第九話 始まりの塔、硝子の繭、白銀の少女
二つの月に照らされて、その塔は静かに佇んでいた。
——凡そ、この惑星には似つかわしくない姿で。
表面は滑らかで継ぎ目もなく、触れてみるとその材質は金属なのか陶器なのかすらも判然としない。
いつからそこにあるのかは知らないが、朽ちることも、蔦に覆われることもなく、時の流れから切り離されたようにただそこに在る。
その様子はなるほど、神の居城に相応しいと言えるのかもしれない。
風が吹き、ざわざわと揺れた薄桃色の葉が花弁の如く舞い降る。
塔が聳える広大な盆地を埋め尽くす、奇怪な植物だ。
緑の幹は節を持ち、手の甲で叩くと中は空洞のようだった。
少なくとも帝国領内ではこんな植物は見たことがない。
そして鬱蒼と茂るその植物も、まるで神聖なものを守るように塔の周りだけぽっかりと、正円の形に開けていた。
——ここに来る必要性など、一つも無かった。
これが本物の”始原の塔”であるならば、これを背に真っ直ぐ進めばいずれ禁足地から出られたはずだ。
いや、一度はそうしようとした。
しかし、盆地に背を向けて進んでいたはずのレグナたちの眼前に広がったのはこの薄桃色の森と、尖塔の景色だった。
「逃すつもりはない」。そう言っているかのように、レグナたちはこの場所へ導かれた。
それを裏付けるように、何者かに呼ばれる感覚は少しずつだが強くなっている。
騎体ごと降りられる場所を探し、薄桃色の森から突き出すこの塔を目指して歩く内に空の主役は太陽から双子月へと入れ替わってしまった。
水は道中の泉で補給したが、食料は一日分しかない。第一キャンプまでの距離を考えれば、直線距離でも飢えるのは免れない。
腹を括る、というよりは半ばヤケだった。
そこにナトラを巻き込むことに呵責はあったが、とは言え帰してやる手段も無い。
こうしてレグナは騎体を進め、ナトラはそれに文句も言わずコクピット後ろの隙間にこじんまりと収まっていた。
「塔……なのか? これは……。何か……」
「乗り物のように見える」。その言葉をレグナは飲み込んだ。
これが乗り物だとしたら、一体何を、どこから乗せて来たというのか。
「でもこれ……本当に始原の塔、ですよね? これをヒトが造っただなんて……思えないです」
レグナは否定も肯定もせず、手袋を外した手をその表面に置いた。
滑らかでひやりとした触感に、微かに唸るような振動。
神話の通りなら何千年も前からここにあるはずのそれは、まるでたった今完成したかのように時の流れを感じさせない質感だった。
それに、恐るべきことにこの塔はまだ生きている。
突然、レグナが触れた場所から光が壁面に沿うように走る。
思わず手を引くが、次の瞬間には光の線から壁が裂け、目の前には白い光に照らされた通路が伸びていた。
その光量に思わず目が眩む。
背中のナトラがごくりと喉を鳴らし、レグナの首に回した手が小さく震える。
非現実が呼んでいる。
一度この中に踏み込めば、きっともう現実には戻れない。
この、クソッタレな現実には。
思わず上がった口角を左手で覆う。
「……お前は竜騎で待ってろ」
「ヤです」
即答だった。
「……何があるか分からんぞ。俺が戻らなかったら——」
「ヤです」
喰い気味だった。
「……ビビってるくせに」
依然収まらない震えは、当然レグナに伝わっている。
しかし、ナトラの口から出た反論は強がりなどではなかった。
「ビビってるからです。こんなわけ分からない所で一人にされるくらいなら先生と一緒に死んだ方が遥かにマシです。それに——」
ナトラの細い顎が、レグナの肩に乗る。
「先生の傍より居たい場所なんて、この世界のどこにもないので」
耳元で囁くような声が鼓膜をくすぐった。
「……何言ってやがる」
ため息混じりにそう返してから、小さく跳ねて少しずり落ちていたナトラの身体の位置を直す。
「——行くぞ」
「はい!」
二人の視線は真っ直ぐ、光に満ちた通路の先へ向けられた。
硬い足音が狭い通路に反響し、レグナの歩みに合わせるように照明が先を照らす。
照明と言ったが、ランプのような物がぶら下がっている訳ではない。空間そのものが発光している。
程なくして螺旋階段が現れた。
簡素な作りのそれは、ここが神殿などではないと知らせているようだった。
レグナは足を止める事なく階段を昇り始める。
迷いも、躊躇もない。
この先に何が待とうが、失うものなど無い。
あるのは——期待だ。
この泥沼からのアガリを。
あるいは、何もかもをぶち壊せるような何かを。
螺旋階段を昇った先は、円形の広間だった。
広さや形から、この部屋の壁は恐らく塔の外壁と一体だと思われる。
窓も無いその広間の中央に、それは鎮座していた。
長方形の筐が照明に照らされて浮かび上がる。
人間が一人すっぽりと収まるようなその箱に近づくと、その上部はドーム状で、透明な素材で出来ている事が分かった。
レグナは躊躇いなく棺、あるいは繭を思わせるそれを覗き込んだ。
ギョッとする。
中に見えたものが、正しくヒトの形をしていたからだ。
雪原を思わせる銀髪に、伏せられた長い睫毛も白銀。
透き通るように白い肌には、血が通っている気配がない。
この世のものならざる美しさの、少女の姿だった。
「うわ、綺麗な子……でも、銀色の髪って……」
レグナの肩越しに筐を覗き込んだナトラが言う。
「人形……? いや——」
バシュ、と排気音がし白い冷気が筐から溢れ出て、床を這う。
冷気はみるみる内に床を埋め尽くし、雲の上に立つが如くだった。
思わず後ずさり、立ち込める冷気の中に目を凝らす。
その中からゆらり——と人影が立ち上がる。
その人影の顔の高さに二つの、紫の光が灯る。
——ぺたり。
素足が冷たい床を踏む音がする。
——ぺたり。
あれはヒトなのか、そもそも生き物なのか。
——ぺたり。
あれは、紛れもなくヒトならざるものだ。
人間がこんな所で、あんな物の中で眠っているはずがない。それも、悠久の時を。
レグナはさらに後退り、胸元のナイフを抜く。
——ぺたん。
足音はそれきり聞こえず、少し大きな排気音と共に、立ち込めていた冷気が徐々に薄まっていく。
そこにあったのは一糸纏わぬ姿で、長い銀髪を床に広げてへたり込む少女の姿。
いや。
完璧な美をもって象られた、神話の象形だった。




