第八話 禁足地
レグナは騎体の足を徐々に緩め、やがて静止させるとゆっくりと振り返らせた。
意識を前方へ集中し、そこから左右、背後、頭上へと順に広げていく。
竜の気配は無い。
追ってくる気配も、周囲にも。
『竜は禁足地へ寄り付かない』
アタランテたちの間で実しやかに囁かれていた噂は果たして、事実だったという事だろうか。
辺りには中型騎でも見上げるような巨木が立ち並び、頭上をその枝葉が覆っている。
それ故に薄暗く、空気はひやりとしている。
異様な静けさだった。
先ほどまでの戦場の熱気は嘘のように消え失せ、葉擦れの音すら聞こえない。
ただ竜騎の駆動音と、レグナとナトラの息遣いだけがコクピット内の空気を揺らしている。
「——っぷはぁ」
ナトラが堪え切れなかったのか、大きく息を吐いた。
「もう大丈夫みたいですね」
「……多分な」
答えながら計器類に目をやると、方位磁針が不規則に回転している。
『禁足地の近辺は磁場が不安定になる』
これも以前は禁足地へ人を立ち入らせないためにでっち上げられた怪談のようなものだと、レグナは考えていた。
さらに、竜素濃度のメーターが振り切れている。
計器の故障も疑ったが、竜骨内の竜素貯蔵量が見たことのない早さで回復しているのを見るに、事実として竜素濃度が尋常でなく高いのだろう。
それに、さっきから手首の鱗が妙に疼く。
ナトラを見ると意識してか無意識か、左手首を押さえていた。
この世界はこの地から始まったなどという創世神話など、レグナは微塵も信じていない。
それでも、ここには人智を超えた何かがあると感じざるを得なかった。
「とにかく戻らないとな」
簡易な地図を窮屈なコクピットで広げる。
「東から渓谷を迂回して北へ向かうか」
渓谷から南へ真っ直ぐ進んで来たのだから、今向いている方向の右手が東のはずだ。
ならば、北東方向へ進めば渓谷の東に出られるだろう。
竜素切れの心配をしなくていいのは僥倖と言える。
しかしそれでも先の戦闘で各部に損耗が見られるため、長距離の移動に耐えられるかは不明だ。
簡易的な修理で動いてくれる内はいいが、それにも限界がある。
そうなれば脚を折ったナトラを背負って第一キャンプまで戻る事になるが、距離を考えればどう考えても不可能だろう。
「頼むからもってくれよ」
祈るように言い、操縦桿裏のトリガーを引いた。
「揺れるぞ。舌噛むから口は閉じてろ」
そう声を掛けると、ナトラはなぜか両手で口を覆った。
尾が背部に固定され、脚部の装甲がスライドして順関節へと移行する。
踵が地面につくと同時に、コクピットがガクンと揺れた。
「イダッ!……そうそう! こんなの隠してたなんて、先生ったら」
「こんな改造、バレたら銃殺刑だ。ユーリのおっさん共々な」
「あんなに強いのに?」
竜を狩るために使えるものはなんでも使う。なかなかに狩人らしい考え方ではある。
「……認めるわけにはいかないんだろうさ。ヒトより竜が優れてるなんてな」
「う〜ん……?」
ナトラは納得がいかないのか首を捻っている。
ヒトは竜を凌駕し、滅ぼさねばならない。
それは神がヒトに与えた試練であり、使命だと言う。
しかしヒトが竜に抗う術は、同じく竜の力を宿した竜騎だけだ。
帝国が初代皇帝、征竜帝アテルニタスの時代から抱えるその矛盾は膨張に膨張を重ね、今や認識すらされなくなっている。
そして純化、顕在化したものが竜に対する憎悪と殺意であり、アタランテとはそれらを乗せて放たれる、戦いの嚆矢に他ならなかった。
低負荷の巡航速度で巨木の森を進む。
金属のような光沢を持つ青い羽根を羽ばたかせて、見たこともない鳥が樹々の間を飛び回っていた。
きた道を折り返してからすでに二時間ほどが経った。
初めこそ物珍しげにキャノピーから外の景色を眺めていたナトラも、変わり映えのしないそれに飽きたのか、うとうととし始めていた。
森に入った時は全速で走らせていたとは言え、これだけ歩いて未だに森が切れないのは妙だ。
前提となっている、自らの方向感覚が狂っていたとすれば状況はかなり悪い。
方位磁針は依然としてフラフラと定まらず、地図には禁足地の中の情報は一切描かれていない。
——遭難。
頭をよぎるその言葉を振り払い、兎にも角にも騎体を真っ直ぐに前へと進ませる。
さらに数時間。
「先生あれ!」
ナトラが前方を指差す。
傾きかけた日の光が、樹々の間から差し込んでいる。
巨木の影を一際大きく引き延ばし、橙色の光が視界を眩ませた。
間違いない。
あの先で森が切れている。
思わず操縦桿を握る手に力が入り、騎体の速度が上がる。
森の終端。
そこは切り立った崖だった。
眼下に広がるのは、この世ならざる景色だった。
一面を埋め尽くす薄桃色の森。
その上空を青い鳥が編隊を組んで飛んでいる。
そしてその、薄桃色の森の中央から突き出す鋭角な——
「……塔?」
禁足地の中心に人知れず屹立する尖塔。
心当たりが一つだけあった。
神話の始まり——エストレラに降り立った神の住処とされる、”始原の塔”。
そんなものが実在するはずがないと首を振るが、否定するにはあまりにも符合する点が多い。
そして、あれを始原の塔と仮定するならば、森を出るつもりがその中央部へと進んでいたことになる。
レグナは思わず頭を抱えた。
「……あれがこの森の中心なら、あれに背を向けて進めば出られる……かもしれない」
中心?
口にしてから愕然とする。
なぜ森の外へ向けて進んでいたはずが、進行方向にその中心を捉えているのか。
おかしい。
あの塔に近づくべきではない。
理性がそう訴えている。
ナトラを振り向くと、目を見開いて塔を凝視していた。
「どうした?」
「……あそこに、行かないと。呼んでる……先生を」
瞬きもせず、熱に浮かされたように呟くナトラの肩を揺する。
「おい! しっかりしろ」
頭をガクガクと揺さぶられたナトラは、パチパチと瞬きすると我に帰ったようにレグナを見た。
「……あれ? 私……なんかぼーっとしてました」
「飲んでおけ」
水筒を手渡すと、おぼつかない手つきで蓋を開けぼんやりとした様子で口をつけた。
口の端から溢れた水を袖で拭ってから、その水筒がレグナのものであることを認識したナトラは思わず蓋を床に落とし、耳を真っ赤に染めた。
そんなナトラの様子も、レグナの意識に入ってこない。
重力が失われたように思考が揺れて、浮いている。
呼んでいる。
呼ばれている。
それはこの森に入ったその時から確かにありながら、レグナが背を向けていた感覚だった。
そしてその感覚は、あの塔に近づくほどに強くなっていた。




