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最初から、壊れていたんだ  作者: 栗須帳(くりす・とばり)


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3/11

003 退院

 


 入院は一か月に渡った。


 その間、何度も警察関係者が病室を訪れ、事件のことを聞いてきた。

 犯人はまだ捕まっていない。

 目撃情報もなく、凶器も見つかっていない。

 彼らにとって、俺の証言だけが頼りだったようだ。

 だが残念ながら、俺の記憶は曖昧だった。

 薄暗い路地裏で、突然刺されたんだ。

 犯人の様子や特徴など、捜査の助けになるようなことは何ひとつ覚えていなかった。

 黒っぽい服装だったと思います。そんなことぐらいしか話せなかった。


 事情聴取は続いた。

 しかしどれだけ聞かれたところで、覚えていないことを思い出せる訳がない。

 あの時感じていたのは、やっと解放されるという喜びだけだったのだから。


 長引く聴取に苛立つ。これじゃまるで、俺が悪いみたいじゃないか。

 そんなストレスを感じながら、俺の入院生活は続いた。

 そんな中。

 俺の心の支えになったのはあの看護師、水無月真夜(みなづき・まや)の存在だった。

 彼女は俺の担当ということもあり、休み以外は毎日病室を訪れ、俺に寄り添ってくれた。

 こんな風に人と触れ合うの、いつぶりだろう。

 気がつけば、俺は彼女の訪室を楽しみにしていた。

 そして。

 そんな自分を俯瞰(ふかん)し、馬鹿だと思った。





 退院の日。

 俺は下着などの少ない荷物を手に、エレベーターへと向かった。

 エレベーターの前には、ナースステーションがある。

 看護師たちは俺に気づくと笑顔を向け、挨拶してきた。

「退院おめでとうございます」「しばらくは安静にしてくださいね」そんな言葉に見送られながら、俺は水無月真夜の姿を探した。

 そんな俺の様子に気づいた看護師が、申し訳なさそうな顔で伝えてきた。


「水無月さん、ですよね。すいません、彼女は今日、急な用事で休みをとってるんです」


 その言葉に一瞬、体が重くなるのを感じた。

 しかしすぐに笑顔を作り、


「そうですか。水無月さんには特にお世話になりましたので、最後にお礼を言いたかったのですが。僕がお礼を言っていたこと、伝えてもらえますか」


 そう言った。

 その看護師は、「はい、伝えておきます」恐縮気味にそう言ってうなずいた。





「……」


 病院から出ると、風が心地よかった。

 たかが風ひとつでこんな風に感じれる。それだけで、長かった入院生活が無駄じゃなかったような気がした。

 考えてみればこの一か月、これまで経験したことのないことの連続だった。

 人によっては、入院生活とは退屈の代名詞なんだろう。しかし俺にとって、この一か月の日々は新鮮そのものだった。

 俺に話しかける人間がいる。医師や看護師が俺を気にかける、当然のことであり、それは上っ面だけの虚飾にまみれた対応だ。そう理解はしている。それでも俺にとってその嘘は新鮮であり、何物にも代えがたい貴重な体験だった。

 特に水無月真夜に対しては、何か特別な感情を勘違いしてしまうほど、依存している自分を感じていた。

 人生を諦めている、そんなことを話した相手は初めてだった。そしてそんな俺に対し、説教してきた人間も初めてだった。

 こんな会話には意味がない、そう分かっていた。それでも俺の中には確かに、彼女のことをもっと知りたいという欲求があった。そして彼女もまた、俺を理解したいという強い意志のようなものを持っている、そんな風に思っていた。

 だからこそ、今日彼女がいないことに失望した。


 望むから失望する。分かっていたことだ。

 だから俺はこれまで、望むことを放棄していた。

 それなのに望んでしまった。

 その結果がこれだ。

 長年育んできた俺の哲学は、やはり間違ってなかった。そう思い、唇を歪めた。





「……」


 タクシー乗り場を通り過ぎ、病院の敷地から出る。

 家まではここから徒歩で10分。歩くとまだ腹が痛んだ。

 だがいいリハビリになる。ついでに近所のスーパーに寄って、食材を買っておこう。

 そう思い、ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。

 その時だった。


「退院して最初にすることが、喫煙なんですか?」


 背後から、呆れた口調の声がした。女の声だ。

 いや。

 この一か月、いつも待ち望んでいた声だ。

 そう思い振り返ると、そこにはあの看護師、水無月真夜が私服姿で立っていた。


「全く……平田さん、健康になりたいって考えはないんですか」




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― 新着の感想 ―
通り魔に襲われてお礼を言う……!? 衝撃のオープニングから引き込まれ、平田さんがこういう思考になってしまったのは何故か、気になりました。 水無月さんが来てくれてよかったと思いつつ……このあとどうなるの…
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