004 名前呼び
「全く……退院していきなり煙草って。ひょっとして平田さん、ヘビースモーカーだったりします?」
隣を歩きながら、水無月真夜が呆れた様子でため息を吐く。
「それに路上喫煙なんて、今時マナー違反ですよ」
突然現れた彼女に戸惑いながら、俺はスーパーを目指した。
どういうことだ?
どうして彼女がここにいる?
そんな疑問が生まれては消えていった。
「その……水無月さんは、どうしてここに」
「平田さんを待っていただけですよ」
それ以外に何があるんですか? そんな顔を向け、彼女が答える。
「い、いや、意味が分かりません。大体今日は水無月さん、休みだって聞いたんですが」
「そうですよ。平田さんの退院日が分かった時点で申請しましたから」
「……」
全く分からない。彼女は何を言ってるんだ?
混乱しながら携帯灰皿に煙草を放り込み、ため息を吐いた
「それで? 平田さんはこのまま家に?」
当然のように続ける彼女に戸惑う。
しかしなぜか、不快に感じなかった。
「……とりあえずスーパーに行って、適当に買い物するつもりです。冷蔵庫の中は全滅してるでしょうし」
「平田さん、自炊派なんですね。偉いです」
そう言って頭を撫でられ、俺はその手を慌てて振りほどいた。
「それでその、水無月さんはこれから」
「真夜でいいですよ。私も平田さんのこと、修司さんって呼びますね」
「……」
……名前?
いやいや、距離の詰め方がおかしいだろう。
患者として。看護師として出会った俺たち。
それ以上でもそれ以下でもない関係。
それなのに彼女は家に向かう自分を待ち伏せ、あまつさえ名前で呼び合うことを提案してきた。
目的はなんだ? そんな疑念が渦巻いた。
「……水無月さん」
「真夜です」
そう言ってにっこり笑う。その笑顔に、抵抗は無駄だと悟った。
「真夜さん、その……俺は今、真夜さんの意図がつかめず戸惑ってます。何が目的なんですか」
その言葉に、真夜がきょとんとした表情を浮かべた。
「ああいや、その反応おかしいですから。どちらかと言えばそれ、俺がするリアクションですから。
真夜さん。俺は特別金も持ってませんし、おかしな宗教に入る気もありません。そういうことが目的でしたら、期待には応えられません」
そう言うと、真夜はますます微妙な表情をした。
そしてしばらくすると吹き出し、笑い声をあげた。
「ここ、笑うところですか」
「すいませんすいません。でも、ふふっ……確かに警戒しますよね。ただの看護師がいきなり待ち伏せしてたんですから」
そう言って深く息をすると、笑顔を向けた。
「なんてことはないんですよ。私はただ、修司さんが気になっただけなんです」
「気になったって……俺たちは病室で少し話しただけで」
「それで充分でした」
そう言われ、心臓が高鳴るのを感じた。
顔も熱い。
「修司さんは通り魔に襲われ、死の危機に瀕しました。突然の暴力、そんな理不尽のせいで全てを失うところだったんです。
それなのに目覚めた修司さんは、『まだ生きているのか』という顔をしてました。看護師として正直、そんな修司さんが許せませんでした」
「……」
「それから一か月、私なりに修司さんのことを見てきました。修司さんがどうしてそんなことを思うのか、それは分かりません。でもそんな修司さんが、時折私の話に笑顔を向けてくれました」
しまった。気づかれていた。
そう思い後悔する。
「その時思ったんです。確かにこの人、色んなことに絶望してる。でもそれが全てじゃない。
絶望してるということは、何度も希望にしがみついてきたんだ。そしてその希望を全部捨てた訳でもないんだと」
図星を突かれたような気になり、思わず目を伏せた。
「どうしてそこまで」
「私にも分かりません。ただ私は、今自分がしたいと思うことをしてるだけです」
そう言ってスーパーの前で振り返った。
「とりあえず人生の再スタート、おめでとうございます。よければ私にお祝い、させてください」
そしてカゴを手にし、笑った。




