002 邂逅
目が覚め、いつもと違う光景に困惑した。
鼻につく消毒薬の匂い。
無機質な機械音と、目の前にぶら下がる点滴の袋。
ここが病室だと気づくのに、時間はかからなかった。
そうか。俺は。
助かってしまったのか。
そう思い、少し大きめのため息を吐いた。
そしてすぐ、下腹部の痛みに顔をしかめた。
「……」
俺を刺した通り魔。
どうしてやつは、とどめを刺さなかったのだろう。
殺すことが目的なら、刺し続ければよかったのに。
それとも単に、刺すことが目的だったのか?
いや、それはないだろう。それだけの理由で、自分の人生をも危うくするような行動をするやつがいるとは思えない。
俺じゃあるまいし。
とすれば。
やはり俺の反応が問題だったのだろうか。
確かにまあ、刺した相手から礼を言われるなんてこと、想定してなかっただろうからな。
そう考えると後悔した。
ようやく目の前に現れた希望が、たったひと言のせいで無残に消え去ったのだから。
時を戻せるのなら戻したい。そう思い、もう一度大きく息を吐いた。
静かに扉が開き、一人の女が部屋に入ってきた。
カルテを手にした女。身なりからして看護師なんだと理解した。
女は俺が目覚めていることに気づくと微笑み、近づいてきた。
「おはようございます、平田さん。ご気分はどうですか」
胸のネームプレートには、「水無月」と書かれていた。
「……どれくらい眠ってたんですか」
「二日ほどですよ」
もう一度微笑むと枕元のナースコールを押し、「708号室の平田修司さん、目覚められたようです」そうナースステーションに報告した。
「平田さんは二日前の深夜、路地裏で倒れているのを発見されたんです」
「そうですか」
「その時のこと、覚えてますか」
「いや……正直よく覚えてません。夢だったと言われても、納得してしまうぐらい記憶が曖昧です」
「そうなんですね……」
俺の手首に触れ、脈を測る。
「あなたは何者かに襲われ、腹部を刺されたんです。出血もひどく、ここに着いた時にはかなり危うい状態でした」
「……」
それを聞いてすぐ、俺の頭にはいらんことをしてくれたな、そんな考えが浮かんだ。
「スタッフの懸命な治療のおかげで、あなたは助かりました。もうすぐ手術を担当した医師も来るので、お礼言っておいてくださいね」
脈拍数をカルテに書き込み、慈愛の眼差しを向ける。
「……そうですか」
適当に相槌をうち、顔を背ける。
視線の先にある窓を見つめ、ため息を吐く。
そんな俺の反応が気になったのか、その看護師、水無月が言葉を続ける。
「あなたを刺した犯人は、まだ捕まっていません」
「……」
「人通りのない場所だったので目撃者もいませんし、凶器も見つかっていません」
「……」
「そんなあなたを発見した通行人が救急車を呼んでくれたおかげで、あなたは今、こうして生きているんです。
傷口が浅かったのも幸運でした。もし犯人があと少し力を込めていれば、あなたは助かりませんでした」
水無月が俺の視線の方向に移動する。そして厳しい表情を向けた。
「あなたが今こうして私と話せているのは、たくさんの幸運とたくさんの人の協力があったからです。それなのにあなたを見ていると、まるで余計なことをされてむくれている、そんな風に感じてしまいます」
全くもってその通りだ。分かってるなら放っておいてくれ、そう思った。そしてそれが無意識の内に、俺の口角を上げさせてしまった。
そんな俺を見て、水無月は大きなため息を吐いた。
「……ここにいる患者さんの中には、今のあなたのような態度をとる人も多くいます。構わないでくれ、余計なことをしないでくれ、そう口にする人もいます」
「でしょうね」
「でも私たちは諦めず、患者さんにとって最善と思えることを続けます。何を思われ、どんな暴言を吐かれようとも」
「流石は白衣の天使さん、ですね。俺には理解できませんが」
その言葉が癇に障ったのか、水無月は俺に鋭い視線を向けた。
「勿論、仕事だからやっているところもあります。でもそれ以上に私たちは、患者さんが健康的な生活に戻れる為のお手伝いがしたい、そう思っているんです」
「気に障ったのなら謝ります。でも俺が、あなたが言っている患者に近い感情を持っているのも事実です。それは俺の気持ちであり、否定されても困ります」
「いえ、否定します」
水無月が言い切った。
「誰だって、毎日幸せに生きている訳ではありません。辛いことの方が多いのも理解してます。でも、それは生きてるからこそ感じれることなんです。もしあなたがあの時死んでいれば、今みたいに私を困らせる発言をすることもできなかったんです」
哀し気な眼差しで、俺を見つめる水無月。
その圧に困惑した。
別にいいじゃないか。ここに担ぎ込まれたのはただの偶然、俺の担当になったのもたまたまなんだ。退院するまでの関係でしかない俺相手に、そこまで感情を昂らせる必要もないだろう、そう思った。
しかし同時に、こんな風に俺のことを考え、真正面からぶつかる人間に出会ったのはいつぶりだろう、そんな考えがよぎった。
俺にとって、この女の言葉は迷惑でしかない。でも、それでも俺はこの時、久しぶりに人間と会話している、そんな気がしていた。
「……すいませんでした。少し投げやりになってたのは事実ですが、自重します」
俺がそう言うと、水無月は一瞬驚いたような顔をした。そしてすぐ、
「分かってもらえて嬉しいです。私も偉そうなことを言ってしまい、すいませんでした」
そう言って微笑んだ。
扉が開き、数人の看護師と共に医師が入ってきた。俺が視線を向けると、水無月は「この先生ですよ」そう囁きうなずいた。
「平田さん、ご気分はどうですか」
歳の頃40ほどの医師が、そう言って枕元の椅子に座る。
俺は水無月から医師に視線を移し、こう言った。
「先生が手術、してくれたんですね。その……ありがとうございました」




