第三十四話 幽寂の要塞
ウルズ要塞。
帝国南部、ウルズ平原のほぼ中央に位置する大要塞だ。
星型の構造を持つこの要塞は三百年前、ラクーナ皇国(薇国)軍がベルスス大森林を南北に分つ国境を越え、ウルズ平原まで進出した”駕薇国境紛争”の後に、急遽建造されることとなった。
その後、危惧された薇国との全面戦争は回避され、現在ではさらに南へ展開する南方駐屯軍の後方基地、物資の備蓄拠点として運用されている。
11月20日の夜半。
南側の中門前へ、竜騎の一団が現れた。
朝、帝竜討伐の名目で、管理局の指示通り火器を配備して送り出したアタランテたちだ。
百騎からなる大規模な狩猟隊だったが、その内二十騎近くを失い、残った騎体も多くが損耗していた。
「門を開けてくれ! 道中で帝竜と遭遇して、負傷させたが南へ逃げられた! 補給と整備を受けたい!」
ハッチから身を乗り出したイーギルが、門へ向けて大声を張る。静かな夜に、それは巨大な要塞の隅々まで届かんばかりの声だった。
妙なことに、門の上に衛兵の姿はない。にも関わらず、巨大な門が開く。
「なんだァ……?」
要塞のあちらこちらで松明の火が揺れているのに、人の気配は無い。
元々、後方基地であるこの要塞にそこまで多くの兵は配されていない。それにしてもこの静けさは妙だ。
イーギルの騎体が門をくぐると、他のアタランテも後に続く。
静まり返った石造りの要塞に、竜騎の無機質な足音がいやにうるさく響く。
「待て、何か……妙だ」
それをリヴィアが制止した。
「そいつは承知の上だ。けどよ、さっき攻撃してきた連中が追ってくるかもしれねぇだろ。躊躇してる時間はねぇぞ」
攻撃してきたのは間違いなく帝国軍だった。
帝竜狩りのためにこの隊が派遣され、誤解により帝国軍の攻撃を受けた。そして、身を守るために反撃した——
それを証明し、身の安全を保証してくれるとしたら、この要塞の管理者であるオルサンデル少将を頼る他はない。
それが、イーギル、アクィラ、シン、それにリヴィアで話し合って出した結論だった。
だが、リヴィアは拭い切れない違和感を抱き、それは胸の奥で黒く、より強く渦巻いていた。
外壁の中へ入り、開けた場所へ竜騎を停める。軍であれば厳密に整列させるところだが、竜狩りたちは不規則に、思い思いの場所に騎体を置く。
リヴィアの不安は消えるどころか強まる一方だったが、一人要塞の外にいたところでどうにもならない。
「アクィラ、シンはついて来い。監察官殿も来るよな?」
「……ああ」
少将と交渉するなら、当然リヴィアがいなければ話にならないだろう。
「あとの連中は騎乗したまま待機だ。なぁに、ちょっくら少将から豪華なディナーを引き出して来るぜ」
イーギルの威勢のいい言葉に、アタランテたちから歓声が上がる。
騎体を降りた四人は、要塞の中枢へ向かう。
奇妙なことに内門も開いており、未だ人の気配が無い。
草むらから鳴る虫の声と、風の音。時折り揺れる影も、松明の揺らぐ炎が生み出しているに過ぎない。
リヴィアはその度にせり上がる悲鳴を、喉の奥に飲み下した。
要塞司令部。
松明が点々と照らす廊下を進み、少将がいるであろう執務室を目指す。
時間的に自室で眠っている可能性もあるが、司令部であればいずれどこかで人に出会うはずだ。
いや、そうあってくれとリヴィアは一人祈る。
松明が揺れる廊下には、煤匂いが染み付いていた。
だがその奥にどこか嗅ぎ慣れない、しかし知っている匂いがある。
これは——血の匂いだ。
それを理解した瞬間、心の臓が早鐘を打ち始める。
「ま……待って……」
構わず突き進むイーギルに、救いを求めるように言う。
ドッ。
先頭を歩くイーギルが、曲がり角で何かに躓いた。
土嚢を蹴ったような、重く柔らかな感触だ。
「おいおい……マジか」
手に持った松明に照らされたそれは、兵士の死体だった。
白目を剥いたそれは首を斬り裂かれているが、血は黒く変色し、ほとんど乾いていた。死後、それなりの時間が経過している。
「一体……何が……」
リヴィアの視界が揺れる。
吐き気が込み上げ、血の気が引いているのを自覚する。
血の匂いに当てられたのか。
いや、それもあるかもしれないが、問題はこの状況だ。
少数とは言え、武装した帝国兵が守るこの要塞で一体、誰がこんなことを成し得たと言うのだろうか。
「オルサンデル少将……! 閣下のご無事を確かめねば……!」
「あッ……おい!」
イーギルの制止を振り切り、リヴィアはふらつきながらも駆け出した。
石畳の廊下を進み、執務室を目指す。
その道中、転がる死体を避け、跨ぎ、前へ進む。
血の匂いは進むほどに、より濃密に鼻腔を侵食する。
執務室の扉をノックも忘れ、一気に引き開く。
その足元には先ほどの兵士と同様に、喉を切り開かれた死体が一つ——オルサンデル少将が倒れていた。
「——遅かったですね、ノクティルカ監察官」
声が首筋を撫ぜ、背筋が凍りつく。
「監察官殿! ……ッ!? 少将!?」
イーギルたちが遅れて執務室へ飛び込んで来ると、少将の死体を見て固まった。
リヴィアは死体から視線を外すと、声の方へ恐る恐る目を向ける。
聞き慣れた声の方へ。
机の向こう、本来少将が掛けるべき執務椅子がくるりと回転する。
「ようこそ——叛逆者諸君」
そこにいたのは見知った顔、アタランテ特区管理庁長官ヴァレリウス・ヴェルナーその人だった。




