃんを死に追いやった修司さん、私はあなたを絶対に許さない、そう思ってた」


「……」


「そしてあの路地裏であなたを刺して……これで全てが終わる、そう思ったの。でも……

 あの時あなたは笑ってた。ありがとうって私に言った」


「……言ったね」


「それを聞いた時にね、思ったの。駄目だ、今この人を殺しても復讐にならないって」


「……」


 なるほど。

 だからあの時、俺にとどめを刺さなかったのか。

 納得だ。

 救急車を呼んだのも、きっと彼女なんだろう。そう思った。


「あなたはずっと死を望んでいた。でも、自ら命を絶つことはお兄ちゃんが許してくれない。そんなあなたにとって、私の行動は待ち望んでいたことだった」


「……否定はしない」


「だから私は殺すのをやめた。死を受け入れてるあなたを今、殺しても意味がない。むしろあなたの望みを叶えることになってしまう。そんなのごめんだった。それなら生きる喜びを思い出し、死にたくない、生きていたいって思うようになるまで支え、幸せを感じるようになってから殺そう、そう思ったの」


 これまでの自分に対する献身。その意味をやっと理解できた、そんな気がした。


「私が望むのは、死にたくないあなたを殺すこと。そしてようやく今、その時がきたの」


 そう言って笑顔を作る。涙が止まらなかった。


「さあ修司さん、犯した罪を後悔しながら死んで。命乞いをする無様な姿を私に見せて。そしてお兄ちゃんの元に行って……永遠に謝罪し続けて!」


 そう言って、真夜がナイフを振りかざした。





 その瞬間。

 さっきまでの幸せだった気持ちが、一気に冷めていくのが分かった。


 そうか。

 今日までの真夜との生活は夢、夢だったんだ。

 そもそも俺が、人並みの幸せなんて望むべきじゃなかったんだ。

 そんな資格、俺にはなかっただろ?

 何の価値もない、ゴミ屑のような俺の命。

 それが今、彼女の全てを賭けた復讐の生贄(いけにえ)になれるんだ。

 それって、これ以上にない(ほまれ)じゃないか。

 そう思った。


 俺は唇を歪め、あの時と同じ言葉を(ささや)いた。


「……ありがとう」





 その言葉に。

 真夜の動きが止まった。


 そして。

 さっきまでの激情が嘘のように、表情が凍り付いていった。


 俺を見る視線。

 それは興味を失った、(さげす)む視線になっていた。


 そして。

 やがて。


 真夜は大きく息を吐いて立ち上がり、ナイフをポケットにしまうと洗面所に向かった。


「……」


 状況が理解できず、困惑気味に体を起こす。

 するとしばらくして、タオルで顔を拭きながら真夜が戻ってきた。

 いつもと同じ、穏やかな笑みを浮かべて。


「とりあえず修司さん、着替えてきてください。それまでにカレー、温めなおしておきますね」


 さっきまでのことが嘘のように、自然に振舞う。

 そんな彼女を見て、思った。


 ああ、そうか。


 彼女の中で、今の俺は殺すに値しなくなったんだ。

 死を受け入れている俺には、殺す価値がない。

 無様に生に執着し、命乞いをする。

 そんな俺でないと、殺す意味がないんだ。

 そう思い、床に転がった指輪をテーブルに置き。静かに立ち上がった。


「分かりました。着替えてきますね」


「はい。待ってます」


 いつもと変わらぬ会話。

 さっきまでの全てがなかったような、互いの言葉。

 そんな現実に苦笑した。


 なんなんだ、この茶番は。

 いや、おままごとは。






 それからも、真夜との同棲生活は続いた。

 左手の薬指には、あの日渡した指輪が光っている。

 でも、籍は入っていない。

 このおかしな日常を、互いに受け入れていた。


 殺したいと望む女と、死にたいと望む男。

 そんな俺たちは今日もまた、いつもと変わらぬ日常を送っていた。


「おはよう、修司さん」


「おはようございます、真夜さん。今日こそ俺を、殺してくれますか」


「ふふっ、駄目ですよ。あなたの顔、今すぐ死にたいって言ってますからね」


「ははっ、違いない」


 他人が聞けば狂ってる、そんな会話を繰り返しながら。

 俺たちの日常は続いた。


 いつまで続くのか、それは俺にも分からなかった。




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