断章11 日常のはじまり
帝都は平穏そのものだった。
シレンスを滅ぼした帝竜が巨大な竜災と化してそのまま帝都を襲う。そんな噂が帝都を駆け巡り、元老院では遷都を進言する者もいたという。
結論から言うと、帝竜はシレンスを焼き払ってから姿を消した。
海へ帰った、と言われてるけど、分からない。
それはそうだ。見た者がいない——いたとしても、生きてはいないのだから。
シレンスを脱出しようとした人々は皆、帝竜の熱線で蒸発したか、街を包囲する竜の群れの犠牲となった。
その意味で、俺は希少な生存者ということになるが、シレンスがどう滅んだかの顛末を見届けたわけじゃない。
ノアのゴーグルを握りしめ、ふらりと帰宅した俺を、母さんはいつも通りに出迎えた。
シレンスで何があったかは、知っていたはずだ。
けど、泣くでもなく、駆け寄るでもなく、ただ「おかえり」と言って微笑んだ。訓練所から帰った、夕暮れ時と同じ笑顔で。
「疲れたでしょう。初仕事だったんだものね」
その言葉で張り詰めていたものが、ぶつりと音を立てて切れるのを感じた。
糸の切れた人形みたいにその場に崩れ落ち、それから先の記憶がない。
泣き崩れたのか、気を失ったのか。
いずれにせよ、俺の記憶は寝慣れた硬いベッドから見上げる、見慣れた天井から再開する。
それから酷い熱を出して、俺は数日を寝て過ごした。
母さんは仕事に行き、俺の看病をし、また仕事へ。
先の遠征は失敗。
竜骨の採取も出来ず、一切の報酬は無し。挙げ句にこの有り様だ。
しっかり稼いで母さんに楽をさせると息巻いていたのに、情けない。
そう思うのに、悔しさが湧いてこない。「情けない」という言葉が、他人事のように温度がない。
きっと、その熱を生んでいた俺のもう半分はあの夜、死んだんだ。
熱に浮かされながら俺は、自分の中に黒々と空いた穴を覗き込んでは眠り、また覗いては眠った。
それはある種の自傷行為だった。
傷口を確かめ、痛みを確かめ、安心して眠る。
とにかくそれを繰り返す間に、日は昇り、沈むのを幾度か繰り返した。
熱が下がると、俺はすぐに工廠へ向かった。
竜騎が無いと何も出来ないが、俺の小型騎は中破したままシレンス近郊に置き去りだ。
だから、何はさておき竜騎を手に入れなくてはならない。
「……ん? おっ! 有名人じゃないか」
入り口に立った俺に気付いた大男がやたらとデカい声を上げる。広々とした額に、伸ばした襟足を結んだ髭面の男だ。
名前は聞いてないけど、最初に竜騎を受領した時に会った気がする。
「……有名人?」
俺は怪訝な顔で大男を見返した。
「二人しかいないシレンスの生き残りだ。そりゃあ有名人だろうよ」
「俺は何もしてない……出来なかった。運が良かっただけだ」
そう言葉にしてから考える。
果たして俺は、本当に運が良かったのだろうか。
「運が良い。結構じゃねぇか。竜狩りにとって一番大事な資質だ」
大男はそう言い、豪快に笑った。
何が可笑しいのか分からず、俺はその笑いを遮るように言う。
「竜騎を失くしたんだ。動きさえすればいい。スクラップ前の騎体でもいい。貰えないか?」
「——来な」
大男は首を振って合図する。俺は黙って、その後に続いた。
その足が、布を被せられたそれの前で止まる。
男はこっちを振り返り、ニィッと笑うと、勢いよく布を剥ぎ取った。
現れたのは、新品の小型騎だった。
「……これは?」
無償で、ましてや俺みたいな新人に、新品の竜騎が与えられることなんてあり得ない。
「お前さんが来たら渡せと言われた騎体だよ」
「渡せ……? 誰に?」
「グラードだよ。小僧が自分の意思でここに来たら、こいつを渡してくれってな。あいつが自分で獲って来た竜骨だ。普通なら軍用機に回される等級のな」
俺は理解が追いつかず、アホみたいに口を開けて竜騎を見上げていた。グラードが俺にそんな事をしてくれる理由が、一つも思い当たらなかったからだ。
「——礼を言わなきゃ」
しばらく呆然としてから、口をついたのはそんな言葉だった。
「あいつなら狩りだ。しばらく戻らんだろうな」
「……怪我はもういいのか?」
いいはずがない。左腕を失くしたのだから。
「確かめなきゃならん事があるだのと言ってたな。まぁ、あいつの心配はいらんだろう」
そう言って、目が遠くを見るように細められる。
「自己紹介がまだだったな。俺はユーリ、竜騎技師だ。お前さんはレグナ、だったな」
俺は黙って頷いた。
「竜騎の事ならいつでも相談に来い。その代わり、いい竜狩りになって良質な竜骨を山ほど持って来い」
「……善処するよ」
デカい手でバシバシと背中を叩かれながら、真新しい竜騎を見上げる。
冷え切った胸の中に、少しだけ——ほんの小さな火が灯る。
そして始まる。
竜を狩る、日常が。




