007 懺悔
真夜が立ち上がり、俺の元へと近づく。
そして。
震える背中を優しく撫でてくれた。
「無理……しなくてもいいんですよ」
その言葉にまた感情が昂り、嗚咽した。
だがまだだ。
ここでやめる訳にはいかない。
覚悟したんだろう?
今更逃げるつもりか?
そんな思いが脳裏をよぎり、乱暴に頭を振った。
しばらくして涙を拭い、「ありがとうございます。もう大丈夫です」そう言った。
そんな俺に小さくうなずき、真夜は席に戻った。
「ある時俺は、いじめの主犯格に呼び出されました。話がある、そう言われて。
彼は言いました。『こうなったのは誰のせいだ? 全部お前が望んだことだろう? お前は今、俺たちの忠告を無視してあいつとつるんだ、その報いを受けてるんだ』と。
そしてこう続けました。彼との接触をやめれば、お前のことは許してやると」
「……」
「その言葉を聞いて。一瞬やつへの憎悪が暴発しそうになりました。やつは理不尽に親友を追い詰め、そして自分の思い通りに動かない俺をも貶めようとしている。こんな悪魔みたいなやつがいるなんて、信じられないと思いました。
でも同時に……この要求を受け入れれば、俺だけはこの地獄から解放されるんだ、そんな淡い希望に心を動かされたんです。そう思ってしまうぐらい、あの時の俺は打ちのめされていたんです」
「それで修司さんは」
「……受け入れました。別にやつらと一緒になって、彼を攻撃する訳ではないんです。ただやつらの行動を黙認する、見ない振りをする、それだけなんです。それでこの地獄から抜け出せるのであれば……彼には申し訳ないと思いましたが、こんなことはどれだけ続いても卒業までです。それからまた彼に寄り添い、傷ついた心を癒せばいい、そう思っての選択でした」
「……」
「事実それから俺への嫌がらせはなくなり、やつらの攻撃は彼一人に注がれました。そう、元に戻ったんです」
そこまで言って。
改めて自身の姑息さ、醜悪さを思い出し、肩が震えた。
「……俺から距離を置かれた頃から、彼は元気をなくしていきました。本当に生きているんだろうか、そう思えるほど目に光がなくなっていきました。俺の選択を伝えた時の彼の絶望の眼差しは、今でもよく覚えています。そして」
言葉を切り、大きく息を吐く。
「それからしばらくして、彼が自殺したと聞いたんです」
涙が頬を伝った。この涙がなんの涙なのか、もう分からなくなっていた。
「遺書には、彼が受けていたいじめの詳細が記されていました。いじめていたやつらの名前も書かれていて、彼の両親はそれを元に警察に被害届を提出、教育委員会も動きました。そして主犯格のやつらは取り調べを受け、刑事、民事で裁かれることになりました」
そこまで話して。
体の力が抜けたような気がした。
無意識に煙草を取り出し、火をつける。
真夜はそんな俺を見つめ、表情を強張らせた。
「……ある日、彼の両親から呼び出されました。俺は彼の仏壇に線香をあげた後で、両親と向き合いました」
「……ご両親からはなんと」
「一通の封筒を渡されました。彼が俺に宛てた遺書、そう言ってました」
「……」
「既に両親によって、中身は確認されてました。俺は震える手でそれに手をやりました」
煙草の煙が、リビングを優しく舞う。
「遺書にはこんなことが書かれてました。ここに書いてある内容は、警察にも学校にも話さないでほしい。あくまで僕が自殺したのは、あいつらのせいだと言い切ってほしい。僕の学生生活を壊した彼らに制裁してほしいから、と」
「どういう意味ですか」
「そこには、彼が死を選択した本当の理由が書かれてました。彼が自殺した理由、それは俺に見捨てられたから。そうはっきりと書かれていました」
「……」
真夜の目が見開かれる。
「修司はずっと、いじめられてる僕を支えてくれました。彼だけは僕の味方でいてくれる、そのおかげで僕は希望を捨てず、これまで頑張ってこれました。
正直言って、いじめは本当に辛かった。人って、こんなに残酷になれるんだって思いました。これからも僕は、そんな汚れた人間がいるこの世界で生きていくのか、そう思い絶望しました。
でも、修司だけは寄り添ってくれたんです。僕にとってある意味、修司の存在だけが希望でした。修司のような人もいる、だから諦めず頑張ろう、耐えよう、そう思えたんです。
ですがそんな修司もやつらの圧に負け、僕から離れていきました。あの時のこと、今でもよく覚えています。僕にとってあの日は、世界から光が消えた瞬間でした」
「……」
「だから僕は、死を選ぶことにしました。これから先、修司のように信じられる人に出会うこともあるでしょう。でも、その信頼がいつか崩れる時がくる、そう思うと怖くて心を開けません。
この世界には悪魔しかいない。だから僕は、この世界から逃げようと思います、そう書かれていました」
「……その人が自殺した理由は、彼をいじめた生徒のせいでなく、修司さんが離れていったから。そういうことですか」
「そうです。それを読んで、俺は何も言うことができませんでした。でもご両親は、そのことで俺を責めるつもりはないと言ってくれました。誰だっていじめにあうのは怖い。もし自分がその立場になるとしたら、逃げたくなるのも理解できる。誰も君を責めることはできないって、泣きながら言ってくれました」
「……」
「ですが……その日から俺は、この世界に存在している自分が許せなくなったんです。彼にとって唯一の希望であった俺自身が、彼に絶望を与えてしまった。死に追いやってしまった……その事実に潰れ、俺は死を望むようになっていきました」
「それが……あなたが死にたいと思っている理由」
「ここまで聞けば、じゃあどうしてさっさと死なないんだ、そう思いますよね。この前みたいに誰かに殺されるのを待つのではなく、彼のように自ら命を絶てばいいと」
「そんなこと……」
「でも、その望みは彼によって禁じられているんです。手紙の最後にこう書いてありました。修司、きっと君はこれを読んで、僕と同じく死を選ぼうとするかもしれない。でもそれは、僕が禁じます」
「……」
「君には生きて、僕が絶望したこの世界で希望を見つけてほしい。僕は君を恨んでいる訳ではありません。君に出会えたこと、君と過ごした日々は僕にとって最高の思い出でした。だから僕は自分が放棄した人生、全てを君に引き継いでもらいたいと思ってます。そしてどうか、幸せになってください。それが友人としての、最後の願いです」
煙草を揉み消すと同時に、口角が上がった。
そして同時に、止め処なく涙が溢れてきた。
全てを吐き出した。生まれて初めて。
その安堵感と共に、かつての後悔に全身が飲み込まれていった。
俺は再びテーブルに顔を埋め、泣いた。
そんな俺の元に真夜が駆け寄り、抱きしめてくれた。
背中に熱い何かが伝う。
それは真夜の涙だった。
その温もりに。俺の感情が弾ける。
声を上げ、子供のように泣いた。
そして。
この涙が自分の罪を洗い流してくれる、そんな不思議な感覚に陥った。




